第10話 ジーニャ、覚醒

 敵が現れるのは、森の方からだ。


 それは、悪夢の未来で分かっていたことだった。俺たちを保護した騎士団が、そんな風に調査しているのを聞いていたのだ。奴らは森に潜み、作戦を実行に移した。


 だから、森を戦場にして、奴らを抑えればいい。そのための準備は、早々に始めるべきだろう。


 とはいえ、それはそれ。まず俺が取り掛からねばならないのは、ジーニャの覚醒だ。


「……ジーニャ、多分人死にが出るような場面じゃないと、剣を握らないんだよな」


 村の女子は男子と違って、銃剣に見立てた木の模型を使って訓練をする。だがジーニャは銃が禁じられている。故に銃剣も禁じられている。


 また、ジーニャはとてもなので、そういったルールには厳しい。特に自分に。他人には少し諫める程度で諦めてしまうが、自分のルール違反はとにかく拒否する。


 ……とはいえ、一旦持ち掛けてみるか。もしかしたら、すんなり握ってくれるかもしれない。


 ということで翌朝。いつものように遊びに来たジーニャに俺は言った。


「ジーニャ! 今日ちょっと剣の訓練したくてさ、軽くでいいから相手してくんないか?」


「えっ!? だっ、だだだだだだダメだよそんなのっ! お、女の子は剣握っちゃダメって言われてるしっ! ダメっ!」


 思ったよりも抵抗が強い。


 朝食時。二人でスープに黒パンをふかしながら食べている時だった。両親は早々に食べ終えて、さっさと畑仕事に出てしまっている。


 俺は口を尖らせて言い返した。


「何だよ。ちょっとくらいいいだろ? ジーニャの意外な才能が目覚めるかも」


 かも、どころか絶対に目覚めるのだが。意味分からんレベルの才能が。


 しかしジーニャはブンブンと首を振って、あくまでも拒否の体勢だ。


「だ、ダメ……! わ、私、不器用だし。ナイトくんに怪我させちゃうよっ」


「剣の模擬戦で相手を怪我させたら、むしろ大したもんだと思うが」


 もうちょっと粘れるか……? こう、理屈でどうにか。


「そもそも、女子が剣を持っちゃダメってのは、ダメってよりも筋力的な問題だぞ? だから、補助としての銃剣は良いんだし。爺様もそういう風に説明してたろ?」


「だっ、ダメっ! ダメダメダメダメっ! ダメなんだもんっ!」


「あっ!」


 勢いよくパンとスープを食べ終えて、ジーニャは家から飛び出して行ってしまった。


「……普通に誘う作戦は、失敗か」


 俺は頭をひねって、ふぅむと考える。






 思うに、論理的にどうこうというレベルの拒否ではないのかもしれない。


 これこれこういう理由でダメだから、自分は剣を握らない。それならば論理で話せば済む話だ。だが問題は、感情的な部分でかたくなであった場合。


 人間の感情というのは中々難しいもので、基本的に論理と言うのは『感情的にすでに納得している事柄を補強する』程度の効果しかない。


 逆に言えば、論理は感情を動かさないのだ。


「感情の領域で、ジーニャに剣を握らせる、か……」


 剣を握りたくなる瞬間って何だろうか。敵を斬りたくなるときかな。敵か。


「……よし」


 俺は心を鬼にすることに決める。思い描くは悪口大作戦だ。ジーニャの悪口を言って、怒らせ、剣を握らせる。なんて冴えたやり方だろうか。そう考えながら、ジーニャに近づいた。


 ジーニャは村の片隅で、ボーっとしているようだった。大きな岩に腰かけて、足をぶらぶらさせている。


「……今日、何でナイトくん、私に剣なんて持たせようとしたんだろ……? 今まで、あんなこと言わなかったのに……」


 おっと。俺のことを考えてくれているらしい。俺は一旦待って、ジーニャの独り言を聞く。


「私が剣なんて持ったら、危ないのに……。銃だって、一回ナイトくんを撃ちかけて、もう持つのやめるってなったのに」


 そうだっけ? 俺だったか撃たれそうになったの。全然覚えてない。


「それでなくても、私が剣なんか持ってたら、バカにされちゃうよ……。私不器用だし、役立たずだし、ダメダメだし……」


 ……何か、結構根深そうだな……。確かに見学のみの訓練時間は、針のむしろだろう。ジーニャの自尊心を削り切って余りあるのかもしれない。


「……悪口大作戦は中止だ」


 俺はそっとその場を去ることに決める。すでにゼロとなったジーニャの自尊心を削ろうとしても、そのままジーニャを傷つけてしまうだけだ。


 となれば、もう本物を連れてくる必要があるだろう。敵。俺が疑似的な敵を務めるのはジーニャには通用しない。本物の敵が、ジーニャには必要なのだ。






 という事で俺は、ゴブリンにボコられていた。


「いたっ! 痛い! もうちょっと手加減しろ! あててて!」


 森を適当にうろついていると、何か適当なゴブリンが居たので適当におびき寄せたのだ。行く先は先ほどジーニャが黄昏れていた大岩だ。


 俺はゴブリンの攻撃など全て余裕で回避できるのだが、それだとゴブリンが調子に乗って追撃してこないため、程々に痛いくらいの攻撃を食らいながら逃げ惑う。


 そんな状態でジーニャの前に躍り出ると、ジーニャは目を丸くして「ナイトくんっ!?」と叫んだ。ゴブリンがジーニャを見るが、俺は奴らに蹴りを食らわせてヘイト管理。


「ギー!」


 蹴られて怒り心頭なゴブリンたちは、こぞって手にした棍棒で俺をボコスカと殴る。痛い痛い。いいぞその調子だ。いや痛い。結構痛い。あざとかできてそうなくらいには痛い。


 俺はうずくまるカメの姿勢となって叫ぶ。


「じっ、ジーニャ! 助けてくれっ! 痛いよー!」


 気分は童話に出てくる子供にいじめられる動物だ。とても純朴な気持ちで「痛いよー! 助けてよー!」と叫ぶ。


 それからチラリとジーニャを見た。ジーニャは戸惑いながら、状況を掴もうとしている。


「えっえっ、な、ナイトくん、ゴブリンよりもずっと強いよねっ? な、何でそんなことに」


「武器がないよー! これじゃあ戦えないよー! 助けてくれー!」


「な、なるほど」


 ジーニャは何とか納得したらしかった。自分で言うのも何だけど、こんな棒読み演技で良く納得したな。


「で、でも私は戦えないし、あ、あわわわわ、だ、誰か他の人に助けを」


「他の人はここから遠くてダメだよー! ジーニャしかもう頼れないよー!」


「そ、そんな。でも、私がやったら、それこそ今よりひどいことに」


「助けてよー! 痛いよー!」


「う、うぅぅ、うぅぅぅぅううう……!」


 葛藤するジーニャだ。慌てて周囲を見回し、どうにかならないか考えている。


 さぁジーニャよ! 俺を助けるがいい! そろそろマジで痛いぞ! 頭を庇う腕が打撲まみれになっちゃうぞ! 早めに決心してくれジーニャ! 早めに助けて!


「助けてー! マジで! そろそろ! 本当に! 痛い!!!!」


「ううっ、ううううっ、うぅぅうううううううっ!」


 俺の演技に迫真さがこもってきて、とうとうジーニャは追い詰められた。バッと振り返り、木の下に落ちていた木の棒を拾い、剣のように構える。


 木の棒……? ―――あっ! そうか! ジーニャって訓練してないから木刀携帯してないじゃん! それは流石に武器の質が低すぎる。


「なっ、ナイトくんをっ、放してぇっ!」


 声が裏返るほど緊張して、ジーニャは棒をゴブリンたちに向ける。ゴブリンたちはそれを見て、俺から標的をジーニャに移した。


 ジーニャの様子は、それはもう生まれたての小鹿のようにプルプルと脆く震えていて、ゴブリンは「グゲゲ」と勝ち誇るように笑う。


 これは、マズいか? 俺は焦る。


 普通なら、これこそ窮地もいいところだ。三匹のゴブリンに、戦闘に不慣れな少女。これから起こる惨状が、ひどく簡単に想像できる構図。


 いかにジーニャといえども、木の棒では―――


 そんな心配は、すぐに杞憂であると気付いた。


「ゲゲー!」


 ゴブリンたちが、ジーニャに襲い掛かった。子供にも劣る、雑多な襲撃。


 それにジーニャは。


「ひ……!」


 怯み。震える棒の切っ先。しかし怯えにジーニャの身体は強張らない。棒は、まるで、生きているかのように動く。


 うねり。


 三匹のゴブリンたちが、一瞬の内に棍棒を宙に跳ね上げられた。その内の一本を、木の棒を捨てたジーニャは手にする。


「ふ――――」


 それから、肉薄。ジーニャは昨日見せた俺の歩法を、調ゴブリンに接近した。


 叩く。背後に回られ、隙だらけのゴブリンの脳天を。


 本来なら、ジーニャは非力だ。力が足りない。腕力で何物かを殺すことなど出来ない。


 だが、僅かな力でも、打ちどころが悪ければ、生物は死ぬ。


 


 ジーニャは、まるでおいたをした子供を少し叱るような力加減で、ゴブリン三匹の脳天を打った。ゴブリンたちは、ポコン、とでも音がしそうな軽い一撃を受けて、何だと振り返り。


 そのまま倒れ、絶命した。


「……は、ハハ、目の当たりにすると、違うわ、やっぱ」


 俺は、自らの驚愕を少しでも抑えるために呟く。


 ジーニャは、ゴブリン三匹の死体をじっと見下ろしていた。不思議なくらい脆いものを見下ろす目だった。


 世界の全てが、ガラスで出来ていることを知ってしまった、少女の目。


 それから、ジーニャは俺を見た。棍棒を捨て、俺に近寄ってくる。


「だ、大丈夫? ナイトくん」


「あ、ああ。助けてくれて助かったよ、ジーニャ」


「……」


「ジ、ジーニャ……?」


 何を考えているのか分からない、ガラスのような瞳で、ジーニャは俺を見つめていた。それから俺の腕に触れ「痛そう……帰って治療しなきゃ」と言う。


「肩、貸すね?」


「え? いや、そこまでの怪我じゃないって」


「いいから」


「え、何? 怖いんだけど、ぉおっ?」


 俺はジーニャの追撃をかわそうとすると、するりと操られまんまと肩を借りる形になってしまう。え、今何された? 全然分からなかったんだけど。


「やっぱり……」


 言いながら、ジーニャはポツリと言う。


「生き物って、こんなに弱いんだ……ナイトくんも、こんなに……」


 仄暗い瞳でそんなことを言うジーニャに、俺はゾクゾクと背筋に恐ろしいものが入るのを感じる。そんな俺からの視線に気づいたのか、ジーニャは微笑して、俺に言った。


「大丈夫だよ、ナイトくん。ナイトくんは、私が守ってあげるからね……♡」


「……ハイ」


 と、ともかく、こうしてジーニャは覚醒したのだった。……色んな意味で。

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