第2話 のどかな目覚め

「―――――ッ!」


 俺は激しく動悸しながら、勢いよく目覚めた。


 周囲を見回す。丸太造りの家。温かなベッド。差し込む太陽の光。


「……朝……?」


 俺は、目をパチパチとまばたきさせる。魔族に支配されて、太陽はもう昇らなくなったのではなかったか。常に赤い瘴気が垂れこめるのではなかったか。


 立ち上がり、窓を開け放つ。むせかえるような血の臭いはなく、入ってくるのは自然の、少し冷たくて澄んだ、心地よい空気。


 窓の外にあるのは、のどかな田舎の村々だ。俺は一瞬惑い、それからハッとした。


「これ、俺の家だ」


 生家。それすら忘れていた。俺は頭がガンガンするのに顔をしかめて、鏡を見る。


 そこにいるのは、記憶よりもいくらか若い、かつての俺の姿だった。年は恐らく15、6ほど。まだまだ少年と言っても差し支えない年ごろだ。


「……マジか」


 俺は呆然として、ベッドに座り込んだ。それから、上半身裸になる。


 見下ろす体には、ほとんど刺青が走っていない。右手の甲。そこにとてもシンプルなものが入っているばかりだ。


 つまり、最初の魔法印。何も成長していない、魔法を授かったばかりの証拠だ。


「……うわぁ~~~……」


 俺は脱力して、ベッドに身を投げだす。何せ、理解してしまったのだ。


 俺はどうやら、人類敗北前の時間まで、さかのぼって悪夢にしたらしい。






 人類は敗北した。魔人の策略で弱体化され、呆気なく。


 何が起こったかと言えば、内乱だ。奴らは人間に嘘をつき、扇動した。それにまんまと人間は引っかかった。人類は人間同士で殺し合った。


 そうして疲れ切った人類に、満を持して魔王軍は現れた。万全の準備を整え、人類を駆逐するために。


 結果人類は滅んだ。生き残った僅かな人類も、奴隷として酷使され、やはり死んだ。


 俺はそんな中で、一人抵抗していた。


 魔人に占領された都市を滅ぼし、魔王軍の幹部を何人も殺し、魔王をギリギリまで追いつめ―――とうとう屈服した。


 しかし今は、人類敗北よりもずっと前。恐らく、俺が魔法を授かった直後くらいの時代にまで遡っている。


「夢魔法すご……」


 俺は改めてほけーっとしてしまう。あんな絶望から『全部やり直し!』ができるとは。何だそのどんでん返しは。


 タイムリープ。どこかで読んだ本では、過去に戻れたらどうなるか、という事を題材にしていた。


 最後の夢魔法で、俺はタイムリープしたのだろう。あそこまでの未来を、すべて夢にして、なかったことにした。つまり、当時の記憶だけ持って、タイムリープしたようなものだ。


 一瞬「全部本当にただの悪夢だったのでは?」という気すらしてくるが、理性がそれを否定する。


 ―――アレは、現実だった。悪夢となったが、現実だったのだ。


 となれば、変えなければならない。未来を。人類の敗北を、阻止せねばならない。


 そこで、俺は玄関扉が開く音を聞いた。ガバッと上体を起こし、警戒する。


 しかし、気配で何者かが何となく分かって、息が止まった。先ほど―――あるいは遥か未来で肉塊となっていた、幼馴染の気配。


 扉が、開く。


「お、おはよう、ナイトくん……? お、起きてますか~……?」


 おずおずと姿を現したのは、前髪を長めに伸ばした、深い青色の髪の少女だった。俺はその姿を見て、ホロリと涙が流れる。


「わっ、ご、ごめんねナイトくんっ。お着換えちゅ……えっ、えっ、な、何で泣いてるの?」


「……いや、ゴメン。何でもない。着替えるからちょっと待っててくれ」


 俺は涙をぬぐい、微笑みを返す。彼女は心配そうにしながらも、ぎこちない動きで「わ、分かった……」と戻っていく。


 扉が閉じられるのを待って、俺は震えを抑えるのをやめ、静かに静かに、声を絞り出した。


「……本当に、本当に俺は、悪夢から覚められたんだな、ジーニャ……ッ!」


 叶う事なら、今すぐ扉を飛び出して抱きしめたい。だが、そんなことをしては驚かせてしまうことだろう。俺はひとしきり泣いてから、スッキリした気持ちで着替え、部屋を出た。


「あ、ナイトくん。そ、その、改めて、えへ、お、おはよう」


「ああ、おはようジーニャ」


 幼馴染であるジーニャは、キョドキョドしながらも、このログハウスの食卓でスープを飲んで待っていた。そうだ、かつてはこのくらい距離が近かったんだ、と思い出す。


 ジーニャは同じ村の出身の、隣の家に住む同年代の友達だった。幼馴染。だからほとんど家族のようなもので、本当に近い距離感だったのだ。


 とすると、今ってアレか。悪夢よりも十年近く遡ってるのか。流石にいくつか記憶が朧気だ。


 俺はジーニャの隣に座り、まじまじとジーニャを眺める。ジーニャはしばらくスープを飲んで体を温めていたが、段々俺の視線に動きをぎこちなくさせた。


「え、な、何? どうしたの? ナイトくん」


「いや……ジーニャってそんなんだったっけ? って」


「あ、朝一番からディスられてる……?」


 俺はあごを撫でながら首を傾げる。おかしいな。記憶のジーニャはもっとクール系だった気がしたんだけど。常におどおどしていて、これじゃあコミュ障だ。


 ―――奇跡の勇者、ジーニャ・スレイン。


 ジーニャは、悪夢の未来では『人類最後の希望』『奇跡の勇者』と民衆から呼ばれていた。剣一つで、恐ろしいほど淡々と魔人たちを殺しまわっていたのだ。


 俺はジーニャに、ただ憧れた。俺が強く印象に残っているのは、そういうジーニャだ。


 それが、ジーニャが魔王軍の手に堕ちる前、だいたい8年後。


 では今は? 俺は今のジーニャを見つめて、戦力的に分析に掛ける。おかしい。十年前とはいえ、ほとんど鍛えられていない。俺の知ってる奇跡の勇者様じゃない。


 俺は難しい顔をして息をつく。


「記憶飛んでんなぁ……まぁいいや。生きてるだけでいいよな」


「と、遠回しにバカにしてる……?」


「してないよ。ジーニャは可愛いな」


「!?」


 ジーニャは立ち上がる。


「きょっ、今日のナイトくん、変! 朝から泣いてるし! わっ、私のこと可愛いっていうし!」


「バカにするのを入れ忘れてるぞ」


「そ、それはいつも……」


「えぇ~? そっかぁ~ごめんなぁ~?」


 俺は笑いながら平謝りだ。あーそういえば一時期はこのくらいの距離感だった気がする。ちょっとずつ当時の感覚を思い出しつつある。


 ともあれ、だ。


「まぁまぁ、心機一転、仲良くやってこうぜ。な?」


「……やっぱり変……。いつもはバカにしてイジメてくるのに……」


 俺そんなクソガキだったっけ?


「何でそんな奴の家に入り浸ってんだ?」


「え……? な、ナイトくんのからかいは、その、……そこまで嫌じゃない、というか、えっと」


 俯いて前髪で表情を隠し、たどたどしく言うジーニャ。俺は愛しさが爆発して、つい抱きしめてしまう。


「ああああああ! お前もっとツンケンした奴だと思ってた! めっちゃ可愛いじゃんジーニャ! これから仲よくしような! な!」


「ひゃ、ひゃぁぁああ……っ?」


 俺はジーニャの頭を抱きしめて頬擦りする。そこまで嫌がってる感じもないので、ひとしきり可愛がってから、俺は考える。


 ひとまず、俺は悪夢の魔法で十年前まで戻ったらしい。であれば、すべきことは一つだ。


 すなわち、魔王軍を滅ぼす準備。それだけは、俺がしなければならない。


 俺は、小さく、膝の上のジーニャにすら聞こえないほど小さな声で、呟く。


「もう、大切なものを失うようなことはしない」


 ジーニャも、人類も、すべて守って、勝ちに行くぞ。

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