VIII. 十九歳のクリスマス

第24話 十九歳のクリスマス(1)〔失意の誕生日〕

 それからも、だいたいは部屋の中に閉じこもっていた。

 今のままではいけないと、私なりに試みてはきたが、それで何が変わっただろう。


 休学して数か月、万事が中途半端なままに、まるで万策尽きたとでもいうような、あきらめの気持ちまでわいてきて、静かに日々をやりすごす以外、できることはない。


 病院にはつながっていた。


 薬の切れ目は二週間だが、通院の頻度は延び延びになる。

 私の調子は浮いたり沈んだりでも、医者と話すとき、私はたぶん、そんなにひどい印象じゃない。顔も洗わず部屋に転がっているときは、そもそも外出できず、電話もかけないからだ。


 やがて気が向くとシャワーを浴び、髪をとかし、人間らしい服に着替えて、病院に出かける。


「変わりはないかな」と吉田先生は言う。

「ええ……。たまに寝込んだりはしますが」

「気になることでもあった?」

「まあ……。仕事のこととか」

「仕事?」

「つまり、将来のこととか……」


 私は言いなおした。診察時間は限られているし、私を混乱させた出来事だって、人の興味を引くよう、筋道立てて話す自信がない。


「つらいときは、無理することないよ。カウンセリングは続けてる?」

「いえ、その後はあまり……」

「……話を聞いてもらうと、いいんじゃないかな。薬も切らさないように、飲んだほうがいい」


 彼の言い方は一般論に近くなる。それは私が、自分の情報をほとんど伝えないからでもあるが。

 私は、薬はまだ少し残っていると言った。


「飲み忘れちゃうわけ?」


 薬が魔法のように状況を変えることはないが、あなたが行動を起こすときに、助けになることもある――と彼は言った。

 私はそれを、幾分かは信じ、幾分かは疑った。


 ともあれ今日も、こうして差しさわりのない話をして、追加の薬だけもらい、また家に帰る以外にない。

 私は話題を変えて、こう聞いてみた。


「早希は……どうしてますか」

「あなたと同じで、最近あまり来ないよ」

「……そう」

「仕事してるみたいだし、うまく生活できてるといいけどね。忘れたころに、ひどい様子で駆け込んできたことも、過去にはあったから。あなたも困ったことがあれば、いつでも連絡するといい。あいだが開いたからって、遠慮することはないよ」


 私は、はい、と答えたが、今の自分に医者の力をどう生かせるのか、やはり分からずにいた。


 一方、同じ屋根の下に暮らす母とは、当然顔を合わせる。

 母は私のこんなありさまも、今は日常ととらえていたのか、不思議に干渉しようとしない。


 私がベッドに寝転がっているあいだ、母は部屋のドアをノックすると、返事もしない私にかまわず、一度だけ室内に入り込んできたことがあった。


 それは十月下旬のある日――私の誕生日だった。

 母は頭の上から声をかけた。


「今日はあなたの誕生日じゃない。おいしいものを食べて、お祝いするのは、またにしたほうがいいかな」


 私はうつぶせになったまま動かなかった。

 そんな記念日の話を持ち出すことが、いかにもありきたりで、苦々しく思えたのと同時に、今の自分が置かれた状況をすべて忘れて、子どものころのように甘えてしまいたい思いが入り混じり、どう答えていいのか分からない。


 私は十九歳になった。

 右に行くのか左に行くのか、そろそろ答えを出さなくてはならない。


 十代最後の年――ある人は就職し、ある人は進学し、またはそれぞれの道を見出していく。

 大人に牙をむいてきたはみ出し者だって、いつまでも不良のままではいられない。

 昨日まではヒロイックに映った反逆行為が、今は場違いで幼稚に見える。未熟さまでもが輝いていた時代は、もう過ぎ去ってしまった。


 それは身の回りの抗いがたい仕組みやしきたりに、飲み込まれていく感覚でもあった。


 ある朝顔を洗って鏡を見たら、そこにいるのは、もう子どもではない。

 すでに社会の小さな役割を担い、額に汗していてもおかしくない姿だ。

 早い人なら子どもを産んでいるかもしれない。

 

 心なしか、頬から首筋の脂肪が落ち、肩から胸にかけての厚みが増した感じもする。

 不安げに揺れるまなざしは、生活の苦労さえ知っているかのようだ。


 でも内実はどうだ。

 一人置き去りになったまま、時間ばかりが過ぎていく。

 本当は力のかぎり駆け出して、この遅れを取り戻したいと思うが、今の私には、何一つできることがなくなってしまった。

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