第491話 取り戻す朝

ローマ人の土地ルーマニア ブラショヴ】


小さなホテルだった。

その周囲を囲むのは有象無象、多種多様な姿の人々。男もいれば女もいる。子供もいれば老人もいる。寝巻の者もいれば労働者もいる。ありとあらゆる階層に属する人々がいた。唯一の共通点は、その全員が死んでいたということ。いずれもが、首筋や腕などにある二つの牙痕から血を流し、真っ青な死体でありながら歩いていたのである。

歩く死者。すなわち吸血鬼どもだった。

彼らの願いは主命を果たすこと。あのホテルを攻め落とせと命じられていたのである。ここだけではない。ルーマニア各地の妖怪たちのコミュニティ。軍事基地。政府の施設。などなど。致命的な場所のことごとくが、増殖を続ける吸血鬼による襲撃を受けていた。これは組織的な行動なのだ。彼らにとっては幸いなことに、抵抗はささやかだった。魔法や護符による防御を固めていたが、吸血鬼の中でも抵抗力の強い者なら突破できる。数を揃えて突入してしまえばいい。

今は、何度目かになるそれが開始されたところだった。

中から銃声や絶叫、爆発音が響き渡る。こちらの被害はすさまじいが、中にいる者たちを削ることができるならば十分だ。まもなく陥落させられるだろう。そのことを確信した吸血鬼どもは暗い喜びの笑みを浮かべていた。

もっともそれは取らぬ狸の皮算用であったが。

どこからか聞こえてきたただの一言で、ルーマニアを夜に閉じ込める魔法に亀裂が走った。遅れてやってきた昼の輝きが地上を撫でていき、それを浴びた吸血鬼どもが燃え上がる。生まれたばかりの吸血鬼は弱点への抵抗力が著しく弱いのだった。

この惨状を引き起こした者は、燃え上がる吸血鬼どもの間を抜けてホテルへ足を踏み入れた。


  ◇


「ぎゃああああああああ!?」

ホテルの中で、女の口から出たとは思えないような悲鳴が上がった。

吸血鬼をサーベルで切り殺していた樹里イポスは相手を蹴飛ばすと、そちらを振り向く。

見れば、天音グラシャラボラスが肩口を吸血鬼に食いちぎられているところだった。そのままのしかかろうとしているそいつをサーベルで突きさす。

吸血鬼はたちまち動かなくなった。

「天音!!」駆け寄る。その穴を五十鈴ナベリウスが埋めた。三人とも角や尻尾、翼を生やして軍服を身にまとった魔神の姿だ。

「う……ごめんなさい……やられちゃいました」

「黙ってて!私たちはもう人間じゃないんだからこんくらいじゃ死なないわよきっと!だから頑張って!」

服の裾を千切って縛る。止血する。治癒の魔法を使うが、樹里の技量ではどうにもならない。傷が深すぎる。

そうする間にも階段からはどんどん吸血鬼どもが上がってきている。戦える者はこちらにはもう少ない。クリスティアンも負傷した。三人は殿だ。脱出の準備が出来たら後退する予定だが。

「うう……もうやだよお!!」

五十鈴が泣き言を漏らした。彼女のサーベルが串刺しにしたのはまだ幼い男の子の吸血鬼だったからだ。もちろん最初から死んでいるのだろう。虚ろな目、邪悪な笑みからは生前の面影は感じられない。階段の下でも骸骨の兵隊たちが戦っているが、敵勢の多すぎる数に呑み込まれつつあるようだった。

「泣き言いってないで!!なんとかするのよ!!」

「そんなこと言ったってえ」

樹里が叫んでもどうにもならない。戦力が足りなさすぎる。こんな時、翠がいてくれれば。

三人組がそう思った時だった。下の階から銃声がすると、床から弾丸が飛び出したのである。一発だけではない。何発も。吸血鬼たちも銃を持ち出したのだ。

不運なことに、銃弾を腕に受けた五十鈴がひっくり返る。その隙に、吸血鬼どもが一挙に上がって来た。

「あ……」

防ぎようのない死を、三人が実感する。去年、魔神オセの引き起こした交通事故で死んだ時以来ずっと間近にあった死の予感。

思わず五十鈴は目を閉じる。一瞬後には喉が食いちぎられて死んでいるだろう。もう今度は生き返らない。いや、何十年かしたら生き返れるかもしれないが、それでもこわい。生き返った時にはひとりぼっちだ。皆と再会できるかどうかも分からない。

―――あれ?

敵が来ない。片目をうっすらと開ける。吸血鬼どもは動きを止めていた。いや。震えているのだ。一拍を置いて奴らは叫び出す。苦痛からなる絶叫を。


―――GGGGGYYYYYAAAAAAAAAAAAA!!!


吸血鬼どもはたちまちのうちに全身から炎を吹き上がらせていく。そこで気が付く。窓から日光が差し込んで来る!!

「間に合ったようですわね」

聞き覚えのある声だった。

肺へと振り返った三人組は、見た。角を生やした銀髪の魔神の姿を。

「「「翠!!」」」

「遅くなってすいません、樹里さん。五十鈴さんに、天音さんも。とはいえ積もる話は後ですわね」

翠は答えると、懐から小瓶を取り出した。天音を助け起こすと、口に小瓶の中身を含ませる。それだけで、食いちぎられた部分が回復した。魔神ネビロスは金属、鉱物、動植物の効能を知っている。負傷を癒す魔法薬を作るのもお手の物だ。同じ要領で五十鈴の銃創も治癒し、翠は微笑む。

「さて。大丈夫ですか、天音さん、五十鈴さん」

「ええ。ありがとう。助かりました、本当に」「もう痛くないよー」

「それで、他の皆さんはどちらに?」

樹里は上を指さした。自分たちもタイミングを見計らって後退する予定だったのだ。

このままならじり貧だったろうが。

「そうですか。じゃあ皆さんのところへ上がりましょう」

「ここは守らなくていいのー?」

五十鈴の疑問に、翠は頷く。

「ええ。連中はもう全滅ですわ。少なくとも、このホテルの近くでは。それで、クリスティアンさんはご無事ですの?」

前と変わらぬ翠の様子に、三人は顔を見合わせた。不意に笑みがこぼれてくる。

「怪我はしたけど無事。」

「それはよかった。じゃあ、さっそくみんなで悪だくみをしないと」

「悪だくみ?」

「ええ。夜を破ります」


  ◇


「翠、無事だったか」

ホテルの最上階には、生き残った人間や妖怪たちがひしめいていた。そこそこの広さがあるとはいえ、集まって来た者の数も多い。スペースがかなり圧迫されていた。

それでも、助けが来たことによる安堵は大きい。

中でもクリスティアンとの再会は、翠にとっても感動的なものだった。この状況下で無事に生きて会えるとは。

「ええ。皆さんと再会できて幸いですわ。

少しお待ちを」

翠は、腰のベルトからさっきより大きな瓶を取り出した。中身は同じ魔法薬だ。負傷者にさじで片っ端から飲ませていく。それだけで部屋から負傷者がいなくなる。凄まじい魔力だった。翠のことを覚えていない人たちも、どうやら味方が来てくれたらしいということは理解したようだ。

ひとまずやるべきことを片付けた翠は、クリスティアン。三人組。そして、部屋の隅にいたイレアナへと顔を向けた。

「さて。一息ついたところで申し訳ないですが、手伝っていただきたいことがあります」

「手伝い?」

「ええ。今ルーマニアに朝が来ないのは魔法によるものです。それも極めて強力な。私が使える朝を呼ぶ魔法はごく限定的な力しかありません。局地的には―――例えばこのブラショヴに一時陽光を取り戻すくらいはできても、国中を照らすなんて不可能です。けれど、魔神が大勢いれば話は別。その血を引く者。あるいは魔法使いや魔法に詳しい人間でもいい。皆さん。手を貸してはいただけませんか」

もちろんクリスティアンは頷いた。三人組も。その視線を受けてイレアナも頷く。それだけではない。魔法を使える妖怪たちもぽつぽつと参加を表明する。そして、メイス。クリスティアンの母である人間の女性も、協力を申し出た。

彼らを代表し、クリスティアンが疑問を呈する。

「これだけいれば大丈夫か?」

「ええ」

「太陽が戻れば、吸血鬼は全滅させられるだろうか」

「それは難しいでしょう。建物や森に退避する者もいるはずです。あくまでも一時しのぎ。それでも昼を取り戻すことには大きな意味があります。この事態を引き起こしたのは恐らく円卓の最高幹部のひとり、"伯爵"。彼が生きている限りはこの吸血鬼騒ぎは終わりません。しかしこちらが態勢を立て直し、多くの吸血鬼を滅ぼし、生存者の救助や陣地を構築する貴重な時間を得ることはできます。そうなればしめたもの。国外からもいつかきっと援軍がやってきます。何日でも何か月でも。あるいは何年かかっても、国内の吸血鬼を根絶やしにするのです。これはその最初の一歩となるでしょう。吸血鬼退治は巨大な怪物を滅ぼすのとはまた、異なる苦労があります。けれど私たちは成し遂げられるはずです」

「そうか。分かった。ありがとう、翠」

それで十分だった。翠に従い、皆が屋上へと上がる。翠の術で一時的に太陽の戻った外へと。

「さあ。始めましょう」

翠の号令によって、太陽を取り戻す儀式が始まった。


  ◇


東欧を太陽の光が照らしていく。

自らの居城でその光景を見上げていた"伯爵"は己の敗北を悟った。この吸血鬼はもはや日光を浴びたところで即死したりはしない。力は制限されるとはいえ平然と外を歩き回ることもできる。被害はせいぜい土砂降りの中を歩くくらいなものだ。死にはしなくても不愉快、と言った方が正しい。しかし生まれたばかりの吸血鬼にとっては違う。状況が十分にこちら側に傾くまでは夜が続くことこそが、伯爵の目論見であった。どうやらそれは叶わなくなったようだったが。この段階で朝が来てしまえば人類は十分に巻き返せるだろう。ルーマニア。ハンガリー。トルコ。セルビア、ブルガリア。周辺諸国を飲み込み、死者の国とする野望は潰えた。これから先。何日か。あるいは何か月か。何年先かは分からぬが、勇猛なハンターがいずれ伯爵の前に現れ、その胸に白木の杭を打ち込んで殺すだろう。もはや戦いはそのような段階へと変わったのだ。

まあよい。戦いに勝敗は付き物だ。今回は武運に恵まれなかったというだけのこと。

グラスに、瓶の中身を注ぐ。それを飲み干しながら、伯爵は数えた。自分の最期までの日数を。

円卓の最高幹部のひとり"伯爵"が討たれたのは、この日から一年ほど後のことだった。

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