幼馴染を失った夢魔法使い。居眠り魔法と馬鹿にされた【夢魔法】で二周目世界をやり直す。〜その攻撃は効きません。夢魔法で全部夢オチにするので〜

一森 一輝

故郷炎上編

第1話 悪夢の夜明け

 哄笑が、上がっていた。


「ギャハハハハハ! まさかこんな簡単なことだったとはなァ」


 牢屋。鎖。俺は上半身裸で、両手を手錠に繋がれ、磔にされるような格好で牢屋に拘束されていた。


 目の前でしきりに笑っているのは、魔王軍幹部の男だ。魔人。人類を滅ぼし地上を乗っ取らんとする地獄の使者ども。


 奴らに、人類は敗北した。


 俺は、もう抵抗する気は失せていた。魔王軍に屈したのだ。


 魔人は。魔王軍幹部、『嘘と煽動のハウレス』は、俺の髪を鷲掴みにして勝ち誇る。


 炎のような目をした、半人半豹の姿の魔人だった。豪奢な貴族服に身を纏いながら、ゲタゲタと笑って俺を見下ろしている。


「まさか、こんなに簡単なことだとは思わなかったぞ、ナイト・メアンドレア。―――悪夢の勇者。魔王軍最後にして最大の敵。人類の放った最後の恐怖と絶望よ」


 目を細める。『悪夢の勇者』。俺の異名。


 勇者と言っても、呼ぶのは人類ではない。人類はもうとっくに息絶えるか奴隷になり果てている。俺を勇者と呼ぶのは、魔人だけだ。


 勇者。魔王を殺す者。だが、そこに意味も恩恵もない。名ばかりの異名だった。


「……どうとでも言え。代わりに、契約は果たしてもらう」


「分かっている、分かっているとも。ギャハハハハハ! 我々『悪魔』に数えられる上級魔人は、契約に際して嘘は吐かない。だからこそ、お前は私と契約した。だろう?」


「……ああ」


 豹の魔人ハウレスの膝蹴りが、俺に炸裂する。俺は絶息して、せき込み、よだれを垂らす。


「ああ! ああ! お前を甚振るのがこんなに爽快だとは知らなかったぞ、悪夢の勇者! アレだけ! 散々苦労させられたのだからな!」


 ゲタゲタと笑いながら、ハウレスは何度も何度も俺に膝蹴りを食らわせる。


「お前ひとりに、一体何人の悪魔たちを殺されたことか! 下級魔人ではない。高級魔人、悪魔がだぞ! 強力な魔力を有した魔人貴族たちが、お前にとっては雑魚も同然だった!」


「ぐっ、が、ぎぃっ」


「魔王四天王も全員お前に殺された! 魔王様すらお前から瀕死で逃げだした! お前ひとりに、魔王軍は壊滅しかけた!」


「がぁっ、ぐっ、ぁがっ!」


「だが! だが勝利したのは私だ! 元序列64位の悪魔の大公爵! 『嘘と煽動』のハウレスだッ! ギャハハハハハハハハハハハハッ!」


 息を乱して、高笑いを上げ、ハウレスは勝ち誇っていた。その様子を、奴の召使だろう下級の魔人たちが見つめている。


 そこに宿るのは、恐怖だ。視線の先には俺が居る。契約さえなければ。魔法封じの手錠さえなければ。ハウレスともども、俺が一瞬で薙ぎ払っただろう雑魚ども。


 だが、もういい。俺は、何も思わない。疲れてしまったのだ。孤独に。終わりに。疲れてしまった。


 内臓に激しい鈍痛が走っている。繰り返される膝蹴りに、内臓が破裂したか。激しくせき込むとともに、俺は血を吐いた。「おっと」とハウレスは目を丸くする。


「死んでくれるなよ? 契約を果たす前に死なれては、このハウレスにも大いなる災いがもたらされる」


「……心配するな。俺だって、契約を果たす前に死ぬつもりはない」


 俺は顔を上げる。ハウレスを睨み、言う。


「早く。……早く、俺の幼馴染に会わせろ。お前のところで奴隷になってるんだろ。ジーニャ・スレイン、……俺の幼馴染は」


 俺が急かすと、ハウレスはふくくっと笑う。


「ああ、ああ、分かっているとも。かつての人類最後の希望。『奇跡の勇者』は私の下で生きている。契約通り、果たそうじゃないか」


 ハウレスと俺は目を合わせる。俺は睨みつけ、ハウレスは見下し、言葉を重ねた。


「「『悪夢の勇者』ナイト・メアンドレアが悪魔ハウレスに身柄を明け渡す代わりに、『奇跡の勇者』ジーニャ・スレインを解放する。その際、契約履行を確認するため、『悪夢の勇者』はその解放を直接確認する」」


 ニタァ、とハウレスは笑う。それから背後に控えていた魔人たちに「おい、連れてこい」と命じる。


 下級魔人たちがその場から居なくなるのを確認して、ハウレスは俺に語り掛けてくる。


「しかし、まったく、こんな簡単なことで、お前が屈服するとは思わなかったぞ、『悪夢の勇者』。それだけ幼馴染が大事だったかね? ん?」


 嫌らしい笑み。俺は俯いて、歪に微笑を返す。


「……そう、だな。大事だったって、気付いたんだよ。今更な」


 強くなればいいと、かつては思っていた。だから必死に魔法を鍛えた。


 『魔法印』。体に植え付け、刺青を媒介に成長していく、人間の神の似姿。


 俺は自らの身体を見る。裸にされた上半身。そこには無数の刺青が神秘的に走っている。この魔法印が成長するほどに、人間は人から神に近づいていく。使える魔法も増える。


 だが、十分に魔法が強くなった時、すでに人類は敗北していた。


 守るものがなければ、強さなどには意味はない。暴れまわったからこそ、その無為を強く突きつけられた。


「それで契約を持ち掛けたのだな? ふくくっ、ギャハハハハハッ! まぁいい、いいさ。それで私は、魔王様から新たなる四天王に抜擢される大出世をするのだからな!」


 そこで、ハウレスは背後の気配に気づき、「おお、悪夢の勇者。ついにお前の、待望の相手が来たようだぞ?」と振り返った。


 俺は言葉を失った。気配で分かった。幼馴染が、ジーニャがそこにいる。息遣いでそれが分かる。


 本当に生きていたのだ。本当に。俺は唇をかみ、涙をこらえる。


 自分が一人ではないと分かる。それだけのことが、こんなに嬉しいなんて。


 例え今は、触れ合えるのがこの一瞬でも。ジーニャが自由になれば、きっと遅れて俺を助けに来てくれる。そうなれば、俺はこの孤独から救われる。


 俺は息を整え、それから顔を上げた。どんなに傷だらけでも、生きていればいい。ひどい姿かもしれない。それでも、ジーニャなら―――


 そう思って上げた視線の先に居たのは、醜く蠢く、知性なき肉塊だった。


「……は?」


「―――プッ、ギャアアハハハハハハハハハハハハハ!」


 腹を抱えて、ハウレスは笑う。嗤う。


「ぷっ、クククッ。おっ、ブフォッ! お望みのっ、ふくっ、お望みの奇跡の勇者、ジーニャだぞっ、悪夢の勇者っ、ぷっ、ギャハハハハハ!」


「は……い、いや、お前、これ」


「何だ? 何か不満でもあるのかァ? 正真正銘、これは、ぷっ、き、奇跡の勇者だぞ? クッ、ああ、ダメだ、笑いを堪える事ができないッ! ギャハハハハハハハハ!」


 その場で笑い転げながら、ハウレスは言う。俺はそれが到底信じられなくて、肉塊を見つめる。


 それは、醜く蠢きながら、俺を見つめていた。蠢く瞳が、一心に俺を見つめていた。それで、分かってしまった。この視線。


 この肉塊は、ジーニャだ。


 大切な幼馴染のジーニャ。奇跡の勇者なんて呼ばれ、いつしか遠い人になって行ったけれど、それでもずっと想っていた。


 俺はそこで、気付くべきだったのだ、と思った。俺を苦しめるために、ジーニャが苦しめられない訳がないと。孤独に狂い、ジーニャの無事を疑わなかった俺が悪いのだと。


 俺は、騙されたのだ。


 ハウレスが笑う。


「ブフォッ、ククッ、ど、どうしたのだ? アレだけ望んだ、待望の再会だろう!? さぁ、歓喜の声を上げ、熱く抱擁すべきだろう! とうにの拘束は外してある」


 肉塊が、俺にゆっくりと近寄ってくる。牢の石畳の小さな段差に倒れ、それでも惨めに、すがるように、俺に近寄ってくる。


 そして肉塊は、俺を見上げた。つぶらな瞳で。まっすぐな瞳で。あの時と変わらない瞳で、俺を。


「―――――」


 悪夢だ、と。そう思った。


「……あ」


 俺の中で、何かが壊れ始めた。これを現実だと認められなくなった。


「ああ、ああああ、あああああああ!」


「ああ、悪夢の勇者。とうとう壊れてしまったか? ギャハハハッ! いい気味だ! いい気味だ! アレだけの冒涜と恐怖には、絶望が似つかわしい!」


 ハウレスの言葉など、もうとっくに頭に入らない。俺は頭を振り乱し、叫び、繰り返す。


「これは悪夢だ、これは悪夢だ、これは悪夢だ、これは悪夢だ!」


「ギャハハハハハッ! 惨めだなぁ! 惨めだぞ悪夢の勇者! 様を見ろ! 様を見……ん?」


 感情の昂りが、深い絶望が、俺を祝福する神に届いたのが分かった。魔法印が成長する。体の刺青が勝手に範囲を広げる。最後の魔法が俺に宿る。


「悪夢だ! 悪夢なら覚めるもんだろ!? 終われ! 終われ! 終われ! 悪夢は早く終われ! 終われよぉッ!」


「貴様、な、何を、何をしている? やめろ。やめろッ! 何をしている! クッ! おい! 奴の拘束は魔法を阻害するのではなかったか!」


「ハッ! 閣下に報告いたします! あ、悪夢の勇者の拘束は非常に強力なもので、人間ならば必ず拘束できます! し、しか、しかし」


 ハウレスに答える下級魔人が、震える声で続けた。


ッ!」


「―――――ッ! 殺せッ! 今すぐ悪夢の勇者を殺せッ! いや、私がやる! 今すぐ死に絶えろッ! 勇者ァッ!」


 ハウレスの爪が俺に向かい来る。そこで、肉塊が―――ジーニャが動いた。俺を庇って、ジーニャが悪魔の爪に貫かれた。


「ぁ……」


 肉塊に埋もれたジーニャの瞳が、優しげに俺を見つめた。そのまま肉塊はとろけ、ハウレスの爪にまとわりついて溶ける。


 死んだのだ。


 俺の所為でここまで苦しんだジーニャが、俺を庇って死んだのだ。


 俺は呟く。


「悪夢だ」


 拘束が消える。悪夢の中に虚構と化し、現実から消える。俺は拘束を失って、牢屋の中に崩れ落ちる。


「ひ……ひぃ……! クソ、クソクソクソクソッ! 悪夢が、悪夢がやってくる! 終わりだ! 魔族は終わりだッ! 悪夢の勇者が、悪夢の神が降臨し、」


 ハウレスが消える。ハウレスという夢が覚める。跡形もなく。あるいは、最初から夢だったかのように。


「ひっ、だ、誰か助け、」


 下級魔人が消える。下級魔人という夢が覚める。


 俺は動かない体で、溶けたジーニャの肉塊を見つめた。


 こんな、こんな悪夢が、現実であって良い訳がない。なら、これは悪夢だ。すべて、すべて悪夢なのだ。


 だから、覚めよう。悪夢から。人類が敗北し、全てを失ったこの悪夢から。


 俺は、魔法を唱える。


「ロング・ロング・ナイトメア」


 そして、全ては悪夢となった。

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