第9話 奇跡の勇者が如何にして生まれたか

 これは、悪夢の未来の話だ。


 当時の、最初の俺は、村長に熱心に話しかける異様な風体の二人に、『うるせぇな』とただ思っていた。


 それよりも訓練の方が楽しかったし重要だったし、そもそも農家の生まれだ。家の手伝いもちゃんとしなきゃならなかった。つまり、気に掛けていなかったのだ。


 だから、急に村の方針が変わって、訓練がなくなったと聞いて、とても驚いたのを覚えている。


『え、な、何で』


『村長が、決めた』


 爺様はそれ以上何も言わず、静かに隠居生活を送り始めた。村の子供たちは戸惑っていたが、異様な風体の二人は、ニコニコと喜んでいた。


『うんうん! 子供はこんな忌まわしい訓練をするよりも、自由に遊ぶべきです! 大丈夫! 村は我々、「平和の使者」が守ります!』


『専門家に、任せて』


 饒舌な、ひどく小柄な男。とつとつと話す、大男。


 それに、村の人々は適応した。暇になった子供たちは、訓練に割いていた時間の内、半分を家の手伝いに、半分を遊びに使うようになった。


 変化に戸惑っていた村人たちも、すぐに慣れた。親は子供という働き手の時間がより確保できたし、子供たちも遊ぶ時間が増えるのは嬉しかったのだ。


 けれど俺は訓練が好きだったから、不貞腐れていた。俺以外の男子も、そういう面々はそう少なくなかった。女子の大半は、嬉しそうだったけれど。


 当時の俺にとって意外だったのは、ジーニャが一番、訓練の中止を残念がっていたことだった。


『お前、味噌っかすだっただろ。いっつも見てるだけで』


『その、見てるのが楽しかったんだもん……』


 俺が茶々を入れると、ただ惜しむような声色で言ったジーニャは、何だか印象的だった。


 ここまでの変化が、数日の事。気付けば武器らしい武器を、村の中で見ることはなくなった。大人たちが、異様な風体の二人―――『活動家』に渡したのだ、ということだった。


 悲劇が起こったのは、そんな夜のことだった。


『全員手を頭の上に組んで、広場に集まれッ! 魔法を使えば殺す!』


 破られる扉。放たれる火。混乱と暴力。


 訓練されていても、武器を持たない村人たちには、抵抗の術がなかった。すべての家の人間が強制的に連れ出され、集められ、拘束された。


 広場のすぐそばには、魔法を使って抵抗したのだろう村人の、惨たらしい屍の山が築かれていた。


 それを目の当たりにした瞬間、誰もが恐怖に支配されたのだ。


『これで、全員でしょうか?』


 その上に、この暴動のリーダーと思しき二人が現れた。小柄な魔人のインプと、大柄で肌が鈍く光るオーク。


 その二人の姿を見て、村人たちは牙を自ら差し出したのだと知った。


『私たちも、この様な事はしたくないのですが』


 ニタァと気色の悪い笑みを浮かべて、インプが言った。


『皆さんが、神などという汚らわしき存在を信じているから仕方がないのです。そういう連中がいると、土地が穢れてしまう。我々魔族の、住めない場所になる』


『だから、これ、浄化。お前ら、死ぬ。この辺り、綺麗になる』


『本当なら共存がもっとも望ましいのですが、残念です。とはいえ、皆さんの死は無駄には致しません。その血はこの地の浄化に使える。大切に大切に、活用いたします』


 その言葉の直後、村人が一人殺された。子供が生まれたばかりの、若い母親だった。


 阿鼻叫喚の地獄だった。村人たちは次々に殺されていった。


 その叫びと嘆きを見て、インプは『皆さんの悲鳴は滑稽ですね』と嗤い、その血が地面に撒かれる度、『うんうん、土地が綺麗になっていきます』とインプは満足げに言った。


 そこで、爺様が現れた。


 ロングソードを右手に、拳銃を左手に。存在感のない、まるで幽鬼のようにゆらりと現れ、剣閃を走らせた。


 コボルトが数匹死ぬまで、ほとんど誰も、爺様の到着に気が付かなかった。


『魔人は、死ね……』


『っ!? 何者です! コボルトたちよ! 奴を始末なさい!』


 向かって行くコボルト数匹。だが爺様は強かった。瞬時にコボルトたちを蹴散らし、インプとオークの前にたどり着いた。


『ここは、俺が、やる』


 前に出たのはオークだった。爺様はオークと睨み合い、戦いの火ぶたが切って落とされた。


 爺様は果敢に戦った。老人とは思えない鋭い剣を振るい、的確に銃撃で牽制した。


 だが、爺様は数時間に及ぶ戦闘の末、体力が尽きてしまった。


 その胴体に、オークの拳が突き刺さった。


『ガハァ……ッ!』


 爺様の剣が、地面を転がった。その先に居たのが、ジーニャだった。ジーニャを拘束するコボルトは爺様に斬られていて、ジーニャだけが自由だった。


『……っ』


 ジーニャは縄に縛られた前手で剣を掴み、立ち上がった。その手足は震えていた。誰もがもう終わりだと思った。ジーニャに期待する者はただの一人も居なかった。


『おやおや、勇敢なお嬢さんですね。―――コボルト』


 二匹のコボルトがジーニャに近づいた。相手にもならないと思った。すぐそばで様子を見ていた俺は、ジーニャを庇おうと立ち上がろうとした。だが俺の両親がそれを止めた。


 結果は、ジーニャの勝利だった。


『……はい?』


 血煙を上げてコボルト二匹は倒れ伏した。その現象を、誰も理解できなかった。コボルト二匹が急死したという方が、よほど信憑性があった。


 だが、ジーニャの剣は血に濡れていた。ジーニャの目は、すでに恐怖から解放されていた。


 ジーニャは、俺をちらと見て、言った。


『ナイトくん、私、が、頑張るね』


 その頬笑みは、恐ろしいくらい、いつものままだった。


 ―――思うに、ジーニャは、天才だったのだ。


 普段は何の才能もなくて、引っ込み思案のコミュ障で、だというのに一人じゃ何もできない、味噌っかす。しかしそれは、その分の才能が、全て剣技に行っていたから。


 村の訓練方針で、女子は剣の訓練をしなかったから、誰も気づかなかっただけ。ジーニャは触れもしない剣の訓練の見学だけで、戦闘の基礎を理解していた。


 理解に苦しむほどに、ジーニャは天賦の才の持ち主だったのだ。


 だからその先は、ジーニャによる一方的な殺戮だった。コボルトは一匹たりとも意味をなさなかった。最初は取るに足らないと見ていた魔人二人も、段々と真剣みに帯びて言った。


『コボルトッ! 強化です!』


 インプの魔術によって、コボルトは明らかに力を増した。小柄な、二足歩行する犬の体躯は成人男性ほどに巨大化し、獰猛にジーニャに襲い掛かった。


 だが、それもジーニャの前には無力だった。最後に立ちふさがったオークも、同じだった。敵の全てが、ジーニャの剣の前に沈んだ。


 最後にインプが残った。インプは、震え、ジーニャに恐怖していた。


『来るなッ! 来るな化け物め! クッ、これならどうですかッ!』


 インプの魔術が、ジーニャに掛けられた。その時すでに、ジーニャの敗北を予想するものなどいなかった。それほどに一方的だったのだ。


 だが、ジーニャが強いのは、剣だけだった。


 心は、いつも見ているジーニャの通り、弱かった。


『あ……ッ!』


 ジーニャはインプの魔術に掛けられ周囲に警戒の目を向けた。村人たちは、その意味が分からなかった。敵は全てジーニャが殺した。残るはインプだけだ。


 だというのに、何故、ジーニャは追い詰められたような顔をしていたのか。


 その理由を知ったのは、ジーニャが村人を殺し始めた時だった。


『ひ、ひひ、げひゃひゃひゃひゃ! あ、危ないところでした! 本当に危ないところでした!』


 インプが下卑た声で笑った。それから村人全員に、勝ち誇るように大声で言った。


『これから何が起こるのか、皆さんは分かりますか!? そう! その少女による、皆さんの浄化です! 彼女は今素敵な夢を見ているのです! げひゃひゃひゃひゃ!』


『まだ、こんなに敵が居るなんて……ッ!』


 光を失ったジーニャが幻覚を見ていることは、一目瞭然だった。


 村人たちは全員、ジーニャに呼びかけた。正気を取り戻せと。敵はあっちだと。だがジーニャの正気は戻らなかった。戻らなかったのだ。


 結果として、俺以外の村人が、ジーニャの手で殺された。


 俺は、最後の生き残りとなって、ジーニャを見上げていた。ジーニャは無抵抗な俺を、うつろな目で、呼吸に肩を上下させて見下ろしていた。


 俺は言った。


『ジーニャ』


 せめてこの後、ジーニャが苦しまないように。


『俺は、死んでも、お前を恨んだりしないからな』


 ジーニャは、振り下ろす剣を止めた。インプに歪められた感覚の中で、俺の言葉はどう変換されたのか。ジーニャは、頭を抱え、不安に息を荒げ、それから言った。


『ナイト、くん……?』


 ジーニャの目に、光が戻った。だがそれは、遅すぎる覚醒だった。


 インプが何かを叫んでいたが、もはやどうでもいいことだった。ジーニャはあっさりとインプを殺し、それから幻覚の解けた目で村の広場を見た。


『……そんな。そんなことって』


『ジーニャ……! お前は、お前は悪くないよ』


『あ、ああ、私が、私が殺したんだ。この手で、この手で!』


 俺の言葉も届かないまま、ジーニャは崩れ落ちた。声もなく涙を流し、何度も何度も、『ごめんなさい』と繰り返した。


 それから路頭に迷っていた時に、騎士団が俺たちを保護しに来た。俺たちは孤児として扱われ、経緯もあって、揃って騎士団へと入れられた。


 それ以来、ジーニャは笑わなくなったのだ。罪悪感か、贖罪か。あらゆる喜びを自らに禁じ、魔人を殺すことだけを望むようになってしまった。











 夜、俺はその事を思い出して、考えていた。


「この惨劇を回避するための鍵は、ジーニャだ」


 ジーニャは強い。理解が難しいほどに、強い。才能の塊という表現すら適切ではない。何一つ鍛えられていない体で、今の俺では難しい鉄肌のオークを殺してのけるのは、異常だ。


「ジーニャだけが唯一、この村で鉄肌のオークを殺せる」


 だが、ジーニャ一人がいればいいという話ではない。インプ。奴の精神汚染を、ジーニャは一人で克服できない。そうなった時にもたらされるのは、ジーニャの手による虐殺だ。


「インプは、俺の手で取り除く必要がある。インプ排除前にジーニャが来れば最悪だ」


 上手く誘導する必要がある。ジーニャの覚醒を促し、敵の襲撃を読み切って、ジーニャの到着タイミングを操作する。これから起こる襲撃を、裏ですべて支配するのだ。


 俺は、口を引き締める。そして、一人呟いた。


「もう二度と、あんな惨劇を起こさせるもんかよ」


 村の悪夢を、防ぐ。奴らを、皆殺しにする。

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