君が笑う、その理由。

夕綾るか

君が笑う、その理由。

 僕には人生の岐路に立ち、選択を共にした知人がいる。『友人』ではなく、『知人』だ。


 彼を初めて見かけたのは、高校の入学式だった。

 開花の遅かった桜が満開の、その下で、顔を上に向け、ただぼんやりと薄桃色の花を眺めていた――ように見えた。


 しかし、実際は違っていた。

 その向こうの、空を見上げていたのだ。

 対象的に青く澄み渡った、どこまでも続く空を。

 その横顔があまりにも印象的で、ずっと頭から離れてくれなかった。



 学校生活での彼は、あの日みた人物と同一であるとは思えないほど、違っていた。

 どんな面倒事を押しつけられてもヘラヘラと笑い、無駄なことを引き受けていく。


(バカなのか? それとも、断ることもできない意気地なしなのか?)


 いつしか、イジられ役になっている彼を『弱者』というカテゴリーに入れていた。



 僕には『友だち』がいない。

 人は、観察対象だ。常にいろんな人をただ見て、話を聞いて、分析する。

 もちろん、話を振られたら、しっかり返すし、帰りに一緒に帰る人もいる。ただあくまでも『観察対象』なのだ。


「アイツ、またイジられてるよ」

「あんなにヘラヘラしてちゃ、余計につけ込まれるだけなのにな」


 どんなに嫌がらせしようと、何をしても笑っている彼にイジリは少しずつエスカレートしていった。


 ある日、帰り道の途中にある公園で、彼が数人に囲まれているのを見た。

 関わりたくなくて『もしかしたら、危ないかも』とは思ったが、素通りした。ヘラヘラ笑う彼と目があった気がして、何とも後味が悪い。


 しばらく歩いてから、くるりと進行方向を反転させる。気になって仕方がなかったからだ。


 公園に戻ると、彼は一人だった。

 ベンチに腰かけた背中しか見えないが、制服には所々、砂がついていた。


 僕は大きく息を吸い込んだ。――予想が的中してしまったのだ、と。


 彼の正面へ回る。その顔に、ハッとした。


「――何でだよ?」

「……え?」


 つい心の声が出てしまい、彼が不思議そうに首を傾げる。しかし、すぐに痛そうな口元を引き上げ、笑った。


「何で……そんなになっても、笑ってんだよ?」


 彼はベンチの隅に寄ると、片側をポンポンと手のひらで優しく叩く。無言で『まあ、座れよ』と言わんばかりに。


 促されるまま腰を下ろす。

 二人の視線は交わることはなく、ただ真っ直ぐ、先にある滑り台を眺めていた。


 「君には、やり直したい瞬間がある?」


 不意に発せられた言葉に引き寄せられるように、横を向く。


「そんなの、誰だってあるに決まってる」

「そうだよね。僕にも……たくさんある」


(それとこれと、どう関係してるんだよ?)


 進まない話に少しイラついた声を出すも、何とか押し込める。先を急かす僕に、彼はふわりと口角を上げた。


「中学の時、すごく不器用なヤツがいたんだ」


 情けないように眉を下げ、笑う。


「いつもヘラヘラ笑って、群れることも、媚びることもしないヤツで。どこか達観してて、生き急いでいるようにもみえた」


 いつしか、その顔から笑みが消えていた。


「もっと上手くやればいいのにって、いつも思ってた。生きるのが、下手だなって」


 まさに今、僕が君に思っていることだと、そう思った。


「ソイツ、突然、いなくなったんだよ……僕の前から。友だちでも何でもなかったけど、ずっとアイツの笑った顔が頭から離れなくて……だから、葬式に行ったんだ」

「え……」

「そこで初めて知った。アイツには時間が限られてたんだって。……聞いたんだ。皆の記憶に残る自分がいつでも笑っていられるようにって。覚えていてもらえる自分は笑顔の方がいいって」


 いつの間にか、彼は痛々しい唇をさらに痛めつけるように噛み締めていた。


「考えたんだ。自分がもし明日、突然いなくなったとしたら、自分を知ってる人はどんな自分を思い浮かべるんだろう、って」


 彼は空を見上げた。あの日と同じような青く澄み渡った空を。


(ああ……あの日。きっと君は、その『彼』を思い出していたんだな)


「目の前にある“当たり前”は、全然、当たり前なんかじゃなくて。それがある日、突然、失われることがあるって。だから、どんな瞬間も後悔しない生き方をしたい、そう思ったら、いつの間にかアイツになってた」


 へらりと笑った彼は、いつもの彼だった。


 きっと天に昇った『彼』も、こんな笑顔だったのだろう。君が笑う、その理由が分かった気がした。


「もう僕は、僕に関わった人を蔑ろにしたくない。無関心でいたくない。その人の最期の瞬間が優しさで溢れていてほしいと思う。アイツに……してあげられなかったから」


 彼の話の中に、今の自分がいた。


(昔の君は――今の僕だ)


 ずっと、逃げていた。深く関わることから。

 今、僕の目の前から突然、君が消えたら――僕も君のようになるのだろうか。

 君に笑いかけなかったことを後悔し、いつもヘラヘラと笑い続ける日が来るのだろうか。


「君は違うね」

「え?」

「僕とは違う」


(そんなことない……一緒だ。きっと、その時がきたら、後悔して――)


「――だって今、ここにいるだろ?」

「え……?」

「戻ってきて、くれたんだよな?」

「……っ!」


 ドクドクと強く鼓動する胸をぎゅっと抑えた。


「だから僕とは違う。君は僕に気づいてくれたんだ。どちらかがいなくなる前に。――後悔する前に」


 目の前の彼を凝視する。


「今の君が隣にいることは、今しかないんだ。ありがとう、戻ってきてくれて。もし、明日、僕がこの世界から消えたとしても、君はきっと大丈夫――」

「――そんなこと、言うなよ」


 遮った僕に、彼の視線が向く。


「消えるなんて、言うな。……友だち、だろ?」

「え……」


 ポカンとした顔が、一瞬で今まで見たことがないくらいの笑顔になった。



 僕には人生の岐路に立ち、選択を共にした友人がいる。『知人』ではなく、『友人』だ。


 君の存在が――僕が笑う、その理由だ。

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君が笑う、その理由。 夕綾るか @yuryo_ruka

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