第1話 ヘッドホンの奥の少年と太陽みたいな美少女

 真夜中の、電気を切った暗い部屋。目の前には、チカチカと眩しいパソコンの画面。キーボードをカタカタ鳴らし、俺、鳴無奏太(おとなし そうた)は作業を行っていた。


「ここをこうして……っと。出来た。確認するか」


 そう呟きながら、再生ボタンをポチッと押す。そこからは、先程まで作業していた結果がヘッドホンの中へ流れていく。それを聞き終えた俺は、顎に手を当てた。


「これでよし、かな。引っかかる所もないし」


 そこからまたキーボードを鳴らし、少し作業をする。これを動画サイトへ投稿するのだ。歌も何も入っていない、ただのBGMだけの作品だが。自分でDTM(デスクトップミュージック)で作ったのだ。これが俺に出来る唯一の事だった。


 部屋の時計を見ると0時を大きく回り、時計の短針は2時を示していた。

 動画サイトへの投稿もすんなり終わり、地下のこの部屋から自室に戻り、ベッドへ横になる。

 俺は決めていた。今回作った作品を最後にしようと。チャンネル登録者なんて1人だけ。1桁の再生回数。ほぼ誰にも見られない。歌が下手くそで歌えないからBGMだけ。そんな音楽なんて誰に需要があるんだ。概要欄には歌詞も書いてあるが、それなんて読まれやしないだろうと。その概要欄に、「今回が最後になります。ありがとうございました」と一言添えて。

 俺の音楽を作る人生は幕を閉じ、ただの、何者でもない俺の人生が始まるだけだったんだ。


 ※


 ジリリリリ……!

 スマホのアラームが部屋中に鳴り響く。俺は薄目になりながら、アラームを止める。


 「あぁ……、朝か」


 俺は少し気だるげに起き上がる。スマホの画面を見てみると、7時15分を回っていた。「ふぇ……!」と変な声が出てしまった。これ以上布団にいたら遅刻確定だ。タンスの中から、制服を引っ張り出し、そそくさ着替える。


 ある程度の身だしなみを整え、机の上にあるヘッドホンを首にかけ、部屋を後にした。


 階段を降り、リビングに向かうとツインテールに結って俺とは違う大きいくりくりした目をぱちくりしながら目玉焼きの乗った食パンをウサギのようにムシャムシャ食べる三つ年下の妹、鳴無 澪音(おとなし みおん)と俺は目が合った。


 「おはよ、お兄」

 「おはよう、澪音。あれ? 母さんは?」

 「お兄が遅いから、先に仕事行ったよ」

 「あぁ……、なるほどな」


 母は、小学校の先生をしているため、どうやら先に家を出たようだ。俺は居間の落ち着く場所へ置いてある仏壇へと向かう。


 この仏壇は、父である天童 響の仏壇である。三年前に突然の心臓の病気で亡くなってしまった。俺にとっては憧れであり、目標だった。父は、国内でも有名なバンド「Ego Advocate」のベーシスト兼作曲家として活躍していた。バンドとしても、国内の大きな舞台にいくつも立ち、音を響かせていた。

 俺も昔、父に何度も招待されて、ライブを見せてもらった。それは凄くて、言葉にできない。でも表現するなら、華やかで、騒がしくて、でもみんながそれぞれの楽しみ方で、現実から切り離された世界として、参加している人たち全員が、目の前の四人が奏でる音楽に浸っていた。何万人もの人を楽しませていた父は、かっこよかったしいつまでも忘れることのない後ろ姿が脳に焼き付いている。


 「父さん、おはよう」


 俺は、そう呟き、数秒拝み、妹が席についているテーブルへ向かい、朝ごはんに手をつける。


 「いただきます」

 「どうぞどうぞ」

 「澪音が作ってないだろ」

 「てへ!」


 妹の澪音とは、しょうもない掛け合いをするくらいには、なんだかんだ仲がいい。俺が話せる数少ない人物だ。


 俺が、ムシャムシャとパンを食べ始めると、

 「お兄、昨日も曲作ってたでしょ?」

 「ゲフンゲフン……!」

 唐突な投げかけに驚き、咽てしまった。それを見て澪音はふんわりとしたため息を吐く。

 「お兄の音楽、結構好きだから、動画サイトにあげてみればいいのに……」

 「いや、俺のは、感情とかぶつけてるだけだから……」

 「それがいいんじゃん。お父さんの曲と似て聴き心地がいいよ。てか、作ってることには否定しないのね」

 「否定したってバレるじゃん」

 「まあね。私、心が読めちゃうからねー」

 「そんな能力、身内にあってたまるか」


 そんな掛け合いをしつつ、俺は、パンを食べ終える。


 「ごちそうさま」

 「はいはいー。皿は洗っとくから、早く行きなよ。電車乗らないとなんだし」

 「ありがとう。助かる」


 俺は、床に置いていた、肩掛けカバンを持ち、玄関へ向かう。


 「いってきます」


 そう呟いてから、玄関の扉を開く。

 生まれた時から変わらぬ街並み。高校二年生になった俺の目の前に広がるこの景色。春の小鳥のさえずりや、子供がワイワイと騒ぎながら歩く姿。桜は散って、視界に緑がちらちらと入るくらいの四月の終わりのこの時期は、四月が来ていたウキウキした心がポツンと無くなり、すきま風が吹き抜けていくそんな感じがする。俺は、周囲の音を書き消すように首にかけたヘッドホンを耳に当てて、スマホから音楽を流す。登校時に流す曲はBlue sheepsの「暗がりの世界」だ。この曲は俺がこのバンドを好きになった曲であり、暗い世界だって、前が見えない世界だって道があって、自分らしく生きていけというメッセージ性が強く、この曲に支えられた部分は大きかった。俺は尊敬するバンドの一組だ。


 俺は、自分の音も消して、陰を消して、街並みに潜れていく。


 何も変わらぬ日常から、学校まで。いや、学校でさえも、背景になることに尽くす。

 電車に揺られ、二十分。俺の通う日比野高校に辿り着く。正門を抜けて昇降口へと向かう。


 部活も公立の中でも、盛んで様々な場所から声が聞こえる。俺は学校の喧騒は苦手だ。ザワザワと脳の中に反響するような音が多すぎる。ガヤガヤ、ワーワー、ドタバタ、うるさい擬音ばかりだ。そんな音たちをヘッドホンで遮って、教室へと向かう。教室にたどり着いてからは、ヘッドホンをしてるかつ。二年に上がった時のクラス替え後の自己紹介も、


「鳴無奏太です。趣味は無趣味です。よろしくお願いします」


 と、印象が極力残らないように振る舞った。そのおかげかクラスのみんなは話しかけてくることはない。まぁ、俗に言うぼっちと言うやつだ。これは俺自身が望んでやったこと。俺が目立つことはいけないんだ。

 そんな中、


「おっはようございま〜す!」


 とヘッドホンで聴いていた音楽を貫通するような大きな芯のある声が教室中に響きわたる。それを聞いたクラスメイトはみんなその声の主にこだまするように挨拶をする。


 その子は、凛としていて目鼻立ちも整っている。髪は少し青みがかっている黒髪のロングヘアーだ。そしてそこから制服なのにもかかわらず身体のラインがしっかりと出ているというスタイルの良さ、神様は天に何物与えてるんだと言わんばかりの少女だ。性格も明るいからクラスのみんな、いや、学校の人間、特に男子からの人気が凄い。まるで天使と言われている。その彼女の名前は、弦深 紡(つるみ つむぎ)だ。


 彼女はクラスメイト全員に、目を合わせながらとても愛らしい笑顔を振りまきながら挨拶をしていく。それはもちろん俺に対しても。


「おはよう! 鳴無くん」

「おはようございます」


 そのまま笑顔のまま振り返り、後ろ髪が宙を舞う。いつも素っ気ない態度を俺はとる。関わる人物を減らしたいのだ。増やしたところでいいことはないだろう。


 俺はヘッドホンをし、机に突っ伏して寝たフリを続けていると、肩をポンポンと叩かれる。まぁ、予想はつく。でも仕方なく付き合うのだ。


 「何?」

 「おはー! 奏太ー。相変わらず元気ねぇなぁー」


 こいつは俺の小学校からの腐れ縁でと先程の美少女とは違うギラギラとした眩しさを持つのが、新開 遥歩(しんかい あゆむ)だ。右耳にアクセントになるような、銀のピアスをダークブラウンの髪色をしている。俺の事を小さい頃から知っているため、周りから浮いている俺の事を気にせず話しかけてくる。


「俺は眠いんだよ。あと人と関わるのめんどくさいんだが?」

「おいおい、腐れ縁の俺にまで言うか? それ。多少は心配してんだぞ多少は」

「多少ならしなくていいぞ、おやすみ」

「おいおい寝るな! 起きろ!」


 身体を揺さぶられ、仕方なく起き上がる。

 そうすると、遥歩はいつも通り何があったこんなことがあったーって話をしてくる。俺といて楽しいのだろうかと毎日頭をよぎるのだが……。まぁ、聞くのは野暮な気がする。どうせ、


「俺が楽しいからOK! お前が気にすることなんて何も無いぜ!」


 とか眩しい陽キャの対応をされるに違いない。明るすぎて俺にとっては眩しいくらい。でも、そんな遥歩のこういうとこに助けられる所はあるが。


「奏太、ホントにクラスに友達いないん?」

「いないよ。作る必要ないし」

「えっ? あぁ、分かった。俺がこうして通い妻してるからだろ?」

「違うわ、アホ」


 俺は遥歩の脇腹をチョップしてツッコミする。


「なら、飯くらい作りに来てみろ」

「料理の腕でお前の母さんには勝てないから無理だわ」

「あの人、酒飲んで飯作ってるだけだぞ」

「それであのうまい飯作れるんだから、すごくないか? あと酒飲んでる聖園(みその)さんの姿なら簡単に想像つくわ」

「だろ? だから遥歩が通い妻した所で何も変わらん」

「確かになー。あっ、今度飯食べに行ってもいい? 澪音ちゃんにも会いたいし」

「澪音は嫁にやらん」

「まだわかんねぇだろ!」


 なにとない掛け合いをする。学校では、本当に遥歩くらいしかしない。そうこうしてたら5分前の予鈴が鳴る。


「戻らねぇと。またな、奏太」

「おう、また」


 クラスに友達も作らないやつに、こうして付き合ってくれる。眩しい奴。幼なじみだからというものもあるが、お互いの距離感が分かってるから出来る事だろう。他の人とこんな距離感が出来る気がしない。特にあの太陽のような弦深さんとなんて尚更である。


 当の本人の方を見ると、「私の好きな人がまた動画上げてて〜聞いて〜!」と友達に話していた。今時の若者って感じだ。邦楽ロックオタクの俺が言うのもなんだけれど。

 するとガラガラーっと教室の前の扉が開く。


「おうおう、席に戻って座れー」


 そんな声を気だるそうに、教室に響かせて入ってくるのは担任の伊瀬 瑞季(いせ みずき)。若干ゆったりしたトップスとふわっとしたスカートを身につけて。この人万年気だるそうなこの調子だが、授業は要点をしっかり伝えてくれるおかげで分かりやすいし、生徒の相談には割と真剣に聞いていたり、スタイルは服に誤魔化されてるけれどかなりいい方みたい。そういった事がありクラスの男女両方から人気がある。この人の授業も分かりやすくて俺も好きだ。


 先生によりHRも一通り終わり、一限目の授業のチャイムが鳴り響く。毎日のこのチャイムが、俺にとってはただひたすらに苦しい。胸が痛い、息が苦しい、皆には気づかれないように誤魔化して……。まぁ、陰の俺には誰も気づくことなんてないだろうが。


 

 俺は学校が嫌いだ。勉強もそこそこ。この高校は俺にとってはレベルが高くて入れたのも奇跡に近いくらいのレベルだ。運動なんて大がつく程大嫌い。そりゃあもう酷い。ボールを投げれば、進行方向とはあらぬ方向へ飛んでくし、走ってみれば、後続から来た人に抜かれるくらい鈍足で。幼稚園の頃から笑われてきた。人よりも出来ないと。ずっと、ずっと。トラウマだ。

 そんな俺でも、誇れる事が一つだけ。一つだけあったのだけど……。


 

 お昼休みになった。誰もいない屋上で、食堂で買ったコロッケパンを一人で頬張る。一人はやっぱ気楽でいい。屋上での騒がしさはない。ボーッと、何も考えなくていい事が出来る、貴重な時間だ。そんな時間にスマホの画面には通知が。


 昨日の夜、投稿した動画に対してのコメントだった。そのコメントの主は「フィラトゥーラ」という人から。この人は毎度投稿する俺の動画に唯一コメントをくれる人だった。


『今回の曲もとても良かったです! 特にサビに入る前のメロディーが一段重く、だけど、サビに入った途端の飛び跳ねるようなたった一つの音がお気に入りです。何かから抜け出したい、そんな想いが奥底にある気がして……。上手く言葉に出来なくてごめんなさい。また次の曲待ってます。応援してます、頑張ってください!』


「次の曲ね……」


 それはもう作ることなんて出来ない。だって、今回の曲でもう諦めたんだから……。


 そんな事を考えてたらいつの間にか5分前の予鈴が鳴る。これは戻らなくちゃまずいと、俺は手に持ったコロッケパンを急いで食べた。


 午後の授業も変わらず、何とか授業内容に食らいつきながら過ごしていくと、放課後である。今日は木曜日。俺が学校の中で唯一好きな曜日なのだ。俺は教室から人がいなくなるまで、ヘッドホンで耳を塞いで時間を過ごす。一時間も経たないうちに、俺一人になったところで、廊下を出て職員室へと向かう。


 コンコンコンとノックして、「失礼します」と一言挨拶する。すると、何人もの先生がコーヒーを飲んでたり仕事をしたり、先生という仕事はホント大変だなと、俺は尊敬する。

 そんな中、一人の先生がこちらへ視線が向く。


「あっ、来たなー!」

「どもども、こんにちは」


 この先生は、この学校の吹奏楽部の顧問の先生の和泉 美佳先生。三つ編みで大きな丸ぶちのメガネをかけてるほんわか系の先生。普段は「あらら〜」なんて口調なんだけど、音楽に関してになるとテンションが上がるようで少しフランクへと変わる。俺が来るということは音楽に関することになる。


「先生、いつもの鍵貸してください」

「木曜日だから、吹奏楽部休みだもんねー。はいはいー」


 和泉先生は、鍵の収納箱から、音楽室のタグが付いた鍵をこちらへ渡す。


「はい、これ。無くさないでね」

「無くさないですよ。それくらいの常識はありますから」

「君は真面目だしねー。無くさないか」

「えぇ、もちろん」


 先生は椅子に座り、コーヒーを一口すすり会話を続ける。


「ねぇ? 今からでも吹奏楽部入らない? 君は逸材なんだけどなー」

「すみません。何度も言いますが、誰かと音楽をやるつもりはないんです」

「そっかー、あれだけ綺麗な音が出せるのにね」

「そう聞こえるのは、先生の心が綺麗だから聞こえるんだと思いますよ」

「それ、普通に口説き文句になりそうだけど?」

「俺がそんなことすると思います?」

「しないの知ってるよ。冗談」


 ふふっと笑う先生。いつも誘ってくれるのに断って申し訳ないという思いが募る。


 俺は、「失礼しました」と職員室を出る。そこからは早足だ。急いで弾きたい、弾きたい、弾きたい。たどり着いたのは、音楽室。

 そこには誰も居なくて、夕焼けの光が黒いグランドピアノを照らしてる。俺はこの眩しい景色が大好きだ。夕方と夜の狭間のこの時間が俺にとってはとても尊くて、言葉に出来なくなる。

 ピアノ開けて、椅子に座る。鍵盤に指をかけて、一呼吸。息を吐いたところで、メロディーを紡ぎ出す。それは昨日作った曲だ。やはり、電子から出た音と、鍵盤から出る音じゃ全く違くて。ピアノからはとても重くて、荘厳で心にズッシリとのしかかられるようなそんな感じがする。俺はこの放課後のピアノを引くために学校に来ていると言っても過言じゃない。この時間が、学校で過ごす中で一番好き。一人で音楽と向き合える気がする。

 一番を弾き終えて、二番に入ろうかなと指を滑らせようとしたその時だった。


 バタン――!!


 おもいッきり音楽室の扉が開く。俺はその方向へと顔を上げると、そこには息をあげながらこちらを見ているその人は、


「君……なんでその曲知ってるの?」


「えっ……」


 そこに立っていたのは、うちのクラスの美少女、弦深 紡だった。

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