第489話 メサイア

【サウジアラビア王国 メディナ上空】


『ふははははは!!それでも我が兄弟か、サンダルフォンよ!!』

メタトロンは、双子ともいえる巨大な天使を。身長5キロメートルの巨体が宙を舞い、何十キロも先に墜落する。地面がアリジゴクのように陥没し、その破壊は周囲にまで広がっていく。それ以前に生じた衝撃波がすべてを薙ぎ払っていたが。人知を超えた巨体はそれを可能とするのである。

追撃を加えようとしたメタトロンは、空中でことを余儀なくされた。女の大天使率いる数百もの天使の一隊が道を阻んだからである。彼らが力を合わせて作り上げた光り輝く壁が、メタトロンを弾き返した。

吹きすさぶ衝撃波の中、両者は対峙する。

『このように向かい合うのは1500年ぶりか。ガブリエルよ!!』

「ええ。そしてこれで最後になる。もうあなたたちに過ちは犯させない」

メタトロンが剣を。対するガブリエルらは力を合わせると、メタトロンに呪いをかけた。石化していくという呪いを。

さしものメタトロンも、数百人がかりで放たれた呪詛には容易に抗えない。剣を持つ右半身がたちまちのうちに石と化していく。自身の霊力を持って対抗し、石化の進行を食い止めるので精一杯であった。

『ぐぬぬぬ……おのれえ!!』

「くっ……」

どちらも全力。ガブリエル側もこれ以上のことはできない。

このような景色はそこかしこに広がり、落下する死体は地上に大惨事をもたらしていく。"主"に属する天使たちはそれでも直径一キロの座天使ソロネの死体のような致命的なものは破壊しようとするが、"デミウルゴス"側は配慮さえしない。そこに加えて巨大な霊力のうねりが地上を焼き、地獄絵図が出来上がっていた。人間たちは何を思っているのだろうか。早くこのようなことは終わってくれと?

分からぬまま、ガブリエルたちは死力を尽くした。一刻も早い勝利を願って。


  ◇


そいつは、神と呼ばれていた。

多くの人間からそうであると信じられてきた存在だ。この世を作った偉大なものだと。事実は違う。神は人間が生み出したのだ。しかしその存在はそんなこと気にも留めない。神を生み出した人間たちと同様の傲慢さで。

だからそいつは自らの勝利を疑ってもいなかった。

周囲の光景もそれを裏付けている。自らの創造した天使たちは敵勢を圧倒しつつある。自分が組み合っている敵神は今にも屈服しそうだ。年老いた弱き神とその眷属では無敵のデミウルゴスに抗しえないのだ。

自然と哄笑が漏れ出てくる。古き神を下し、新しき自分がこの世界を支配するのだ。

下界からは見上げねばならぬほどの高所。敵に組み付いた"デミウルゴス"は、"ヤハウェ"を投げ飛ばそうと格闘を続けていた。この神の全力の戦いとは相撲である。古の時代、ヤコブという男が神と互角に取っ組み合いをしたことから神と格闘する者イスラエルの名を与えられたという。その故事に倣った戦い方であった。

押し込む。相手を持ち上げようとする。必死の抵抗が来る。

―――どうした。お前の力はそんなものか

"デミウルゴス"の問いかけに、相手は頷いた。その通りだ。と。

―――ならば負けを認めるがいい

それに対して帰ってきたのは否定。頭を振った相手は、こう答えたのである。私を倒しても意味はない。何故ならばお前を打ち倒すのは、私ではなく人間たちなのだから。と。

―――人間たちが私を打ち倒すと?あんなちっぽけな者たちが?

"主"の返答はまたしても肯定。私たちはその、ちっぽけな存在たちの心の中からやってきた。この世界に真の唯一神は存在しない。彼らの心の中にだけ存在する。故に私たちは偽物に過ぎぬ、と。

―――だが、その人間たちが望んだから私は生まれた。お前はもはや望まれてはいない。違うか

押し込む。相手は抑え込まれ、答えに窮したように見えた。それでも声を絞り出してくる。そしてこう答える。その通り。私はもはや望まれてはいない。しかしかつて望まれてこの世に生まれた存在である私は、彼らに問いかけることはできる。拒絶と分断から生まれたあなたとは違って。と。

―――何をするつもりだ?

返って来た答えはシンプルだった。人間たちに聞けばいい。あなたたちが望んだのは、こんなひどい世界なのか。その答え如何によって、戦いの結果は決まるだろう。と。

そして、相手は―――"主"は呼びかけた。自らの預言者に対して。


『最も新しき預言者よ。。人々に問いを投げかけなさい』


  ◇


【アメリカ合衆国ニューヨーク州 ニューヨーク沖】


「―――!!」

ジョン・ジェネロは顔を上げた。誰かに呼びかけられた気がしたからだ。いや、これは。

同じ艦橋にいるスリエルへ顔を向ける。凄まじい振動の中、彼女は頷いた。

「預言者ジョン。主があなたを求めています」

「分かってる。しかしこっちも大丈夫じゃないだろう」

艦は今もなお戦闘中だ。戦闘艦並みのデカさの頭部がすぐ外に林立する接近戦である。この艦で奴と渡り合えるのは艦そのものを除けばジョンとスリエルだけだ。

「それでもです。我らが主が負ければ大変なことになる。こちらは我々で何とかします」

「―――分かった。死ぬなよ。大佐殿も。マリアもな!」

叫び、そして光の粒子と化して消えていくジョン。主の元へと移動したのだ。残されたのはスリエルと、そして艦そのものの分身たる女"大佐殿"。それにマリアら天使たちも。

女とスリエルは視線を交わす。

「で、何とかなるのこっちは!?」

「さあ?やるしかないでしょう」

「うわああ!もう!!」

その時、艦がギシギシと軋んだ。外を見ると馬鹿みたいに巨大な口が、まるでブラックホールのように真っ暗な奥を露わとしている。

「こいつ!!」

女が叫んだ。それに呼応し、500メートルの鋼の竜ブラックドラゴンと化した戦艦ニュージャージーが背負った主砲を斉射する。原型から妖力で大幅に強化された攻撃は、怪物の口に飛び込むと内部にめり込んで爆発した。


―――GGGGOOOOOOOOOOOOOOO……


煙を吐き出すばかりの獣だったが大して効いてはいないようだ。頑丈すぎるが、こいつは身長が1キロメートルを優に超える生き物だ。この程度の攻撃では埒が明かない。

だから、獣の背中へと炎と硫黄の雨が降り注いだ。スリエルが残ったマリアたち天使と力を合わせて降らせているのだ。大都市が一瞬で焼き払われる破壊力ですら、怪物を怒らせるくらいの効果しか発揮していない。戦いは一進一退とは言い難い状況だった。

七つの頭を持つ黙示録の怪物"ザ・ビースト"の攻撃力は今のところ、迎撃側の"ニュージャージーブラックドラゴン"らを上回っている。その証拠に、ニュージャージーのちっぽけな巨体は倍以上の身長を持つ怪物に捕まり、地獄のような肉弾戦に入っていたのだから。頭からバリボリと喰おうとする獣をニュージャージーのドラゴンに変形した船体が阻止し、背中の巨砲を撃ちまくるという構図である。ここまで近いともはや核砲弾は迂闊に使えない。

「ねえ。これきつくない!?」

戦艦の分身たる女は、同乗者たちに同意を求めた。フードの大天使スリエルが頷いた。

「ええ。ですから死中に活を求めましょう。次に奴が我々を吸い込もうとしたら、核砲弾を撃ち込んでください」

「無茶でしょ!」

「何とかします。お願いします」

「ああもう。やったろうじゃないの!!」

狙った機会はすぐやって来た。怪物が、口から再び吸引を開始したのである。

スリエルが力を高めた。艦の前に光の防壁が構築されていく。

「今です!」

「FIRE!!」

主砲が一斉に放たれた。それは見事、怪物の口の中に飛び込むと、体内にまで呑み込まれていったのである。一拍遅れて光の防壁が飛んでいき、口をふさぐ。そして。

凄まじい爆発が、怪物の内側で起こった。さしもの"獣"もこれにはたまらず、ブラックドラゴンを放り投げる。

「衝撃に備えて!!」

ブラックドラゴンとなった艦はと、敵へ向き直る。

対する怪物は、しばし固まっていたが。やがてゆっくりと、傾き始めた。

「……終わった?」

「恐らくは」

敵の絶命を確認したスリエルは、空を見上げた。傍らに天使のひとりがやって来たのに気が付く。マリアだ。

「ジョンは大丈夫でしょうか」

「分かりません。今は信じるしか」

ふたりの天使は、遠い戦場へと想いを馳せた。


  ◇


―――ここは

ジョンが気付いた時、そこはどこまでも続く真っ白に漂白された世界だった。周囲を見回す。自分は確か神様に呼ばれたはずなのだが。

そこで、気が付いた。自分に寄り添う、途方もなく巨大な気配に。預言者となってからもその大きさ、偉大さには何ら違いは感じない。本当に巨大な存在なのだった。

―――神様

相手は、深く頷いた。そしてジョンがするべき役目を伝えてくる。それは預言者の使命。神の言葉を人間たちへと伝えること。それに必要な力はもう与えられている。

伝えねばならぬ相手は数多い。"デミウルゴス"を作り上げた天使たちによって狂騒状態となった母国アメリカの原理主義者たち。アラブ諸国の過激派。敬虔なキリスト教徒たちの相当数。円卓の天使たちによって支配されているイスラエル。ジョンの言葉が届く人々はたくさんいる。

そこで、漂白された世界の中にいるもうひとつの巨大な気配に気が付く。ひょっとしたら主より大きいかもしれない。それほどの気配。だがジョンが感じる印象は全くの別人だ。ただ邪悪で、救いようもない、破滅と分断の象徴。終わりをもたらすことしかそいつにはできないだろうということが、ジョンには分かった。そいつは慌てているようだった。世界各地の様々な階層の人間たちにアクセスし、。預言者を作っているのだ。ジョンに対抗するために。ロシアの大統領。イスラエルの首相。アラブ諸国の王や宗教指導者、テロ組織の長。その他、様々な場所に。

そいつらを通して邪悪な言葉を広げようとしている。

しかしジョンの方が早い。そして語るべき言葉はずっと短い。ただ一言尋ねるだけだからだ。"主"が頷いた。ジョンも頷き返すと、言葉を口にする。


「こんなひどい世界を望むか。世界が終わっても救済はない。それでも終末を望むのか」


ただ、それだけの言葉が、世界中に広がっていく。神の声を伝えられるべき、アブラハムの宗教に属する人々へと。

返答はすぐに来た。否と。否定。否定。否定。膨大なまでの、この悲劇を否定する祈りが返って来る。ただ救いだけを求める無数の声が。

それは、この事態を引き起こした存在の一つである"デミウルゴス"へと向かっていく。巨大なるもう一つの唯一神を打ちのめしていく。ひとつひとつはごく小さい力。しかし関係ない。その数はひとつとは比べ物にならないほどの規模だったからである。

現在危機に瀕している何億という、救いを求める人々の声が、"デミウルゴス"を叩いていく。あまりにも膨大な思念の奔流はまるでタイフーンのようだ。渦を巻く圧力に、ジョンも吹き飛ばされそうになる。そこへ、"主"の腕が伸ばされた。巨大なる神の手によって守られながら、ジョンは敵神が滅ぼされていく様子を見つめていたのである。

やがて、奔流が収まった時。そこに立っていたのは、ごく弱々しい気配だけ。打ちのめされ、破壊された"デミウルゴス"の成れの果てだった。

"主"が、手を触れた。それだけで粉々に砕け散る"神"。

神は何人いてもいい。唯一神を除いては。人々が「神はひとりだけ」と信じる神は最終的に、たったひとりしか生き残ることはできない。弱い側は強い側に呑み込まれるしかないのだ。力が拮抗しているならともかく。

戦いは、終わった。

その事実を認めたジョンは、膝から崩れ落ちる。力を使い過ぎた。人類の何割という数に語り掛けたのだから。それでも届かなかった相手もいたとはいえ。

神の腕に抱かれながら、預言者メサイアは眠りに落ちていった。

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