第33話 フレデリック・ヴァン・ハウレス公爵

 まず俺は、ジーニャ、キュアリーの二人にハンカチを渡した。


「な、ナイトくん、これ……?」


「俺の魔法、『スリーピングミスト』をしみこませた布だ。相手に嗅がせれば眠らせることが出来る。あんまり武力で脅して荒らしまわるのも、騒ぎになるとよくないからな」


 キョトンとする二人に、「いいか?」と説明する。


「お前らに任せたいのは、ここを拠点とする活動団体『人道協会』が、魔人によって運営されているっていう動かぬ証拠だ。そのために邪魔に奴がいたら、その布を使え」


「っ! わ、分かったよ」「……そうですね。ここは、いったい誰の管轄でしたか……」


 ジーニャは事情を理解してやる気を出し、キュアリーは内部を知る人間として記憶を振り返る。ともあれ、二人は俺の指示に従って、裏から調査を進める運びになった。


「さて、ミニン班長。俺たちは陽動です。こいつらを引き渡しつつ、なるべくここの責任者を連れ出します。そいつ相手に食い下がる分だけ、証拠漁りの時間ができます」


「……メアンドレア従騎士、あなたは何というか、強引な割に悪知恵が効くのね」


「恐縮です」


「褒めてないわ」


 適当なやり取りをしつつ、俺たちは連中の手を引いて建物に入る。受付担当の女性が、瞠目して俺たちに声を上げる。


「っ!? なっ、何ですか! 騎士が何の用ですか! 何故皆さんが捕まっているのですか!」


「責任者出してもらえます?」


「でっ、ですから!」


「責任者出してもらえます?」


「えっ、いや、あの」


「責任者、出してもらえます?」


「……はい、お繋ぎします」


 同じことを繰り返されると、人間気合が入っていない方が負けるもの。ミニン班長が小声で「強引」と言うから、俺は「後悔はしたくないですから」と返しておく。


 受付さんが奥に引っ込んでいって少しすると、一人で戻ってきた彼女は「失礼します……。大広間にお連れします」と言った。


 受付さんの案内で廊下を進む。ぞろぞろと現行犯逮捕されたメンツが続く。ミニン班長は奥に進むたびに渋面を深くしていき、小さな声で「あの人は、どう思うのかしら」と呟いた。


「……?」


 俺はその真意を聞こうとしたが、受付さんの「こちらです」の声に遮られてしまう。


 大広間の扉が、開いた。


 そこは社交パーティ会場も兼ねているのか、広くて豪奢な空間だった。物語でしか見たことないような、大広間のエントランス。中央奥には大階段が存在感を放っている。


 その階段を、降りる者が居た。


「これは、これは」


 その男は、悠然と歩みを進めた。まるで、豹のような慎重な足取り。着飾りに着飾った貴族服を身に纏う姿は、優雅とか、耽美とか、そういう言葉がよく似合う。


 だからこそ、俺の嗅覚が断言した。


 こいつは、クロだと。


「騎士殿に連れられて、みなが帰ってくるとは……。何か問題でもあったのかな。おっと、失礼。まずは、名乗ってからだね」


 階下に足を付けた男は、胸に手を当て、優雅に口を開いた。


「私は、フレデリック・ヴァン・ハウレス。僭越ながら、ハウレス公爵家の当主を務めている」


 穏やかに微笑むその瞳は、一切の笑みを湛えていない。注意深く敵を観察し、どう籠絡してやろうかと考える目だ。


 だが、問題はそこではなかった。


「……ハウ、レス」


 俺はその名を、口の中で反芻する。聞き覚えがある、どころの話ではない。決して忘れられない名前だ。どれだけの夜を過ごしても、憎しみの中に浮かび上がる名だ。


 ハウレス。『嘘と扇動』のハウレス。


 それは魔王軍幹部にして、俺を騙して屈服させ、肉塊となったジーニャと引き合わせた、最低最悪の悪魔の名前だった。






 事情説明はスムーズに運んでいた。逮捕した面々も解放して、そそくさとこの場から去っている。


 だから、この広い場所に居るのは、たったの四人だ。俺、ミニン班長、ハウレス、受付さんだけ。


 俺は一通り説明を終え、こう〆る。


「ですので、厳重注意、及び活動の視察、指導処置を検討しています」


「……ふむ」


 話を終えた頃、ハウレスの表情は僅かに不快さがにじんでいた。腹の底では何を考えているのやら、あごを撫でて考えるポーズを取っている。


「処分についてだがね」


 ハウレスは切り出す。


「厳重注意は甘んじて受け入れよう。ただ、視察や指導というは、職権乱用というものではないかな」


「極めて適当な処分です。帝国行政法第―――」


「いいや、そういうことを言っているんじゃないよ、君」


 俺の話をさえぎって、ハウレスは続ける。


「我々の活動では、君たち騎士への批判もある。それを、法律を盾に『許さない』というのは横暴と言いたいのだよ、分かるかい?」


「分かりません。まずは法律を守ってください」


「……黙って聞いていれば」


 ハウレスは俺の襟首をつかむ。いやお前全然黙って聞いてないが。


「騎士ごときが、何様のつもりだ。私は公爵だぞ? お前の首ごとき、いつでも飛ばせる立場なのを分かっているのか?」


「脅迫の現行犯で捕まりたいということですか?」


 俺がノータイムで怯まず返すと、ハウレスは心底嫌そうな顔をした。ああ、お前のその顔俺好きだわ。もっと歪ませて殺してやりたいね。


 ハウレスは舌を打って、「君」とそばで見ていたミニン班長に呼びかける。


「君からも何か言ってや……うん? 君は……」


 ハウレスは何かに気付いたように、言葉を止める。それから、目を大きく開いて声を上げた。


「ミニンっ!? ミニンじゃないか! 何故君がこんな事を。しかもそんな姿で……」


 呆気にとられたような顔で、ハウレスは言う。ミニン班長は、目を伏せがちに、「こんにちは」と短く言った。


 俺は問う。


「二人は、何か関係が?」


「ああ! 私たちは婚約者同士でね。私もそろそろ世継ぎが必要な年だ。そんな折、ミニンのシャイニング侯爵家と縁談があったんだ」


 にっこりと笑って、ハウレスはミニン班長の腰を抱き寄せた。俺はそれに、淡々とした演技も忘れて眉を寄せる。


「ハウレス、様。離れて下さい……」


「ハハハ、以前の件を気にしているのかい? 私は何も気にしていないよ。むしろ強い女性が好きなものでね。そういう時代だろう? 女性も自由に、旧来のイメージに囚われず」


 腕力そのものは弱いミニンの抵抗をものともせずに、ハウレスはミニンを抱き寄せたまま続ける。


「だが、それで言えばこの格好はいただけないな。旧来の弱者的女性イメージを助長させるような格好だ。みっともない……似合っていないよ。すぐに着替えなさい」


「離し、て……!」


「いう事を聞かないというのかい? 生意気だな」


 ハウレスが、懐から短剣を取り出した。


「ならば、力づくで脱がせてやろう」


 ハウレスの短剣が、ミニンの騎士服を大きく破る。


「えっ、キャァッ!」


 ミニン班長はとっさに服をかばう。だがとうに服は破け、ズタズタだ。ミニンがせっかく改造した制服が、台無しにされてしまう。


「あっ、うそ。頑張って作ったのに……!」


「ほら、破れてしまったんだ。大人しく着替え―――」


「婦女暴行の現行犯も罪状に足しましょうか」


 俺は見かねて、口を挟む。そろそろ、我慢も限界だ。銃に手をかける。


 だがハウレスは、余裕ぶって言い返してきた。


「おおっと! 君、何かね? もしやミニンに気があるのかい? それはいけないな。平民と侯爵家では身分差がありすぎる。身の程を知るべきだ」


「―――離してッ!」


 ミニンは涙目でハウレスを睨み、突き飛ばした。ハウレスは特に気にした風もなく、微笑みを湛えている。


「ほら、ミニン。早く着替えなさい。それとも私が着替えさせてあげようか? 恥ずかしがることはない。どうせ私たちは、夫婦となるのだから」


「―――失礼するわよ、メアンドレア従騎士っ」


「……はい、ミニン班長」


「そうかい。これはこれは。では、君、彼らを丁重に出口まで案内しなさい」


 一杯食わされた、と思う。まさかミニン班長と婚約者だったとは。一体何代前から貴族として食い込んでいたのやら。あるいは、どこかで入れ替わったか。


 俺たちは受付さんに案内されて、建物の外に追い出された。俺たちは集合場所に定めた、建物の陰に移動する。ミニン班長は泣きながら、しきりに涙を拭っている。


「最悪、最悪……っ! あんな、あんな人だったなんて。もう、いや……! 貴族なんてやめたい。あんな人の婚約者なんて……!」


「……ひとまず、これでも着てください」


 俺は上着を脱いで、班長に着せる。ミニン班長は俺の上着にくるまって、くぐもった声で「ありがと……」と言う。


 その様子を見て、俺の中で何かが繋がるような感じがした。ポツリと、問う。


「ミニン班長は、ハウレスの好みに合わせるために、堅苦しい格好をしていたんですね」


「……そうよ。もう、二度としないけれど」


 悔し泣きをしながら、ミニン班長は言う。


「どういう経緯か、聞いても?」


「そもそもアタシが騎士団に入れられたきっかけだけどね……。それも、あいつなの」


 ギリ、と歯を食いしばって、ミニン班長は続ける。


「婚約して、二度目くらいに会って、戯れに狩りに誘われたの。アタシ、楽しくて、魔獣をたくさん狩ったわ。それからも、趣味で一人で魔獣狩りを続けてた」


 ミニン班長は、ひと呼吸おいて続ける。


「アタシの両親が、『嫁入り前の娘が妙なことをするな』とかって言って、アタシを騎士団に押し込んだの。『お前のようなじゃじゃ馬は、ここで反省しろ!』って」


「それで、あんな冷遇を」


「アタシ、悔しくて、ずっと反抗してた。アタシが強いのは、才能でしょ? 何で抑圧されなきゃならないのよ! ……だから、全部こなした。誰もついてこれないから、一人で」


 ついてこられないだろう。新任や若手の従騎士にはかなりの負荷だ。場合によっては死んでもおかしくないような任務である。対処できたのは、俺たちだからだ。


「そういう強さを、ハウレス公爵は肯定してくれた。それそのものは嬉しかったわ。でも、あの人はすべてを受け入れてくれるわけじゃない。だとしても、こんな……!」


 ミニンは大きく裂かれた騎士服を抱き寄せる。その様は、ただ痛々しい。


 俺はハウレスという悪魔のことを思い出す。奴は武器に炎を使うはずだ。奴の魔女になれば、自然と炎を纏う。まともな服を着ることはできないだろう。


 魔女は、心から悪魔に心酔してなるものだ。服という未練を残させたくなかったのだろう。実際、ミニン班長に心の支えがなければ、服装趣味くらいは捨ててしまったのかもしれない。


「アタシはっ、何も捨てたくない……っ!」


 小さな声で、絞り出すようにミニン班長は叫ぶ。


「強いのも、可愛いのが好きなのも、アタシなの……っ! そのどっちかを捨てたら、アタシじゃない。アタシは、可愛い格好をして、強くありたいのっ!」


 涙をぽろぽろと流しながら、ミニン班長は叫ぶ。年相応の少女らしい、頼りない、小さな背中。


「嫌いっ! 全部、嫌いよっ! 女らしい弱さを押し付ける実家も、男らしい格好を押し付けるハウレス公爵も! 全部、嫌い……っ!」


 指が白くなるほど力を入れて、ミニン班長は―――ミニンは、こぶしを握っていた。俺はそこに、自らの手を重ねる。


「そうだな、俺も嫌いだ。奴らは平気で嘘をつく。一秒で矛盾する。キレイごとを言った直後、それをできない自分を棚に上げて隠す。あるがままより、ずっと醜い」


「……メアンドレア従騎士……?」


「ミニン」


 俺が呼びかけると、ミニンは「えっ、なっ、何?」とたどたどしく俺を見る。


 俺は、笑いかける。


「一緒に、あのクソ野郎を倒そう。俺たちにはそれが出来る。そのための準備は、今、ちょうどそろった」


「え―――」


 こちらに、足音が寄ってくる。


「なっ、ナイトくんっ! が、頑張って、色々取ってきたよっ!」


「ちょっと困るくらい豊作でした、ナイト様。行動を分けたのは正解でしたね」


 戻ってきたジーニャ、キュアリーに俺は立ち上がり、ハイタッチを交わす。それから、ミニンを見下ろして手を差し伸べた。


「これからだ。ここから、奴らへの復讐が始まる。なめ腐った嘘つきには、悪夢と恐怖が必要だ。奴らの顔が恐怖に歪むのを、特等席で笑ってやろう」


 だから。俺はニッと笑う。


「だから、手を貸してくれるか? 地雷魔法と狙撃を操る、ツヨカワのミニンが必要なんだ」


「ツヨ、カワ……」


 ミニンは呆然と言葉を繰り返し、それから涙をグイと拭って、目端に赤みを残した笑みで俺の手を掴んだ。


「うん。一緒に、やりましょう。よろしくね―――ナイト」


 俺の手に引っ張られ、ミニンはすっくと立ちあがる。

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