第20話 キュアリー

 汽車は変わらない速度で線路を進む。外の風景は鬱蒼とした森に変化している。ジーニャが目覚めない中、俺はキュアリーに言った。


「お前を殺そうと決意した時のことは覚えてるよ」


 俺は渋面で息を吐く。


「人間を捕まえて歪な生命力を注ぎ込んで、異形の兵士を作ってたんだ。俺はそれを知ってブチギレて、お前もろとも都市を一つ滅ぼした」


「ええ、ええ! わたくしも忘れもしません。あれはまさしく悪夢でした。地震に飛び起きて外に出ると、都市がまるごと巨大な触手によって薙ぎ払われていくあの絶望感!」


「何で嬉しそうなんだよ」


「その中心に居たナイト様を見て、わたくしは思ったものです。『どちらが魔王か分からない』と」


「……」


 まぁ、メチャクチャな魔法を使ってたことは、認める。うん。


 色々と自暴自棄になっていた時期だったのだ。まともな人間なんて一人も残ってなかったし。全員死ぬか魔女になるかのどちらかともなれば、おかしくもなろうというもの。


 だから俺は悪くないのだ。都市の魔人も魔女も全員惨たらしく殺したのも、元はと言えば人間を滅ぼしたこいつらが悪い。


 俺が気まずくてそっぽを向いていると、キュアリーは恍惚と続ける。


「特に、最期ナイト様と直接対峙した時のことは、筆舌に尽くしがたいです。あんなことになるなんて……」


「……俺、お前の事どうやって殺したっけ?」


「普通に殺したら蘇るから、絶望させて自殺させてやる、とおっしゃいましたね」


 あ、思い出した。


「体感時間で1500年、拷問の続く悪夢見せて、心をボキボキにへし折ったんだ」


「ふふふ……驚きました。拷問もとってもお上手で……。わたくしは痛みには強いつもりでいましたので、まさか3年で心が折れるなんて」


「想定よりだいぶ早い」


 残り1497年ありますけど。え、もしかして数年単位で細かくどういう心境の変化があったか報告される感じ? いや、普通なら3年耐えただけでもすごいんだけどさ。


「ナイト様の拷問の悪夢にわたくしが抗えたのは、たった3年でした。そこからの5年はずっと救いを請うていました。『もうやめてください。助けてください』と」


「初手もう重いんだよな」


 キュアリーはしかし、うっとりとして続ける。


「その後の10年は『殺してください』と叫んでいました」


「うん……。とりあえず、もうちょっと巻きで話してくれ」


 このペースで残る1482年を報告されては堪らない。


 俺が言うと「それは残念です……。では、500年刻みでお話しますね」とキュアリーは花開くような柔和な笑みを浮かべた。どういう感情?


「500年経つ頃。わたくしにとってナイト様は、誰よりも長く時間を共にした相手となっていました」


「……まぁ、そうなるな」


 ちなみにキュアリーが夢を見ていたのは、実時間にして約十秒だ。


「その時すでに、わたくしの心はナイト様のものでした。わたくしはナイト様の奴隷も同然……。どれだけ長時間続いてもマヒする気配のない痛みは、わたくしの心を狂わせました」


「……」


 まさか俺も、自分のクソみたいな地獄の感想を聞かされるとは思っておらず、興味深さに聞き入ってしまう。


「1000年経つ頃には、ナイト様から与えられる苦痛は受け入れるべき試練と化していました。乗り越えた先にナイト様からの祝福が待っている。そう信じていました」


「おぉ……」


「1500年経つ頃には、ナイト様からの苦痛は全て悦楽も同然でした。わたくしにとって、ナイト様は神でした。魔王など比べものにならないほどの、わたくしだけの神」


「そろそろ怖くなってきた」


 俺のあの拷問魔法、そんなヤバい効果あるの? ごめん軽率に使って。苦しめてやるー! くらいのノリで使っていい魔法じゃなかったかもしれない。


「そして悪夢が覚めた時、本当のナイト様を見て、わたくしは涙しました。ああ、なんて神々しいお姿なのでしょう、と。失明するほどの光がわたくしを襲いました」


「うん……」


 あの時の怒りや絶望は忘れがたいので、もう一度あの状況になっても俺はきっと同じことをするのだが。……それはそれとして、謎の申し訳なさがある。


「ナイト様は、おっしゃいましたね。『自害しろ』と。わたくしは、あの時ほど大きな絶頂を迎えたことはありません。わたくしは自らの脳に過剰な生命力を注ぎ込み、破裂させて死にました」


「俺そこにつば吐き捨てて帰ったわ……」


 温度差である。


「そしてつい先日、わたくしはその事を思い出したのです」


「あーそっか! それはまずいね! 大惨事だ!」


 そっか! これ丸々思い出したわけだ! どこかの教会の無垢な女の子が、この記憶叩き込まれちゃったんだ! やっばいね!


「数日間、わたくしは廃人も同然でした。恐らく恍惚の余韻が続いていたのでしょう」


「絶対違う」


 多分発狂に近い何かだと思う。


「しかし数日で、わたくしは覚醒しました。そして使命を理解したのです」


「……」


 嫌な予感がする。


「前回は魔王ごときにこうべを垂れ、ナイト様にお仕えできないという失敗を犯しました。しかし今は穢れなき体! 今度こそナイト様にお仕えせねば! と」


「うわぁ~やっぱりだぁ~……」


 キュアリーはキラキラした瞳で、奥底に濃すぎる闇を抱えた瞳で俺を見つめていた。俺としては扱いあぐねるばかりだ。


 何せ今のキュアリーは、魔女ではない。この話を聞く限り、魔女になることもないだろう。


 だから敵ではない。しかしかつて敵だった相手でもある。俺は人類と魔人、味方と敵で態度を真反対に変える。人類など味方には博愛を。魔人など敵には苦痛と死を。


 俺は困って、「えーっと」と声をかける。


「ひ、ひとまずその、俺も困惑してるから、一旦関係性を清算しないか?」


「……清算、ですか?」


「ああ。実際その、無かったことになった話だろ? 俺もその、昔魔女だった人間とか接しづらいからさ。もう魔女にはならないぞって心に決めてくれるだけで十分というか」


「で、で、では、わ、わわわ、わたくしは、ナイト様にお仕えすることはできない、と……?」


「いやだって、この時間軸では初対面だ、し……?」


 俺はキュアリーの様子がおかしいことに気付く。


 キュアリーはガクガクと震えだし、引きつった微笑を浮かべながらボロボロと涙を流し始めた。俺はその様子に息をのむ。


「そ、そそそ、そうですよね。わたくしなどがお仕えしても、な、ナイト様にとってはご迷惑、ですよねっ……!」


「ん? え? キュアリー?」


「わたくしの勝手なワガママを押し付けて、困惑させてしまい、大変申し訳ございませんでした……! せっ、責任を取って自害いたしますッ!」


「えっ!? 待て! 待とう! とりあえず自害するのは止めよう!」


 ナイフを取り出して首に突き立てようとするのを、俺は必死に止める。


 そうか、と気付く。このキュアリーという少女は、突如与えられた膨大な記憶によって精神崩壊を起こしたのだ。廃人同然、というか本当に廃人になったのだろう。


 だが、それをどうにか立て直した。俺への崇拝、という歪な感情をよすがにして、ようやく自我を取り戻すことが出来たのだ。


 つまり、俺の拒絶はキュアリーにとって、事実上の生きる意義の喪失だ。


 俺に仕えるためにひどい記憶を思い出したのであって、仕えられないならあんな辛い記憶を抱えて生きていけないという話なのだ。


「……」


 俺は自分が悪いとは思わない。俺が苦しめて殺したのは、あくまで『不死の聖女』という魔女だ。人間を冒涜して苦しめて奴隷にした、悪逆非道の魔女。ふさわしい報いだった。


 しかし同時に、それが遠因になって、今の何の罪もないキュアリーが壊れてしまったのも事実だった。事故に近いが、必ず起こる事故だ。


 俺は渋面で、自らの首にナイフを構えるキュアリーを見る。


 キュアリーは、まっすぐな視線で、すがるように俺を見ていた。潤んだ瞳で、何かを期待するように。


 俺はため息を吐いた。


「分かった。なら、俺に仕えろ。だから自害はするな。分かったか?」


「―――はいっ! ナイト様!」


 パァッ、とキュアリーの表情が輝いた。俺はほっと一息ついて、キュアリーのナイフから手を離し、腰を下ろす。


「……では、その、お恥ずかしながら、早速奉仕させていただいてもよろしいでしょうか」


「え?」


 俺がキョトンとしてキュアリーを見ると、キュアリーはお腹の辺りを撫でながら言った。


「わたくしのような生娘では満足されないかもしれませんが、是非ともナイト様の御子を懐胎したく……」


 俺は顔を真っ青にしながら言った。


「ダメ」

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