Case1ー3 そして微睡むアンダードッグ

 ──そして、一ヶ月が経ったある日の夜。

 三日月の光が差し込む病室で、昏倒から目覚めた汐里はイルに現状を教わっていた。

「経過を伝えると……ま、最悪一歩手前ってところかしら。肉体的にも、立場としても」

「……やっぱり、そうですか」

 白いベッドで横たわる汐里に対し、イルはやはり気楽そうに事実を伝えた。

 汐里はその事実に対し、ただ淡々と頷いた。


「あなたの不死性とキングゥのドレスコードによる自己改造によって致命傷は免れたけど、ヒュドラの毒牙は確実にあなたの身体を犯して壊した。アジ・ダハーカの死によってあなたの不死性が弱体化したのも痛かったわね。……結論を言えば、あなたの右半身はカタチばかりのハリボテ、右半身不随でロクに動きはしないでしょうねぇ」

「まぁ、生の対価としては上等ね。……不姿勢の弱体化って具体的には?」

「ダンプカーが衝突してようやく死ぬか死なないかってところね。今までに比べて遥かに人間らしいじゃない」

「十分非人間的よ。……それで、立場の方はどうなの?」

「あなた単独でのアジ・ダハーカの討伐を評価する声もあるけど、それ以上にあなたを恐れる声が大きいわね。ほら、彼ら今まで散々好き勝手にあなたを死なせてきたでしょ? その報復を彼らは恐れているのよ」

「……そんなこと、しませんよ」

 なにせ、疲れるし、痛いし、死ぬし。

「そりゃあなたみたいな負け犬にそんな牙なんてあるはずないけど、杞憂も思い込めば真実よ。詳しくはこの紙束を読みなさい」

「ありがとうございます」


 イルさんは肩をすくめながら幾つかの書類をこちらに手渡す。

 ……内容は、どれも似たりよったりだ。

 これまで通りの運用が不可能になった私の処理について、機密そのものである私を処分するべきだという声、私の功績を理由に保管を求めるホルダー側の要請。……そして、助手として手元に置きたいというイルさんの申請書。

 ……最後のはおかしいとして、なんとまあ、私の本心も知らずに好き勝手なことを書くなと思う。……言ってないから知られるはずもないのだが。


「──さて、内容は全部確認したかしら? その上で、あなたの決断は?」

「そりゃもちろん、人間的な生活が望めそうなトコですよ」

「そ、それじゃあこれからヨロシク、シオリちゃん」


 ……すごいなこの人、自分が選ばれると信じて疑っていない。

 正解だから何も言い返せないけど。

 だって、週休二日、有給あり、定時OK、お給料もよろしくて後ろ盾として堅実なのがこの人のトコだけ。事実上、選択肢はこれ一択だけだった。


「……はい、よろしくお願いします」

「うんうんヨロシイよろしい! そんじゃ明日から今のあなたでも出来る簡単な仕事から回すから、楽しみにしてなさい」

「……手が早いですね」

「そりゃ、もうとっくに根回しは済ましているもの。結果はもう出ているのに、躊躇う必要はないでしょ?」

「本当に、手が早いですね……」

 でしょー? と、クスクスと笑いながらイルさんは私が持っていた書類をシュレッダーに放り込んでいく。

 それはまるで、昨日までの自分のようだと、汐里は思った。


「──あぁ、そういえば」

「ん、どうしたの?」

「イルさん、あなたの正体はな──「だめよ」……っ」


 指先で押さえられる汐里の唇。月光を思わせる蠱惑的に微笑むイルの瞳を汐里は鋭く見つめ返す。


「わたしの正体を知るのは、まだ早いわ。生きたいのなら、いつかの夜を待ちなさい」

 ──異様な、凍えるような冥府の気配。

汐里は察する。眼の前の白衣の女がアジ・ダハーカに匹敵する脅威であることを。

 死に難い己でも瞬時に鏖殺できる存在であると、心底から理解した。


「そうですか。少なくとも、人類の味方をしている内に変なことはしませんよ」

「わたしを黙認すること自体が変なことでしょうけど……ま、そうしておくのが賢明よ」


 月明かり、窓の向こうには雲を切り裂く三日月だけが見える。

 まるで、死神の鎌のように──二人の顔を妖しく照らす。


「……それじゃあ、明日からよろしくお願いしますよ、イル・ゲートキーパー」

「明日から雑用をヨロシク、シオリ・チハラ」


 そして、夜は更けて逝く。

 二人の未来を祝福するように、二人の未来に終わりしか無いと告げるように。

 ──三日月は、沈んでいった。

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神銘武装ドレスコード 菜花日月 @Rise_and_Down

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