第490話 最後の戦乙女
【北極圏 ノールアウストランネ島周辺海域】
海原は、鮮血で染まっていた。
戦力の左半分、人類の艦隊はアインヘリアルと互角にぶつかり合っている。反対側では巨人たちが3体の円卓側の怪物と。そして中央では、数百のワルキューレたちに対して北欧の神々を中心とする百あまりの戦力が戦いを挑んでいる状況である。
神馬グラニに跨る戦乙女としての正体を現した彼女の強さは鬼神のごとしだった。何人もの
それでさえも、数で勝るワルキューレは強敵だった。小なりとはいえ神である。それもオーディンの血を引く半神の娘を器として降ろされた人工的な神だ。その連携攻撃は、善なる神々の相当数をすでに討ち取っていた。
もはやどちらが優勢なのか分からぬまま、戦場を神馬が駆け抜けていく。
勢いそのままに敵を突破したヘルガは追いすがる戦乙女を切り殺し、そしてノールアウストランネ島の上空にまで到達した。足元には高層ビル以上の巨大な腕が火口より伸びあがり、島全体が震えている。あれがスルトだ。もはや誕生しかかっており一刻の猶予もない。ヘルガ一人では奴を殺せない。周囲の味方を探す。
味方の代わりにヘルガは、もっと重要なものを発見した。
八本足の馬にまたがる、片目の魔術神の姿を。
オーディンであった。戦いの混乱ではぐれたか、供はいない。
彼は、まるで周囲の戦いが目に入っていないかのような気楽さで言葉を発した。
「やあ。会えてよかった。この前の約束を果たそうじゃあないか」
「ええ」
対峙する両者。互いに槍を構える。オーディンの力は強大だ。ヘルガはしょせんはワルキューレのひとりに過ぎない。オーディンと真正面からぶつかり合えば不利だった。
それでも、真正面からぶつかり合うという選択肢しか今は存在しない。
向かい合う両者の足元で、とうとう山が割れても動かない。互いの隙を伺っているのだ。
―――VVVVVVOOOOOOOOAAAAAAAAAAA!!
上半身を露わとした、途方もなく巨大な巨人が咆哮を挙げる。あれこそがスルトだ。片手に剣を持ち、髪はざんばらに荒れている。自然そのものの猛威であることを、屈強な肉体そのものが主張していた。そいつが山に手をかけ、這い出して来ると、剣を振りかざす。
それが、海に向けて振り下ろされると同時に、両名は動き出した。真正面からぶつかり合う槍。すれ違い、反転し、再び激突。互いに矢除けの加護がある以上、決着は接近戦でしか成立しえない。音速の何倍という速度で交わされる槍の激突は一見して互角。しかし見るべきものが視れば、その結末は明らかだったろう。徐々にではあるが、ヘルガの方が押されつつあったのである。魔力でも膂力でも劣るが故だった。
それでもヘルガは食い下がる。敗北を引き延ばそうとする。戦場は水物だ。何が起きるか分からない。チャンスが来るまで耐えるしかない。
それは、思ったよりすぐにやって来た。
スルトが完全に大地へと現れると、海に向かって進み始めた。目指しているのはこちらの巨人たちによる戦線だろう。それを突破する姿勢を取ったのである。剣を振り上げる。炎が吹き上がった。ため込んだエネルギーが、解き放たれる。
そうして生まれた衝撃波が、やってきた。ヘルガとオーディンを飲み込む形で。
もちろんその程度でどうにかなる二神ではなかったが、しかし状況は動いた。ヘルガはほんの少しだけ押し込み、そして致命的な一撃を放ったのである。オーディンの死角―――神王ゼウスの雷で溶融した兜によって欠けた視界を突いて。
オーディンの脇を、槍が貫いた。
「ぐ……見事だ」
「……」
賞賛するオーディンに対してヘルガは無言。何故ならば、オーディンの
両者はぶつかり合い、きりもみしながら落下していく。その身体は、やがてノールアウストランネ島の大地に墜落した。
◇
―――やれやれ。これは失敗だな。
死の間際。オーディンはそんなことを考える。オーディンの失われた片目と、それがもたらす霊力は様々なことを知るのを可能にする。ここにいながらにして世界中の動向を知ることができる。だから分かった。仮にスルトが敵勢を突破し、この戦いに勝ってもたいして意味はない。何故ならば神王ゼウス。そして"
それでも、楽しかった。大勢の仲間でわいわいとやるのは。これぞ戦争という気がした。アレスは死んだようだが、存分に楽しめただろうか。それだけが気がかりだった。
まあいい。この戦況なら善なる神々が自分を封印する余裕はあるまい。おとなしく死に、100年後に蘇ることとしよう。その時世界がどうなっているか楽しみだった。同じ時期に復活するであろう破滅の怪物どもにどう対処するか、見させてもらおう。
おっと。忘れるところだった。急速に命を失いつつある
勝利した娘を祝福しながら、魔術神は死の眠りに就いた。
◇
全てがちっぽけだった。
スルトの身長は1500メートルに届く。手を伸ばせば雲を掴める大きさだ。手にした刃はあらゆるものを破壊し、その目は水平線の向こうまでも見渡せる。地球が湾曲している様子もくっきりと見て取れる。
唯一無二であるはずのこの巨人は、苛立ちと共に咆哮を挙げた。それでも前方を塞ぐ武装した巨人たちは道を開ける様子はない。同族だというのに。何故仇敵たるアスガルドの神々とともにあるのか。
怒りの声を上げる。呼びかけに眷属たちが答えた。背後の空間が幾つも縦に裂け、そこからムスペルの巨人たちが身を乗り出してきたのだ。膝から下が海底につく。それだけで大津波が発生し、深海で地震が起こる。十近い眷属たちが顕現したのに満足し、突進する。こちらを阻む巨人たちも十。スルトの力なら突破できる。
突っ込む。刃を振るう。一太刀で、防ごうとする巨人の盾が割れる。その断面は焼け付いていた。溶岩で出来た刃の熱に耐えられる者はいない。返す刀で甲冑ごと巨人を切り捨てる。2体目も同様に真っ二つとする。それだけでこちらを阻止する巨人がいなくなった。仲間たちが他の巨人とぶつかったからだ。しかし敵はまだいる。アスガルドの神々が攻撃を仕掛けてくる。勇猛なるトールがハンマーを投げつけ、麗しきフレイの剣が飛び出すとひとりでにこちらを切り刻もうとしてくる。ロキが唱えた呪文はスルトの刃を絡めとる呪縛となり、イドゥンの霊力は傷を受けた者たちを癒していく。鉄壁のテュールの結界が抵抗するスルトの攻撃を受け止める。
もはや満身創痍となったスルトは、せめて前に出た。神々の包囲を突破する。前に進みさえすれば勝てるのだ。何故だかは分からないが。まっすぐに進み、追撃でボロボロになりながらも、陸の姿を発見する。そこから湧き上がる人間たちの恐怖の思念を感じ取る。思念によってムスペルの巨人たちが更に何体も顕現したところで。
限界だった。
背中に無数の攻撃を浴びていたこの巨人は、ゆっくりと前のめりに倒れていく。その巨体が生み出す津波は破滅的な威力を発揮するものであったが、海神エーギルの霊力によって打ち消されていく。
こうして、炎の巨人スルトは討伐された。
◇
「……ガ。ヘルガ!!」
覚えのある声に、ヘルガは意識を回復させた。
身体がまともに動かない。ズタボロだ。周囲を見回そうとして失敗する。ごつごつした地面。そして目の前にいたのは……
「スザンナ?」
ヘルガの忠実なるアインヘリアルがそこにいた。戦闘服を着て、跪き、こちらに頷いている。
「ええ。大丈夫?」
「……何がどうなったの?」
「一言で言うなら、勝った。ズタボロだけどね。
「オーディンは倒した。相討ちだと思ったけど、どうやら違ったみたい」
「ならよかった。
スルトが戦線を突破したときは危なかったけれど。あいつがノルウェー本土から見えるにしたがって、ムスペルの巨人たちが何体も現れたし」
「そう。……勝ったならいいわ。起こして」
スザンナは、言われた通りにした。ほとんど背負うような形だったが。まだヘルガはまともに歩けない。
立ち上がると、世界は一変していた。空の色は飛散した塵で代わり、山が消えてなくなり、ぎっしりと隙間がないくらい多数存在していた敵艦隊は消滅していたのである。空にワルキューレが飛んでいることもない。味方の神々や戦闘機が時折飛んでいくだけだ。
「よかった。この程度ですんで」
「本当にね。さあ、戻りましょう。やることが山積みだから」
こうして最後の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます