エピローグ ほんの少しだけ良くなった明日
第493話 これまでと同じ、しかしほんの少しだけ良くなった明日
【西暦2025年8月 兵庫県神戸市西区押部谷 隠し田】
セミの鳴き声が、耳に痛いほどだった。
農家の縁側で、静流は青空を見上げる。
「今年はだいぶ涼しくなったなあ」
去年を思い出す。信じられないほどクソ暑い真夏の夕方に破局が始まった。
「核の冬、そろそろ落ち着くかな」
「どーやろなあ。神さんたちが空を掃除しとるからそのうち戻るんちゃうか」
ノドカの言う通りの、今年は冷夏だ。去年には暑すぎて鳴いていなかった蝉もうるさい。
それも一年経って、徐々にだが収まりつつある。
世界はまだ大変だが、二人の目の前に広がる田園風景は去年とさほど変わらないように見えた。隠し田の隠れ里と、その向こう側に広がる人間の領域のやはり田園地帯や神戸電鉄の線路。この一年を必死で生き延びることができたのは日本の大部分もだった。
しかし失われたものも大きい。瀬戸内海は何もかもなくなってしまった。
100メートルの津波と核爆発以上の威力の衝撃波を喰らった沿岸部は根こそぎ消し飛び、再建は遅々として進んでいない。何十年もかかるかもしれない。一方で山一つ越えた内陸は相当な地域が無事だった。ここのように。
それでも1000万人近くが亡くなったと見られている。もちろん、日本だけでだ。
「お。青春してるな」
振り返ると、奥から出てきたのは料理長。彼も避難した先の京都で職を得たらしい。彼だけではなく、神戸コミュニティに属していた者の多くが新しい生活を始めた。
静流とノドカも、今は滋賀で家族と一緒に暮らしている。火伏が長をしている天狗の隠れ里に身を寄せ、そのまま滋賀に居着いたのだ。今は二人とも、同じ定時制高校に通って昼は働き夜は学ぶ。ノドカの父は小妖怪たちともども避難して無事だった。静流の姉もだ。しかし、看護師をしていた静流の母は行方不明となっている。恐らく亡くなったはずだった。明石の大ダコが復活した際神戸の海側にいればそうなる。親を失ったあと、後見人を火伏がしてくれたおかげで静流と姉は助かっている。
「青春なんかなあ」
「まあ似たようなもんだろう」
料理長だけではなく、ここ、隠し他の隠れ里には結構な数の妖怪や人間が集まりつつあった。お盆休みを利用して、神戸コミュニティに属していた人たちが。ここの農家で場所を貸してもらっている。長の田守氏の好意だ。
「そろそろテントを立てるか」
農道の方で他の常連たちと立ち話をしていた火伏が振り返った。静流も頷く。
ぱろぽり。ときゅうりを食べ終わった静流は、縁側から降りた。火伏の言う通り、そろそろテントを設営しなければならない。今日の目的は慰霊だ。死者を悼み、生き残った者たちが再会を喜ぶ場。ノドカもそろそろ台所の手伝いをすべくよっこいしょ、と降りている。その横で帽子を被る。以前九天玄女に貰った魔法の帽子を。
テントを男衆が立てる。たちまちいくつも、でっかいのが立った。レンタルしてきた奴だ。長机を運んでくる。ふと雲を見上げる。山向こうの入道雲が、巨人のように見えた。同じくらいのサイズだろうか。ネフィリムやヤマタノオロチあたりと。
そんな益体もないことを考えながら、慰霊祭の準備は整っていった。
◇
「やあ。見事勝利されましたね」
風にあたっていた竜太郎は、顔を上げた。
皆、広い農家の屋内で料理を食べ、ビールやジュースを飲んで談笑している。太陽は陰りつつあったがまだ夕方というほどでもない。隠れ里は太陽光にエネルギーを依存している(太陽光パネルで電気を賄い、風呂は湧き水を太陽熱温水器でわかしている)から、明るい間にお開きになる。
竜太郎の目の前に立っていたのは、ふくよかな体形で帽子にスーツを身に着けた、黒ずくめのサラリーマン。
こちらも会釈を返す。
「去年の阪急電車以来でしたか」
「ええ。その節はどうも。お隣は空いてますかな」
「ご自由に」
よっこいしょ、とサラリーマンは縁側に腰かけると農家の中の方を見た。皆わいわいとやっている。この1年大変だったが、それでも1年だ。久しぶりの再会を皆が喜んでいた。
サラリーマンは帽子を脱ぐと、中から何やら素焼きの瓶を取り出した。どうやら酒らしいが、素性は分からない。
「一杯どうですかな。
「いただきましょう」
竜太郎は自分のコップをあけると相手に差し出した。なみなみと琥珀色の液体が注がれる。瓶を受け取り、相手がこれまた取り出したコップに注ぎ返す。
こつん、と小さな音を立ててコップ同士がぶつかり合うと、ふたりは酒を一口。
「いやしかし。お見事でした。
「ふむ。まだ完全に
相手の言に竜太郎は苦笑。そう。
更に、世界的に問題が広がりつつあるのが妖怪の血を発現した先祖返り、"
日本政府はこれらの問題に対して妖怪と人類との関係改善に努めている。また分裂した米国に対して中立の立場を取りつつ使命を果たそうとしている在日米軍への支援を始め、侵略を受ける国々への兵器供与や自衛隊派遣などの援助に踏み切った。この国際情勢下でも食料やエネルギーの輸入が続いているのは東アジアの安定化に努める政府の驚異的手腕のおかげと言っても過言ではなかろう。おかげで日本ではまだ、平和を取り繕っていられる。今のように。
「いえいえ。これは私が予想していた中ではかなり人類文明が受ける打撃が小さいシナリオですよ。ほぼ理想形と言ってもいい。この後短期的には人類の進歩は足踏みするでしょうが、長期的には爆発的な発展を遂げるはずです」
「断言できますか」
「ええ。長年の経験から。付け加えるならば、もし円卓が存在せず、
「そう願いますよ」
コップの中身を飲み干す。普段あまり酒を飲まない竜太郎にも分かる。良い酒だ。さすがは人類文明そのものの化身である。
コップの中身を飲み干したサラリーマンは、コップを帽子の中に放り込んだ。そのまま立ち上がる。
「行かれますか」
「ええ。その瓶は皆さんで分けてくだされば。おっと。未成年の方もおられますな」
もう一本。未成年用というからには今度はソフトドリンクだろうか?やはり素焼きの瓶を置いていくと、今度こそサラリーマンは帽子を被り直す。
「山中竜太郎さん。あなたはこれから先、人類の歴史を何千年も見ていくことになるでしょう」
「ええ」
「時間が流れるのはあっという間です。うかうかしていると大事なことを見落としてしまうかもしれません」
「肝に銘じます」
「では、また機会があれば」
そうして、サラリーマンは去っていった。普通に歩いて。それをしばし見送った竜太郎であったが。
「何を話してたんですか」
声に振り返ると、
「勝利を祝福されたよ」
「なるほど。彼らしいですね」
よっこいしょ。と座った魔女は、サラリーマンが残していった酒を目ざとく見つけ出した。自らのコップに注ぎ、一口。
「珍しい。3000年物の魔法のりんご酒です。漬けたのはどこかの神でしょう」
「マジか……考古学者に見せたら泣いて喜びそうだな」
「でも、今はただのお酒ですから」
「違いない」
ふたりで肩を寄せ合う。去年を思い出す。そうだ。竜太郎の戦いが真の意味で始まったのは雛子が来てからだった。二人で始めたのだ。人間の世界を守る戦いを。
「さ。そろそろ戻ろうか」
「ええ」
妖怪ハンターたちは、仲間たちの輪へと戻っていった。
◇
今日も一日が過ぎて行った。まもなく明日が来る。これまでと同じ、しかしほんの少しだけ良くなった明日が。
◇
おしまい
百鬼夜行 現代伝奇 クファンジャル_CF @stylet_CF
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