第492話 2124年問題

【中米 メキシコ】


大地は、酷い有様だった。

南米と北米のちょうど接点にあたる中米メキシコは、消滅の危機にあった。大地そのものが生命を宿してしていたからである。アステカ神話における世界創造以前の女神ワニの女神シパクトリとして。

既に大西洋側の何十キロメートルという範囲が陸地ではなくなり、巨大な怪物の姿となりつつある。その範囲は急速に広がりつつあった。その上に住まっていた人間たちやあらゆる生物も無事では済まない。このままでは中米は壊滅するだろう。

それを見下ろす神々の中でもひときわ輝く2柱の神がいた。一方の名を噴煙の鏡テスカトリポカ。もうひとりを翼持つ蛇ケツァルコアトルといった。

黒曜石の右足を持つ青年、テスカトリポカが愉快そうに言う。

「やれやれ。このままじゃあ中米自体があいつの体になっちゃうな。どうする?」

「ふん。分かっているだろう。あいつを倒す方法は一つしかない」

精悍にして賢明なるケツアルコアトルが敵を見据えたまま答えた。そう。神話ではこの、ライバル同士でもある2柱が協力してシパクトリを倒したことになっている。テスカトリポカの右足を囮として。そして、倒したシパクトリを材料に使って世界を創造したのだと。眼下で起こっているのはそれを逆転させる出来事であった。テスカトリポカの右足が黒曜石なのはシパクトリに喰われた名残なのだ。

幸いと言っていいのか、シパクトリが完全体に近づくにつれてテスカトリポカの右足も生身のものへと変じていく。

「やれやれ。これはあれか。やれということか」

「そうだ。諦めて運命を受け入れろ」

「痛いのは嫌なんだけどなあ」

ぶつくさ言いながらも、黒曜石の刃を取り出したテスカトリポカは自らの右足を切断。シパクトリの前方へと放り投げる。

それに、シパクトリは反応した。囮に引っかかったのだ。

「―――さあ。やるぞ!!者ども、かかれ!!」

ケツアルコアトルの叫びに、控えていた神々が一斉に動き出す。

ここ中米でも、神々と怪物との死闘が始まった。


  ◇


【オーストラリア 西オーストラリア州 ギブソン砂漠 対小天体砲基地から西へ2キロ地点】


「おい……生きてるか?返事しろ」

墜落した戦闘機の壊れたキャノピーへ頭を突っ込み、アンディ・コリンズは中を検めた。

幸いと言っていいか、パイロットは生きているようだ。キャノピーを何とかして開ける。パイロットを固定するベルトを外す。パイロットを担いで、機体から降りる。

「ぐ……どうなった。戦いは。基地は無事なのか」

「分からん」

正直にパイロットへと答えるアンディ。

周囲は酷い有様であった。

無数の砂ミミズサンドワームと戦ったのだ。対小天体砲を防衛する戦車隊はほぼ壊滅し、奴らの吐き出す高圧の砂は航空機さえも撃墜したのである。最後には虎の子と言える対小天体砲の直接射撃まで行われたらしい。アンディも破壊された戦車の中で身動き取れない状況だったからよくわからないが。

ふたりして体を引きずり、砂丘の向こう側まで登る。

「見ろ。基地が……」

基地も無事ではなかった。いくつもの砲が破壊され、そこかしこから煙が立ち上っている。あれは宇宙から飛来する10キロメートルの小惑星を破壊する切り札だ。あの砲がなければ人類は壊滅的打撃を被ることになる。落下してくる小惑星によって。

絶望が、アンディの心を包み込もうとした時だった。

対小天体砲の1基が旋回すると、滑らかに空へと向けられたのである。斜め向きなのは地球の軌道に直交するとエネルギー効率が悪いからだとかなんとかと聞いた覚えがるが、アンディも複雑な宇宙での物理はちんぷんかんぷんだ。しかしあれがまだ、戦う気があるのだけは理解できた。

バカバカしいほどに巨大な、それこそ高層建築並みの砲が微調整を終える。一拍置いて、それは火を噴いた。それも連続的に。

マシンガンのように吐き出される大量の砲弾が次々と宇宙へ向けて飛んでいく。それは信じられないほどに雄々しい光景であったが。

「―――っとやべえ!」

アンディはパイロットと共に砂丘の後ろへ転がり落ちる。わずかに遅れてすさまじい衝撃波がやって来た。まともに喰らえばそれだけで即死するような威力だ。

「小惑星……。吹っ飛ぶかな」

「たぶんな。そうでなきゃやってられねえ」

衝撃波がもたらす轟音の中、生き残った二人は懸命に身を伏せた。

この攻撃から数日後。小惑星は部分的に破壊され、地球とニアミスする軌道に変わったことが全人類へと伝えられた。


  ◇


【東京都世田谷区 自衛隊中央病院】


「ぅ……」

竜太郎は、目を開けた。

どこだろう。ここは。

清潔な室内らしいことは分かる。消毒液の臭い。病院だろうか。ということは、とりあえず生き延びはしたのだろう。

よっこいしょと身を起こす。身体の節々が痛い。四十代の肉体を酷使し過ぎたせいか。アレスと戦い、大量の怪物と戦い、そして核ミサイルを落としたのだ。

―――核ミサイル?

そこで、何があったかを完璧に思い出した。外の様子を確認しようと窓を探したところで。

「ほぉ」

白い梟が、窓のところにとまっていた。

見覚えがある。というかこいつは魔女の庭にいたような。そうだ思い出した。魔女雛子の使い魔だ。

梟が、口を開いた。

『おはようございます。竜太郎さん』

「雛子ちゃんか。今どうなってるんだい」

『東京もこっちも無事です。私もヒメもミナも。参戦した神の8割がたが生きてます。タコツボが間に合ったおかげです』

「そうか……よかった。それでここは」

『東京の、自衛隊の病院です。三日も寝てたんですよ。竜太郎さんは』

改めて竜太郎は室内を見回した。個室があてがわれたらしい。さほど広くはないが快適そうな部屋だった。

「三日か……それなら状況はかなり動いたんだろうな」

『ええ。各地で出現した大型の怪物の相当数がもう駆逐されました。まだ残っている者もいますが、新たな怪物の出現は急速に減っています。恐らく数日中には終息するでしょう。こっちは大ダコがもう復活しないよう再封印を終えました。今は近隣の破滅の怪物を掃討するために戦力を再編中です。あと、小惑星の迎撃には成功しました。地球とニアミスして終わるらしいです』

「何とか生き延びたな」

『ええ。ただ、世界中で混乱はこれからが本番でしょう。中東では円卓が降ろしたもう一柱のヤハウェ神が倒されたそうですが、彼の遺した啓示に世界中のキリスト教やイスラムの原理主義者が活動を活発化させています。妖怪の排斥や、各地の古い神々の聖域を人間が攻撃しようという動きもあるくらいですし、ロシアでは大統領自らが預言者を名乗りました。アメリカも内戦が始まってます。アフリカでは巨大な怪物だけではなく正体不明の疫病で人がバタバタ倒れているそうですし、インドや中米では復活したヴリトラやワニの女神シパクトリの被害でえらいことになってます。どっちも倒されはしたようですが。ああ、後オーディン神も倒されたらしいです。近場だと北朝鮮が韓国へ進軍を開始しましたし、中国もパニックに押される形で台湾侵攻を開始してます。破滅の怪物による被害が凄まじいものでしたから、人民解放軍がどこまで戦闘能力を保ってるかは未知数ですけど』

「そうか……」

竜太郎は天を見上げた。人間同士の戦争はもう、神々が干渉するべきではない。もちろんできる手助けはあるにしても。

「これから世界はどうなってくんだろうな」

『分かりません。ただ……』

「ただ?」

『なんやかんやでうまいことやっていくんじゃないでしょうか。人類は今までもそうやって存続してきたんです。今回だってちょっと風邪を引いたみたいな顔をして、すぐけろりと元気になってますよ。きっと』

「それは6000年生きた経験から?」

『そうですね。その通りです。たぶん』

「そうか……」

『あ。竜太郎さんはまだ若いから実感がないでしょうけど、そのうち分かるようになりますよ?」

「そういえば僕はもう普通の人間じゃないんだったな……」

『ええ。竜太郎さんは神の領域へと足を踏み入れました。今もまだ人間ではありますが、同時に神に限りなく近い存在です。半神よりも更に。さしずめ神人と言ったところでしょうか。もう年は取りませんし、死んでも生き返ります。もちろん手足が千切れてもそのうち勝手に治りますし、風邪もひきません』

「体が頑丈になったと思っておくことにするよ」

竜太郎は苦笑。実際話を聞いているといいことだらけな気がしてきた。健康はかけがえのない財産だ。妖怪ハンターにとってはなおさら。

「そうだ。ゼウスと会ったよ」

『聞きました。色々と話したんです。元気でした。さすがに疲れたと言っていましたけど』

「よかった。夢で彼と話した時絶体絶命だと言ってたからな。生き延びてくれてたなら何よりだ」

『ええ』

二人ともわかっていた。助かった者たちの陰には、たくさんの助からなかった者たちの存在があったということに。

『それじゃあそろそろ仕事に戻ります。後始末で大変なんで』

「ご苦労様。僕も早く体を治さないとな」

『たまにはゆっくりしててください。たぶんこの先何年も、休む暇なんて無くなるでしょうから』

梟はそれっきり、喋らなくなった。雛子は去っていったらしい。というか梟はずっとここにいるのだろうか。まあ問題はないが。

竜太郎はしばし窓の外の変わらぬ景色を眺める。この光景はまだ、東京の大部分が破壊にさらされていないからこそ維持されているものだ。しかしそれがいつまで保てるかは分からない。人間たちの尽力次第で運命は決まるだろう。

そして、2124年問題。

神々は死んでも100年で蘇る。巨神戦争ギガントマキアで討ち取られた円卓の神々や破滅の怪物の中には蘇ってこないよう封印された者もいるだろうが、そうでない者も相当数いるだろう。つまり未来にはそいつらは復活する。もちろん1世紀も先だ。普通の人間なら寿命で死んでいるだろうが、永遠の命を得た竜太郎は現実にその場に立ち会うことになる。他人事ではいられない。

「しょうがないよな。自分で選んだんだから」

息をついた竜太郎は、ベッドに横になった。

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