第15話 鉄肌のオーク

 以前も分析した通り、鉄肌のオーク相手に、俺では戦力不足だった。


『どうすっかなぁ……』


 そう考えていたのは、魔族襲撃の日の昼の事。


 家のログハウス。襲撃直前の最終猶予。太陽の光差し込む自室の中央で、俺は一人、頭をひねりながら、何か良い案はないかと考えていた。


『時間がなぁ……。難しいんだよなぁ……』


 頭をぐらぐら揺らしながら、俺は思案する。


 それは、ジーニャを如何にして「インプ討伐直後に呼び出すか」という事についてだ。


『時間指定できない要素が三つあるんだよな』


 一つ目はインプを俺がどのタイミングで倒すか。二つ目はオークがどのタイミングで俺を捕捉するか。三つ目はジーニャがどのくらい正確に、指定した時間に現れるか。


『インプ討伐はまぁ……早ければ早いほどいいから、俺が頑張ればいいだけだ』


 これが前にずれ込む分には問題ない。だが、遅れると非常に厄介な要素であることにも間違いはない。


『努力』


 しかし、唯一俺の努力で何とかなる要素でもある。これに関しては頑張ればいいので、頑張ることにしよう。未来の俺、ガンバ!


 それで、次は。


『オークが俺をどのくらいで見付けるか、か……』


 奴に仕掛ける罠は、正直足止め以上の役割を持たない。その足止めをどれだけ長引かせられるかにもよるが、そう長い時間は確保できないだろう。


『うまくいって、俺がインプを倒した直後にはもう到着するだろうな』


 かなりざっくりした試算だが、恐らくそんなものだろう。俺も大概インプをサックリ殺せることだろうが、一方オークだってかなり移動速度は速いのだ。


『で、最後。これが難しいんだよな』


 ジーニャを呼び寄せるタイミングについて。これがもっとも、俺の努力の及ばない話になってくる。


『ぐぬぬ……』


 俺は唸る。どういったアプローチで、ジーニャを戦場に呼び出すべきかを。


『そもそも、深夜ってのがなぁ……』


 奴らの襲撃は深夜に行われる。だから俺も深夜に奴らを襲いに行くし、その助勢に入って欲しいタイミングもやはり深夜だ。


 そして当然のように、ジーニャは普段、深夜眠っている。


『……そもそも、呼び出してちゃんと来てくれるか問題』


 渡す情報についても、思案する点は多い。


 では、一度「どのようにジーニャを呼び出すべきか」という事について整理しよう。


『まず、今回のことを今の内に全部話すのは却下だ』


 信じてもらえない、ならまだマシだ。逆にその場で信じられた時、作戦が全部崩壊する。


 というのも、今の過保護ジーニャは、俺が危険な目に遭うことを良しとしないのだ。俺を意地でも拘束しようとするだろうし、そうなったら地味に俺は詰む。


 では、この情報を与えるタイミングをずらせばいい、という事で手紙案が第二候補として上がる。つまり、手紙を渡して「夜になったら開けて読んでくれ」と言うわけだ。


 良い案のように感じられるが、実はリスクがある。つまり、「夜に読めと言われた手紙なら、今読んでもいいよね」とジーニャが考えかねないこと。


 良い子ちゃんなジーニャなので、そのくらいは守ってくれそうなものだが、ちょっと不安なので却下。


 何故なら、俺がそれをされる側ならば間違いなく「もったいぶんなよ」と言ってその場で開封するからだ。


『……人間は愚かです。特に俺』


 俺は神妙な面持ちで呟く。それでなくとも夜疲れて早めに寝て、夜に手紙を開け損なうとか、事故はいくらでも起きかねない案だしな。やはり却下だ。


 となると、案としては―――


『……これかな。うん。とりあえず、なんと言うか』


 俺はジーニャの家の方向を向き、そっと頭を下げた。


『今の内に謝っておきます。ジーニャ、ゴメン』


 ―――そんなこんなで、俺はジーニャにあることを伝え、早々に寝て、夜に襲撃者を襲撃に向かったのだ。











 鉄肌のオークは、強大だった。


「ぶもぉぉぉおおおおおおお!」


 木を鷲掴んだかと思えば、そのまま力任せに引き抜き、俺目掛けて殴りかかってきた。


「うわやーばっ!」


 剛腕。木を丸々引き抜いたオークは、俺へと猛烈に突進し、そのまま力任せに木一本を叩きつけてくる。


「ナップ!」


 それに俺は予知夢から覚め、それでもギリギリでオークの攻撃を躱した。


 俺の真横で木が地面をえぐる。風圧が俺を煽り、木の枝がへし折れ、夜闇に黒くなった葉が俺の視界を覆い尽くす。


 俺は「ひょえー!」と言いながらとてとてと怪しい足取りで木から離れた。


 オークが木を担ぎ直し、唸る。


「ちょこまかと、うざったい。虫は、さっさと叩き潰す」


「クソがよぉ……! 弾丸でも食らっとけ!」


 俺は予知の銃撃で、オークの開いた口内、眼球を目がけて銃撃する。


 だが、オークは何ら反応をしなかった。俺の弾丸は奴の目に当たり弾かれ、口の中に入ってはペッと吐きだされた。


「分かってたけど全然効かなくて笑う」


「人間の銃、弱い。鉄をひしゃげさせる威力がなければ、俺には効かない」


「そういう強力な銃が世に出回るの、もーちょっと先なんだよなぁ……」


「? 人間のいう事、意味不明。もっと分かりやすく話せ」


「お前がバカなんだろうがバーカ」


 俺が言い返すと、オークは血管を浮き立たせて激怒し、もう一本木を引き抜いて乱打してくる。


「俺は! バカじゃ! ない! 人間が頭悪すぎるだけ!」


「うぉぉおおおおお! エッグ!」


 予知での回避を繰り返しながら、俺は大木の攻撃だけは回避する。クソ。流石に逃げ出したいぞこの戦闘。でもここから離れると、ジーニャと合流できない。


 地面が叩かれては土が舞い、枝葉が舞い。


 視界が狭くなるのに、一撃一撃が死に直結している。


「クソッ! マージヤバいんだよなぁこのオーク。早くて硬くて強いって、ちょっと隙がなさすぎる」


 それでも俺は逃げ延びて、オークから距離を取った。オークが武器に使う木は、枝葉がどんどん落ちて、丸太のような姿に変わっていく。


「当たらない……。すばしっこい人間。ならいい。素手で触るの嫌だけど、仕方ない」


 オークは、木を捨てた。おっとこれはマズイか? 俺はもう銃をしまって、剣のみを構える。オークは俺に向き直り、足に力を溜め、こう言った。


「直接、壊す」


 直後。


 俺の身体はオークの拳に貫かれていた。


「ナップ!」


 予知夢から覚める。必死で横に避ける。オークの拳が、俺が立っていた場所で空を切る。


 マズイ。マズすぎる。地力で完全に負けている。今の俺の魔法込みの実力は、常に最適な動きを取るだけの常人の域を出ないのだと実感させられる。


「これはどうしたもんかねぇ……。時間稼ぎもままならんぞ」


「……今のを躱すとは、思わなかった」


 オークが俺に向き直る。体勢を低くし、イノシシのように駆け出そうとしている。


「だけど、次は逃がさない。絶対に捉えて、壊す」


「ハッ」


 俺はそれでも強がって笑う。


「できるもんならやってみな、バカオーク」


 激突。瞬時に距離を詰めてきたオークの突進に、俺は吹っ飛ばされる。


「がぁっ!」


 猛烈な衝撃だった。全身がバラバラになるかと思った。手に握っていた剣は離れた場所に飛んで行った。


 だが、この未来を予知夢にはしない。確かに俺は地面を転がって血まみれだ。転がり方がよくなかったのか、足も痛むし立ち上がれない。頭だってくらくらしている。


 しかし俺は、奴の本気を食らって生きていた。


「ハハ。今の俺じゃ、これが限界か……。動き、全然見えねーでやんの」


 怪我もないように回避するのは、ちょっと現実的ではない。これが俺のベストだ。だからこれで、満足しておけ。


「……ぬぅ」


 俺はインプが俺に仕掛けようとしたトラバサミを、オークに仕掛けていた。オークは俺に突進する最中で罠を踏み、その所為で威力を出しきれなかった。


「この程度の罠、効かない」


 オークは鉄の足で罠を踏み砕く。破片が周囲に飛び散り、バラバラになる。


「あ~マジ~? 思ったよりダメージ入ってないかぁ」


「この程度、意味ない」


 オークは近寄ってきて、もう抵抗できない俺を片腕で持ち上げる。


「これで、お前、終わり」


「ぐ、ぅ、……そうだな。俺とお前の戦いは、これで終わりだ。もーちょっとやれると思ったけどなぁ~。ま、いいけどさ。打ちたい布石は打ったし」


 俺は痛みを堪えながら、笑って言う。オークはそれに、「ぶももももっ」とくぐもった笑い声を上げる。


「人間、ずっと強がってる。馬鹿。剣は今のでどこかに行った。銃は俺に効かない。お前、ピンチ」


「……そうだな。それだけ聞けばピンチだ。けどよ」


 俺は安堵に息を落とした。


「待ち人来たれり、だ。お前、終わりだよ」




「―――なっ、ナイトくんを、いっ、いじめちゃダメぇっ!」




 俺が手放した剣を持って、森の開けた場所の端っこに、ジーニャは立っていた。


 その全身は、オークの存在に震えている。足は生まれたての小鹿。剣先は速すぎる振り子時計。おめかしした服を身に付けて、ジーニャはここに訪れた。


「また、人間……。でも、雌。ぶもも。雌なら、悪くない。脆そうだけど、少しは楽しめる」


「ひっ……」


 鉄肌のオークの下卑た視線に、ジーニャは怯む。そこに、俺は声をかけた。


「ごめんな、ジーニャ。昼伝えた通り、『大切な話』をしたかったんだけどさ。このキモイ豚の所為でボロボロで、それどころじゃなくなっちまった」


「キモい豚……!? それ、お前ら人間の方! 人間の方がキモイ! 魔人はキモくない!」


 オークが激昂するが、そんなのは無視だ。俺はジーニャに向かって話を続ける。


「でも、か弱い俺をボコって満足してるような豚だ。ジーニャ、お前の敵じゃあねぇよ。お前、超強いもんな。俺のこと、守ってくれるんだろ?」


「な、ナイトくん……」


「だからさ」


 俺は、にかっと、ボロボロの顔で笑いかける。


「お前なら勝てる。楽しめ」


 その言葉で。


 ジーニャの震えが、止まった。


「……ぶも……?」


 オークは、その様子に奇妙な感覚を抱いたようだった。流石は生物レベルで異常に強い魔人だ。ジーニャの立ち振る舞いに、何かを感じ取ったのだろう。


 ジーニャの表情の変化は、静かなものだった。怯えと混乱と怒りと―――と言う風に、複雑だった感情が、一つ一つ消えて、純化し、最後には前髪に隠れて分からなくなった。


 ジーニャは剣を正面に構え、じっとオークに向かっている。それから何を見出したのか、ふ、と剣を下ろして、無防備に歩み寄ってきた。


「ぶもももっ、気のせい。こんな小さな雌が、そんな訳ない」


 俺を片手に持ったまま、反対の手を上げるオーク。淡々と近づくジーニャに、奴は素早く掴みかかった。


 それに、ジーニャは。


「大きいからかな。遅いね、あなた」


 切っ先をオークの手に合わせて、ぴたりとその動きを止めた。


「……ぶも……?」


 この場に、じっとりとした雰囲気が流れ始める。何か、異様なものが紛れ込んでいるような感覚。その正体を知らないのは、ただ一人、オークのみだ。


「て、鉄、俺の、鉄の肌。何で。何で、剣、刺さる?」


 手に刺さった剣の切っ先に、オークは戸惑ったような声を上げた。


 ジーニャは、首を傾げる。


「鉄? 鉄の肌な訳ないよ。だってこんなに脆いもん」


「え―――」


 ジーニャは、掴む剣の柄を持ち直す。手首を少しひねって。まるで、鍵を開ける寸前のように。



 そしてジーニャは、


「――――ぶもぉぉおおおおお!?!?!??」


 それは、異様な光景だった。まるで貝に爪楊枝を刺して、くるりと抜くように。ジーニャはオークの腕を、胴体からと抜いた。


 オークの腕が地面に転がる。大量の血がオークの肩からあふれ出す。俺は目を剥き、ジーニャの剣技の歪さにおののく。


「な、あ、あ、あ……? ―――う、嘘だ! 俺、俺の肌は鉄だ! てつ、なのに、ぬけ、抜けるはずない! 鉄の肌は、鉄壁!」


「だから、鉄じゃないよ。女の子の私が切れるくらい、柔からかいもん」


 言って、ジーニャは瞬間姿を消した。刹那、二つの剣閃が走る。気付けばジーニャはオークの背後に立っていて、剣を見つめている。


「……うん。欠けてないもんね。鉄で鉄を斬ったら欠けるはずだし。やっぱり鉄じゃない」


 ジーニャは振り返り、オークに言う。


「しいて言うなら、ガラスとか?」


 俺を掴み上げるオークの左手と、右足が切り落とされる。


「ぶもぉおおおおおおおお!」


 オークは自らの血だまりに崩れ落ちた。俺は落下直前でジーニャに助け出され、「ここで座ってて」と言われ頷くばかり。


 その、助け出される瞬間、俺はジーニャの顔を見てしまった。


「……ハハ」


 俺、ジーニャのブチギレ顔、人生で初めて見たわ。


 ジーニャは、月光に照らされた、ひどく美しい顔でキレていた。ジーニャには珍しく眉根を寄せ、目を見開き、唇を引き締めている。


「何で私がここに来たか分かる?」


 怒りに満ちたジーニャはどもらない。返り血すら浴びずに、剣を構える。


「ナイトくんがね、大事な話があるからって、呼んでくれたんだよ。こんな夜に、真面目な顔で、言ってくれたの。きっと素敵な話が聞けると思ったの」


 ジーニャの事情なんて知る由もないオークは、怯えながら一本の足だけで後ずさる。その様子は、まるで太っちょ芋虫だ。


「それが、あなたの所為で全部台無し。でも、何よりも許せないのは、ナイトくんに怪我を負わせたこと。ナイトくんに痛みを味わわせたこと」


 つかつかと進んで、ジーニャはオークの首筋に剣を突き付ける。


「ナイトくんはね、私が守るの」


「ぶ、ぶも……」


「今まで、私のことを守ってきてくれたから。私に優しくしてくれたから。偶にからかったりもされたけど、嫌じゃなかった。ナイトくんは私のことを考えてくれてた」


 大好きなの。


 この勢いで告白されるとは思っていなくて、俺は「ほぉお……?」と変な声を漏らしてしまう。


「大好きなの。お父さんお母さんよりも、大切な人なの。女の子の私が、守られたいじゃなくて、守ってあげたいって思った、初めての人なの」


 オークの首筋に、じわじわと剣がめり込んでいく。鉄であるはずの肌に、ジーニャは易々と刃を走らせ、血を流させる。


「そんな人を、あなたは傷つけたの。どうしてくれるの? ナイトくんが死んだら。ねぇ、怒ってるんだよ、私。何とか言ってよ」


「……!」


 オークはもはや、返す言葉を持たなかった。年ごろの乙女の物言いで、命の危機にさらされるという、異様な体験。それは、オークには難解すぎた。


 それを理解したのか、あるいは興味をなくしたのか、ジーニャは剣を振りかぶる。


「もういいや。さようなら」


 たんっ、と短い音を立てて、オークの首が地面に転がる。血の跡が地面に残り、オークは呆気なく息絶える。


 それが、二度目の村の襲撃事件における、奇跡の勇者、ジーニャ・スレインの誕生だった。

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