満ちて、散る

蘇芳ぽかり

本編

 


  彼女は引き金の指に力を入れた。

 汗ばんで生暖かくなった銃の感触が気持ち悪い。血と汗で額に張り付いた髪で前が良く見えなかった。それでもわかる。目の前には彼がいる。彼女は睨むような鋭い視線で目の前にいる少年を見つめた。

 張りつめた沈黙。ねえ。

 ねえ、もしも。──くしゃり。泣き笑いの表情。

 もしも、もう一度この世に生まれられるのなら、その時は平和な世界で生きられるといいね。戦争なんてない世界で……。

 サヨナラ。彼女は心の中でそう呟くと、思い引き金を引いた。

 バァーンッ

 その音は軽いけれど重く、大きくはないが確かに響いて……。

 サヨナラ。

 ほとばしる鮮血。脱力した叫び声。

 サヨナラ。生きてね。




 これは果てしない悲劇の物語だ。

 桜の木の下、僕はあの頃を思い返す。あの記憶の全てが過去形で語れる、今だから。




 満天少年少女団。

 当時の子供たち中で、名前を聞いたことが無いはずのない組織。

 第三次世界大戦は“生存戦争”と呼ばれていた。地球に残された残り僅かな資源を求めて起こった戦争。資源とは、水や鉱物だけを指した言葉ではない。少子化に追いつめられた特化先進国では、子供たちまでもを貴重な資源とした。この国も例外ではない。僕らのような十八歳にも満たない子供たちは決してこの戦争に動員されたりはしない。少なくとも政府によっては。

『万が一、他国の兵士に襲われたりするようなことがあったら、これで身を守りなさい』

 中学一年。学校で一人一丁ずつ配られた銃は、とても重かった。それは確かに、人の命の重みだった。

 満天少年少女団。

 それは勇気ある中学生以上の少年少女によって作られた、政府非公認組織。すでに大人も含む多くの人がその存在を知っているだろうけれど、この国にはそれを止める余裕など今はなかった。

 他国なんかに負けるものか。大人に囲い込まれ、守られて、管理ばかりされていられるか。そんな、小さな星のような思いを胸に僕らは戦った。自分たちの学校。戦争により廃校となっていたその校舎を砦として。目的は、少しでも敵の進行を食い止めること。




 あの日、日付が変わった頃。

 奴らがとうとう僕らが担当する“砦”に攻めてきてというのは、すぐにわかった。声と、発砲音が聞こえたから。彼らは当然、彼ら自身の国の言葉を話しているけれど、耳につけた連続翻訳機が自動で僕らの国の言葉に変換してくれる。

「誰かいるのか?」

 呼びかけてくる声。応答するわけがなかった。

 隣で同じように息をひそめているミチルが顔をしかめた。たくさんの仲間たち――もとは校友だった仲間たちも机の下で腑に落ちないような顔をしていた。

 ミチルが呟く。

「おかしい。全ての扉と窓に赤外線装置を取り付けたから反応するはずなのに。奴らは入ってくる前にそれに気付いたのかしら」

 窓を見上げれば、小さい赤い光が灯っているのが見えた。ここは二階だから人が入って来るとは思えないけれど、念のため取り付けたのだろう。なのに意味なく終わった。装置が反応して鳴る前に、敵が破壊したということだ。

「仕方がないわね……」

 彼女――ミチルは僕らの砦の大将だ。

 それぞれの砦には一人ずつ大将、つまりリーダーがいる。彼らが司令塔となり指示を出すのだ。そして大将が何らかにより戦闘不能となったら、もうその砦での戦いは終わり。無条件で撤退する。それが、満天少年少女団の決めた、出来る限り生存数を残すためのルール。

 “戦闘不能になる”。なんと恐ろしい表現だろう。自らこの組織に飛び込んだ僕らにとって、命のやり取りはこんなにも身近にある。

「いい? 身構えて。もうすぐ始まるから」

 その言葉に、僕らは息を殺す。腰に下げた護身銃のグリップに触れた時、ふとミチルが銃ホルスターの留め具を外していないことに気づいた。あれではすぐに撃てない。僕らに備えるように言ったのに何を考えているのだろう。

 心臓がどくどくと脈打っている。強く、強く。今ここいるみんながそうだろうけれど、僕の場合はより一層。

 怒声が耳に入ったのは、その時だった。

「見つけたぞ! 撃て!」

 いくつもの声と銃声。下から聞こえる。一階に隠れていた仲間たちが見つかったのだ。ひたすらな発砲音。これはきっと敵国の兵の銃声だ。僕らの物とは明らかに違う音が、何か金属をはじき上げているようだ。

 撃つ、撃たれる。殺す、殺される。それをいよいよ肌に感じた仲間たちが落ち着きを失いだす。

「静かに。今は動かないで」

 その冷静な声に、みんながまた瞬間的に静まる。ミチルが僕らのリーダーで本当に良かった。

 ……だが仲間の一人が僅かに動いた。少し体制を変えるために。それによってガタンと机が揺れた。

 ミチルが素早く顔を上げ、チッと舌打ちをした。

「もういいわ。敵が上がってくる前に行って! とりあえずたくさん撃って! 銃口が折れないように気をつけてよ!」

 仲間たちがわっと飛び出していく。その後に続こうとする僕を、ミチルが呼び止めた。

「待って。貴方は残って」

「なんで……?」

 本当に何を考えているのだろう。

 言われるがまま、僕は彼女と再び机の影に身を隠す。ミチルは少し笑った。

「全員で突撃するのは得策ではないと思ったの。貴方、銃上手いでしょう? もう少し様子を見よう」

「それもそうだね」

 下の階から響く。沢山の銃声。怒鳴り声。そして時に嘆くような声。2人でこうして机と机の間にしゃがみこんでいると、まるで穢れた戦場からは遠く離れた場所にいいるかのようだ。

 だが気づくこともある。この戦いの音は下の階からのみ聞こえてくるものではない。外からもだ。敵に攻め込まれているのは当然だ。この校舎だけではない。この国と敵国の間にはすでに力の差が生じているということ。

「ねえ。どうして貴方はこの組織に入ったの? だって死ぬかもしれないのよ?」

 ミチルが囁く。こんな時になぜ聞くのかとも思う。だが、こんな時にしか口にしない、こんな時だからこそ言葉を交わしたい、という思いはわかる気がした。彼女の「死ぬ」という言葉は震えていた。

「僕は……」

 星明かり。月明かり。

 静けさにスッと息を吸い込む。

「僕は、本当は戦いたくなんてないんだ。でも大人たちに任せておいても一向に国同士の関係は良くならないし、大切な“資源”とか何とか言われてのうのうと生きていくより……」

 言い切ったりはしなかったけれど、彼女は理解してくれたようだった。そうね、とただ頷く。

 声、声、声。敵はどれだけ強い武器を持っているのだろう。訓練されて戦いにも慣れているに違いない。だが僕らはみんな、人を撃ったことなんてない。武器だって大したことが無い。当たり前だ。満天少年少女団は公認されていないのだから。

 くだらないよな、本当。

 戦争を起こし、名ばかりの平和を夢見る、その繰り返し。神も仏も信じないけれど、彼に人間たちを見下ろすような立場の者がいたなら、僕らの営みはきっと滑稽に見えるだろう。

 随分と時が経ったように思えた。だがほんの数分しか経っていないかもしれない。敵は一向に僕らのところには来なかった。二階にはもう誰もいないと思っているのかもしれない。

「もうそろそろ、私たちも出ていくことにする?」

 ずっと隠れていちゃダメだものね。ミチルが微笑む。その笑みは若干強張っていた。

 「待って」

 咄嗟に呼び止めた。

 立ち上がった彼女が振り向く。どうしたのと。長い黒髪が揺れた。

 今なら言えるかもしれなかった。僕の考えた策略を。

 誰にも言わずにひそかに温めていた作戦。彼女に話せば、彼女が協力してくれれば、仲間たちを混乱させることなく結末に誘導できるかもしれない。ミチルのリーダー性は完璧だから。

 外の、どこか遠くの方で何かが爆発する音がした。明け方の星が空できらきらと輝いているのが見えた。

 僕が口を開いた。その時。

「隊長っ! いますか……」

あせったようなかすれた声と共に、変な足音が近付いてきた。不揃いで、ふらついた足音。ミチルが顔を上げて目を細める。僕は言おうとしていた言葉を無理やり飲み込んだ。銃をホルスターから取り上げ、教室の入り口に向けた。用心するに越したことはない。

 ……数秒の恐ろしい沈黙の後、僕は銃口を下げた。

 入ってきた彼は、仲間の一人であり、今さっきまで戦中にいた彼は血まみれだった。僕らを見つけた途端、その場に崩れ落ちる。

「どうしたの!!」

 ミチルが慌てて駆け寄った。

 彼は目を見開いて震えていた。そのまわりにポツポツと血が模様を作っている。手にきつく握られた銃の先を見て、僕は顔を歪めた。

「その銃……」

 自分が今手に持っているものと比べてみれば、違いは明らかだった。二年ほど前、共通に配られた銃の先端が溶けて曲がっていた。大きく歪められた金属の中に、小さな銃丸がめり込んでいた。

「他のもなんだ……」

 彼は息も絶えだえに言った。

「俺たちの銃、全部壊された。銃口を潰されたんだ……」

 護身用銃。つまり、身を守ることだけを目的とした玩具。最新式の物と比べればかなり脆く、銃口に少しでも傷がつけばすぐに駄目になる。だからミチルも、戦いの前に『銃口に気をつけろ』と言っていた。

 ミチルが横で、唇を嚙みしめた。そのまま無言で身をひるがえす。何の用意も──心の準備さえもできていないだろうに、戦場に入るつもりだ。

 隊長である彼女が倒れるまで、僕らは戦い続けなければいけない。仲間たちがどれだけ深い痛手を負おうとも。そうだ、ルールだ。その痛々しさに、えげつなさに、僕は顔を背けたくなる。

「ごめん。僕も行ってくるから」

 怪我をした彼をどうにか楽な姿勢で横たえ、ミチルを追って駆け出した。上滑りする足で階段を駆け降りる。何度も転びそうになる。

 ふと足を止めた。錆び途中の鉄のような匂いが鼻をつく。血だ。

 一階。

 呆然とした。廊下、教室。そこに差などなく、惨い有様だった。これは戦場なんかではない。戦争が終わった後のような、一方的にやられた後のような状態だ。腕や脚から血を流し、無造作に転がった仲間たち。不自然に曲げられた銃。壁の血痕と床の血溜まり。

 でも、誰一人として死んでいるわけではないんだ。だって……。

 ここにきて、ようやくミチルがホルスターから銃を取った。

 勝ち目はないよな、そう思いつつ、僕もちゃちな自分の銃を構えた。相手の武器は、国から支給されたであろう本格的な最新式の銃。

 視界の隅で何かが光った。敵国の兵士が一人、彼女の銃の先端を狙って構えていた。

「ミチル!!」

 すかさず発砲する。

 兵士が周りの机と共に後ろに倒れた。耳障りな音に顔をしかめる。

 ミチルがハッと背後の倒れた兵士を見やった。その眼の中に、驚愕と苦痛、そして疑惑の色が浮かんでいた。ああ。

 そして、それが始まりとなった。いたるところで息を潜めていた他国兵たちが、一勢に射撃を始めた。

 近くの机を盾にする。弾かれる。逃げ惑う。

 ダダダダダ……。

 連続銃撃の音と共に僕らは周りの物が吹き飛び出した。机や椅子の骸に、木片、金属片、細々になった窓ガラスが身体に突き刺さり、呻いた。ミチルが銃撃を避けつつ何かを拾い上げた。その頬から血が弾けとぶ。崩れ落ちそうになった時、ようやく発砲が止まった。

 敵陣の中から一人、リーダー格の男が進み出た。暗視装置やらのついたマスクを顔中に張っているので、表情は何もわからない。だが軍服越しに体格の良さがわかった。仮に武器を持っていなかったとしても敵う相手ではない。

「聞こえるか。……言葉は分かるか」

 低く、少し掠れた声。翻訳機のおかげで、言語に困ることはなかった。

 ミチルが喘ぎつつ素直にうなずいた。

「武器を渡せ」

 彼は手を伸ばし、僕の銃を握る右手へと差しのべた。従うしかない。汗ばんだグリップを放すと、異様に拳に力が入っていたことがわかった。

 彼はミチルにも武器を渡すよう求めたが、彼女は首を振った。

「さっき壊れてしまいました」

 ミチルの見せた銃は、中心部から先端にかけて激しくひび割れていた。

「それでもいい」

 彼はその銃を受け取ると、マスクの奥から僕らの眼をじっと見た。何の感情も読み取れない。ヒヤリとするような眼だった。

「降伏するか? そうすればお前たち全員を捕虜にしてやろう」

 もしそうしなければ? 言うまでもない。何人もの敵軍兵に囲まれているのが気配でわかった。

 横目でミチルの方を確認する。彼女は俯いていた。靴のつま先を見つめている。考えているのだろう。頬を無数の傷から流れている血が伝っていた。

 考える? 何をそんなに?

 言うことに従わずに降伏しなければ、すぐに殺される。僕らにはもう太刀打ちできないんだ。捕虜になればまだ生きられる。傷ついた仲間たちと共に、いつか自由になれる日が来るかもしれない。なぜ迷う? 生きるか死ぬかを。

 死ぬとは、終わることだ。

「時間をやろう。良く考えるがいい」

 彼が少しだけ離れた。その時だった。

「……なた」

 ミチルが低い声で何か言った。

「えっ何?」

 聞き返した僕に、彼女は叫んだ。

「貴方、最初から仕組んでたのね!!」

 いきなり僕の心臓めがけて銃を突きつけた。壊れていない銃。そうか、さっきミチルが差し出したのは拾った別の仲間の物だったのか。こんな時なのに、かえって冷徹に思考が巡った。

 どこかで鳥が鳴いた。……朝が来る。

 ミチルが唸るように話し出した。

「初めからおかしいと思ってた。敵がそんなにすぐに気づくわけがないじゃない。窓の赤外線装置にも、私たちの銃の弱点にも」

 だんだんと早口になる言葉。僕は黙ったまま。

「まだあるの。どうして私たちの仲間は誰一人として死んでいないの!? みんな動けない状態にはなっているけれど、生きている……。生かされているのよ! それに貴方の弾が当たった敵はただ眠っただけだった。偽物の弾丸だったのね!?」

 そして一息。それまでとは打って変わった様子で彼女は囁いた。ひどく悲しそうな顔をして。

「奴らを、他国の兵士たちを私たちの砦に入れたのは貴方なんでしょう?」

 その泣き出しそうに歪んだ顔を前に、違うと叫べたらどんなにいいか。でも、答えはイエスだ。

 ミチルに話した通り僕は戦いたくなんてなかった。相手が僕らからみた“悪者”だったとしても。兵士たちが攻め込んでくる前から、僕はすでに彼らとコンタクトを取っていた。『僕らのことを殺さないで。生け捕りにして』

 戦いなんて、もとからやるつもりはなかった。仲間が死ぬところを見たくなかった。臆病なのだ。だから、ぶつかり合って殺しあうのではなく、敵に生きたまま捕まえてもらうことを選んだ。窓や扉に取り付けられた装置、僕らの武器について情報を提供した。僕ら彼らを傷つけるわけにはいかないから、銃には睡眠薬丸を詰めた。

 仲間の死を目の当たりにしなくて済むなら、自分などどうでも良かった。

「一緒に隠れていた時から、気付いてた?」

 ミチルは僕を睨みつけた。

「気付いてなかった。銃が全部壊されるまで」

「そっか」

 敵国兵たちがこちらを見ている。成り行きを見守るつもりだろう。僕が仲間と揉めてもできるだけ手出しをしないでほしいと伝えてあった。僕がそれで殺されたとしても構うな、とも。

「ねぇ、撃てば?」

 自然と声が出た。

「……え?」

 僕に向けられた銃には、まるで力がこもっていない。銃先が細かく震えていた。

 分かっていた。だって……。

「君には人を殺せないんだ」

 みんなに構えろと言った時だって、ミチルはホルスターの留め具を外さなかった。それに途中まで参戦せずに隠れていた本当の理由はなんだ? 戦いに入ればおのずと人を殺すことになるからではないか。彼女はまだ、一度も発砲していないのだ。

 真っ暗だった空が、少しだけ明るくなったように見えた。ミチルが再び下を向く。

「そんなわけ、ない……」

「じゃあ撃ちなよ」

 自分でも意外なほどに声が冷たかった。

 隊長だから、自分から身柄を差し出すなんてできるわけがないから。だから降伏をしないと言うのなら、僕を殺せ。裏切った僕を。

 僕を今殺して、敵に一人で立ち向かって殺られるか。僕と兵士たちによって捕えられ、全員で捕まるか。

 つまり、支配されるか、殺されるか。

 ……今僕を殺すか、殺さないか。

 荒れ果てた校舎は、不気味なほどに静かだった。まるで誰も息をしていないかのように。

 ごめんね、心の中でミチルに謝った。やはり、二人きりのときに言いたかった。言うべきだった。いつも冷静で落ち着いた彼女を、他でもない自分が動揺させている。自分は酷いことをしたのだとあらためて思い知った。

 怖くなった。自分自身が。

 僕のことを早く殺してしまえよ。自分の中で役目は果たしたつもりだから。もう生きる意味も必要もない。ここにきてようやく気付くことがあった。これは願望であって、彼女の義務ではないんだ。彼女は今僕を撃とうか撃つまいが捕えられる。仲間たちと共に。……そして仮に生き残ったとして僕も捕らえられるだろうけれど、きっとその時は僕は仲間ではなくただの裏切り者なのだろう。そう思うと虚しいような気がした。

 僕が再び顔を上げた時、ミチルはこちらをもっと鋭い目で見つめていた。額から血が伝い流れる。

 僕の心の中はもうぐしゃぐしゃだった。きっと冷静でなんてなかったのだ。もとから。

「この戦いを終わりにするわ」

 彼女が毅然と言い放った。でもその目にはガラス球のような涙が浮かんでいるのを見た。見てしまった。

「つまり……?」

「貴方、私が今殺さなかったとしてもどうせ後で死ぬつもりでしょう? 責任を取るとか言って」

 僕は目をゆっくりと瞬く。何と言ったらいいかわからない。ミチルは続ける。

「殺すか、殺さないか? どちらかを選べというなら、選択肢がどちらかしかないというなら、私はこうする。もう迷わない。だから……」

 だから知りなさい。死ぬことはどういうことなのかを。

 その目からとうとう雫がこぼれ落ちた。

 彼女の待った銃に力が入ったのがわかった。もう震えてなんていなかった。そして銃口がゆっくりと向きを変える。

「……っ!?」

 様子を監視していた他国の兵士たちが顔を見合わせた。

 僕も一瞬訳がわからなかった。

 一体。

 ミチル、どうして。

 彼女の銃口は、ピタリと真っすぐに彼女自身に向いていた。

「死んだところで貴方は報われない。逃げるだけよ。そんなことになったら、呪ってやるから」

 その顔を見て、僕は金縛りがかかったように動けなくなる。

 ミチルは隠そうともせず泣いていた。

 なのに。

 ミチルは微笑もうとしていた。

 彼女が自分から捕らわれることが立場上できないのはわかっていた。裏切った僕を率先して許すような真似ができないことも。でも。でも、だからって……。駄目だよ。こんなの。

 ミチルの唇が小さく動いた。い・き・て・ね。こんなことをした僕に、殺されて当然のような僕に。それでも生きろというのだ。目の前が白くかすんでぼやける。

 深い、深い。

 だけどどれだけ深くても許されない自責。

 数秒の後――。

 彼女の銃口が静かに火を吹いた。誰も止められないままに。

 ああ。

 彼女が床に倒れこむのがスローモーションのようにゆっくりと見えた。

 時よ、止まれ。巻き戻れ。

 でも心のどこかでは、もう遅いと知っていた。

 ミチルの背が床につくのと同時に、その胸からありえないほどの量の血が飛び散る。それは真っ赤な花のように。花。ああ。宙を舞う血飛沫は花びらのようだ。

 叫んだ。叫んで、泣いた。

 もう、何もわからなかった。瞼がカッと熱くなる。何もかも、どうでもいい。ミチルが死ぬなんて、そんな。

 そんなこと……。

 僕の弱さと、身勝手な行動が、何も悪くない彼女を殺した。死なせてしまったのだ。大切な僕らの隊長を。

 僕らの戦いは、ここで終わる。











 第三次世界大戦の終戦日は。三月二十二日。丁度五年前の今日であり、桜の咲く季節。

 終戦から数か月後、他国兵たちに開放されてから、僕はこの校舎のあった場所に桜の木と石碑を置いた。僕らが戦った夜明けの何日か後、この場所には爆弾が落とされたためもう何も残ってはいない。

 やわらかい春風。花びらがひらひらと舞う。

 石碑の下に、花束を置いた。チューリップの花束だ。石碑に手を触れる。ひんやりとした石の感触に僕は目を閉じた。

 ミチルが自分自身を撃った後、僕は傷ついた仲間たちと共にそのまま捕らわれの身となった。怪我を負った仲間たちを看つつ、同じように捕虜となっていた子供たちと働いた。その中には、別の学校を砦として戦った、満天少年少女団の子供たちもいた。それから終戦まで間は何も考える暇がないほど忙しかった。

 ミチル。彼女が今どこで眠っているのかは知らない。僕が死なせてしまった彼女は今どこに。

 ──生きなさい。

 ──死に逃げたりしたら、呪ってやる。

 僕にかけられたその言葉は、何があろうとも消えない。

 何が、死とは終わること、だよ。彼女の死は、僕の光無い生への始まりでしかなかった。

 薄桃色に染まった桜の枝がたゆたう。それと対照的に、その周りは灰色の荒れ地。国は荒廃した。この場所に復興の手が入れられることはきっとない。世界は朽ちる時を静かに待っている。

 ねぇ、ミチル。

 僕はようやく大人になった。二十歳を迎えた。仲間たちの傷も完全に癒えた。誰も死ななかったんだ。君以外。誰も。

 ねぇ、ミチル。

 こんなこと、僕に言う資格はないってわかってる。君に生かされた命。だけど……。

 やっぱり君は死んじゃいけなかった。

 とめどない思い出が溢れてこぼれる。涙のあたった部分の石碑の色が微かに変わった。

 君は今高いところでこの僕の姿を見ているのかな。この情けなくてどうしようもない僕を見てもまだ、生きてって言ってくれるのかな。

 君はこんな僕を許してくれるのかな……。

 満ちて散っていく世界と、満ちて散っていった君。そして、やがては散っていく僕ら。この世はフラクタル模様を描いて、それでも少しずつ形を変えて終わりへと進んでいく。

 平和の花束と、残酷で美しかった悲劇が重なる。

 あの夜明けは久遠に。













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満ちて、散る 蘇芳ぽかり @magatsume

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