リバース・リニアサーチ

雨宮羽音

リバース・リニアサーチ

 どうやら俺は事故に遭ったらしい。


 幸い、大きな外傷は無かった。


 だが問題が起こらなかった訳では無い。


 俺は──記憶喪失になっていた。





 俺は病室のベッドで体を起こして座っていた。

 白一色に染められた景色が、まるで異次元にいるかのような錯覚を起こさせる。

 どこか、頭がぼーっとする気がしてしまう。


 医者の話では記憶喪失以外に問題は無く、明日にでも退院出来るらしい。

 だがしかし、本当に俺の体には異常が無いのだろうか──。

 そう思ってしまう原因が、いま目の前で、見舞いの品からリンゴを拾い上げた。


「待っててね、兄さん。いま皮を剥いてあげるから」


 そう言って俺の弟〝らしい〟青年は、リンゴを宙に投げ放った。

 不思議なことに、そのリンゴはふわりと宙に浮いて、ひとりでにサクサクと音を立てながら皮を脱いで丸裸になっていく。


 そうして、8等分になったみずみずしい果実が皿に着地すると、俺は訝しみながらもひとつを口に運んだ。


「あのさぁ、弟よ……なんで物が宙に浮いているんだ?」


「えっ、何を言ってるんだい兄さん。こんなの普通のことじゃないか」


「あー……そうだっけ?」


 弟はさも当たり前、といった顔をしている。

 不思議とそこに嘘偽りは無いと感じた。


 だが、どこか釈然としなかった。いくら記憶喪失といっても、目の前で起こっている事への不信感は拭えなかったのだ。


「お前以外がそんな技を使っているところ、目覚めてから見ていないんだが……それに、その頭に生えてる……なんだそれ?」


 角。としか表現しようがない物体が、弟の頭から生えていた。耳よりも少し高い位置に、左右一本ずつ、まるでロボットのリモコンに付いてるレバーの様な突起物である。


「やだなぁ。兄さんにだってあるじゃないか」


 そういわれて弟の手渡してきた鏡を覗くと、そこには冴えない男が写っていた。

 彼の言う通り、俺の頭にも同じ様な角が生えている。


「本当に、大事なことは何にも覚えてないんだねぇ! アハハ!」


 笑い出した弟と対象的に、鏡の中の俺は浮かない顔をしている。

 しかし、この弟、どこか嬉しそうに感じられるのは気のせいだろうか。


「大丈夫だよ兄さん。きっとそのうち思い出すはずさ」


「そうだろうか……妙に不安だなぁ」


「明日には退院だから、荷物をまとめておいてね。それじゃあ僕はそろそろ帰ろうかな」


 そう言って弟はふところをまさぐると、銀色をしたオカリナの様なものを取り出した。

 片手でそれを持ち、ギュッとトリガーらしきものを握ると、先っぽからビカッと光が放たれる。


 そうして目の前の空間には楕円形の〝穴〟が現れた。人が通れるくらいの大きさで、穴の向こうは別の空間に繋がっているようだった。


「いや、弟よ。それはいくらなんでもおかしいだろう」


 流石に、俺も黙ってはいられなかった。





 退院から二週間が経った。


 だというのに、一向に記憶が戻る気配は無い。



「兄さん! こっちこっち!」


 俺は弟と一緒に、日本という国に来ていた。

 どうしても、〝アキハバラ〟という地方に行きたかったらしい。


 道を歩けば人がごった返し、上を見上げれば所狭しと絵や文字が壁面に描かれている。実に騒がしい場所だった。


「いったい……なにがそんなに楽しいんだ?」


 はしゃぐ弟に思わずそう問いかけた。


「なにって、買い物だよ。この国は大衆の創作文化が盛んなんだ。だから色々な物語を、絵や文字で安価に楽しめるんだ!」


 そう言いながら、弟は例の光線銃(オカリナみたいな)をピカっとやって、空間に小さな穴を開けた。

 そしてその中に、浮かせて運んでいた荷物の山を放り込んでいく。



 この二週間で分かった事がいくつかあった。


 まず、外の世界にいる人々に角は無いということ。だというのに、誰も俺たちに生えている角は気にしていない。


 そして、物を浮かせる人間もいない。

 それが出来るのは、弟と俺だけらしい。こちらも角と同様、誰も気に留める様子は無かった。


 光線銃についてもまったく同じだ。


 もはやここまでくると、記憶喪失であろうがなかろうが察せるところがあった。


 ──俺たちは人間じゃ無いのではなかろうか?


「兄さん、何ぼーっとしてるのさ! 次はキョートにいくよ!」


 ピカッと光線が走り、どこかへと繋がるホールが開いた。





 退院から一カ月──。


 俺たちは根無し草だった。


 気が向いた場所で休み、行きたい所へは光線銃で一瞬にしてたどり着けた。



「なあ、弟よ」


「なんだい兄さん」


「俺たち、いま空を飛んでいるよな?」


「そりゃあ、物を浮かせられるんだから、空だって飛べるさ」


 眼下に広がるのは、黄金に光る街並みの夜景だった。パリ、という場所らしい。

 巨大な鉄塔と並んで見下ろす景色は、実に壮観であった。


「ねえ、兄さん」


「なんだ。弟よ」


「毎日……楽しいね」


「そう……だな。だけど、何か大切なことを忘れている気がするんだ……絶対に忘れてはいけないことを……」


「そんなこと無いよ……今のままでも、いいじゃないか……」


 そう言った弟の顔には、どこか寂しさが浮かべられている気がした。





 ある日の出来事。


 俺は一人で、夜の海辺に来ていた。


 パラオという国の、世界で一番美しいと言われている海だ。



 俺は砂浜に座り込み、手のひらの上で小さなオブジェを弄んでいた。

 ピラミッド型のルービックキューブの様なものだった。


 ずっと前から持っていて、非常に重要な物だったことを感覚で覚えている。だが、いったいどんな役割があるのかは、いまだに思い出せずにいた。



 ピー!ピピッ!


 突然の出来事だった。

 手にしたオブジェが赤いランプを点滅させ鳴り始めた。


 不思議と、驚きは無かった。

 体が覚えていたかのように、ランプの下にあったボタンを押した。



[……こちら、マザーベース。923よ、作戦の進捗はどうなっている! 全く定時連絡が無いでは無いか!]


 オブジェから聞こえて来たのは、どうやら通信音声らしい。

 ノイズまみれの声には苛立ちが混じっていた。


「えっと……あの……」


[どうした923! 早く現状を報告しろ!]


「……やっぱり俺、宇宙人なんですかね?」


[……はぁ?]





[なるほど、状況は理解した。923は不慮の事故に遭い、記憶障害を起こしていると]


「そのようで……」


[1010はどうした? 一緒に行動していないのか?]


「1010……」


 話の流れから察するに、923とは俺の呼び名なのだろう。そして1010とは弟のことに違いない。


「今はちょっと、一緒じゃないですね……」


[はぐれてしまったのか……だがしかし、ゲートをお前が持っていたのは運がいい。そいつには、遠隔治療の機能がある。今すぐにそいつを頭に乗せるんだ]


「はあ……」


 言われるがままに、俺はゲートと呼ばれたオブジェを頭の上に乗せてみた。


[よし、これより記憶の蘇生ルーチンを起動する。古い記憶から回復するので、最後まで絶対に動くんじゃないぞ]


 キーン、という静かな駆動音と共に、頭のてっぺんがほんのりと温かくなっていくのを感じた。





 明るくて、暖かくて、心地の良い場所。


 今、俺は産まれたのだ。


 自分の泣き声が耳にうるさい。


 微かに見えるのは、俺を優しい顔で見つめる両親の姿だった。



 そこから先の記憶が次々と蘇っていく。

 俺は辺境の星に産まれ、数年後に弟が出来て、幸せな生活を送っていた。


 それが──7歳の時、異星人に星が侵略されたことで唐突に終わりを迎えた。


 両親は殺され、俺たち兄弟は異星人の奴隷として、侵略軍に入れられたのだ。


 その時に弟と交わした会話の記憶が、なぜだか鮮烈に脳裏に浮かび上がった。



[にいさん……ボク、こわいよぉ……]


[だいじょうぶ。オレがオマエをまもるから……ここからにげだして、ふたりでいきていこう。これは、ぜったいのヤクソクだ──]



 ──ずっと。

 ずっと忘れていた。

 この先で受ける洗脳に等しい厳しい訓練と、強制される激しい侵略戦争の数々。


 その中でいつのまにか俺の心は荒み、一番忘れてはいけないことを忘れていたのだ。


 『チキュウ』に来た時にはすでに、弟の中で、俺は俺では無くなっていたに違いない──。



[──兄さん! 侵略なんて間違ってる! こんなに様々な文化が栄えてる星が他にあるかい!?]


[……お前。俺たちが『チキュウ』侵略の斥候に選ばれた栄誉が分からないのか? これは素晴らしい事なんだぞ! うまく行けば、侵略軍の上役にだって顔が効くように……]


[兄さん……兄さんの……大バカ野郎──!!]



 ──そうして喧嘩になり、打ち所が悪かった俺は記憶を失った。


 最後に蘇った記憶は、心底心配そうに俺の瞳を覗き込む弟の姿だった。





[記憶の蘇生ルーチン終了。どうだ923、全て思い出したか?]


「……ああ、思い出したよ」


[それはよかった。では早急に作戦行動に戻れ。お前の任務は、『チキュウ』で最も重要な戦略拠点にゲートを設置、起動することだ。ゲートの長距離ワープを駆使して、マザーベースから兵隊を送り込み、一気に侵略作戦を──]


「兄さん!!」


 背後から弟の声が聞こえた。

 焦りと、恐怖の入り混じった叫びだった。


[その音声……1010か? 無事に合流出来たのか?]


 オブジェから放たれる問いかけに、俺も弟も答えなかった。


「全部……思い出しちゃったの?」


「ああ、何もかもな」


「それじゃあ……侵略……するの?」


 弟の顔を振り返って見た。

 いつか恐怖に震えていた時の様に、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「大バカ野郎……そんなことしたら、俺たちが楽しく暮らせないだろう?」


「──ッ!?」


[何を言っている923!! まさか貴様、命令に逆らう気──]


 俺はピラミッドの頭を捻って回した。

 これがゲートのワープ機能の起動方法だ。


 そして思いっきり、大海原に向けて全力投球してやった!



 赤いランプの光が水面に沈んでいく。


 それから数秒後に、巨大な渦潮が海面に生まれた。

 離れた岸辺まで聞こえてくる、ズゴゴという排水溝のような音。


 大量の海水がゲートを逆流し、飲み込まれていく音だろう。


 夜空を見上げれば、どこか遠い宇宙の彼方で、マザーベースが崩壊したであろう爆発の光が赤い星のように明滅しているのが見えた。



「兄さん……」


「悪かったな。一番大切なこと、ずっと忘れてた。でも約束だからな、これから果たすんでも……遅くは無いだろう?」


「うん……うんっ!!」





 マザーベースは侵略軍の一端に過ぎない。


 もしかすれば、いずれ別の部隊が俺たちを──「チキュウ」を侵略に来るかもしれない。


 それでも。俺は弟を守ってみせる。


 一度は失った大切な約束を、俺はもう二度と、絶対に忘れはしない。





リバース・リニアサーチ 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リバース・リニアサーチ 雨宮羽音 @HaotoAmamiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ