第24話 十九歳のクリスマス(2)〔クリスマスミュージックと家族の思い出〕

 十一月に入っても、私はなんの役割もないわりに、常に気がかりの種を見つけ出し、あれこれ思い悩むことに忙しかったようだ。


 私を悩ませたものの一つは、テレビやラジオから時折流れてくる、気の早いクリスマスミュージックだった。

 こうも明るく、優しく、希望に満ちたメロディを私に聞かせて、どうしろというのだろう。


 しかし音楽は、椅子に座っているとき、ベッドに横たわっているとき、キッチンで盗み食いしているとき、ふいに聞こえてくる。なんとか静めようとしている私の気持ちを、妙に浮き立たせようとする。


 かさぶたを剥がすのと同じだ。

 うっかり期待を抱いてしまえば、それをどこに向けていいのか分からず、昔の飛行船みたいに、破裂して落ちてしまうかもしれない。


 ひょっとして……。

 私は部屋を出て一階の居間をのぞいてみた。ちょうど鉢合わせた母が言う。


「……何?」


 いやなんでもない。

 私の知らないあいだに、ツリーでも飾られているのではないかと思ったのだが、居間はふだんと変わらなかった。


      ◇


 両親には宗教心がなかった。

 岡山の二人の実家には、仏壇や神棚があったと思うが、この家には数珠の一つもない。

 そのくせ正月になると初詣に出かけ、お盆には帰省して墓参りし、クリスマスにはツリーを飾った。


 私が小学生のころ、父は十二月のある晩、身の回りで見たこともないような、巨大な人工ツリーを突然買ってきたことがあった。

 戸惑う母の質問攻めをかわしながら、ひとまず居間でツリーを組み立てると、父はあとの飾りつけを私に任せ、母の説得に専念した。

 両親が交わす大人の議論をよそに、私は目を輝かせながら、ブーツやボールなどのオーナメントをぶら下げたのを覚えている。


 巨大ツリーがわが家に飾られたのは、残念ながらその年限りだった。

 ツリーには神聖なものが宿るから、古くなる前に交換したほうがいいなどと言って、父は翌年、二回りくらい小さなツリーを買ってきた。


 まるで神社のお札かダルマだな、と思ったら、本当は母の機嫌が悪いのと、あまりに大きくてしまう場所にも困るというのが理由らしい。

 新しいツリーを飾りながら、母はもっと小さくていいと言い、私はもっと大きいのがいいと言い、父はじゃあどうすればいいと言ったが、ひとまずは新しいツリーで一冬を楽しむ以外にない。


 その後もツリーは一、二年ごとに更新され、そのたびに小さくなっていった。

 母は派手なツリーを相変わらず好まず、イルミネーションの電気代のことまで口にするし、私は私で、成長につれてツリーへの興味を次第になくしていったこともある。

 父だけが、いつまでも子ども心を失わなかったようだが、その三人の気持ちのバランスで、ツリーの大きさが変わっていったとも言える。


 ツリーがもし家族のありようを映し出すとすれば、それに応じてツリーをたびたび入れ替えていくのは、案外理にかなっているのかもしれない。


 私が中学校に入るころには、ツリーは卓上のミニチュアになっていた。

 私もそのころは反抗期に入って久しく、父とはほとんど口をきかなかった。

 ツリーを飾るのは主に母の役目になっていたが、母はそれを部屋の掃除や整理整頓の一環としてとらえていたようだ。

 手のひらにさえ乗るような小さなツリーを見て、父は寂しそうではあった。


 私が十四の年のクリスマスだったと思う。

 父はほとんど会話のなかった私に、突然こんなことを言った。


「悪いけど、たまには俺に付き合ってくれないかな」

「……はい?」

「ちょっと、一緒に行ってほしいところがあるんだ」

「……どういうこと?」

「お母さんはその日、地域の寄り合いがあるらしい。君と俺と、二人だ」

「でも出かけるって……どこに?」

「横浜には大きな教会があるだろう。本当のクリスマスを、見にいかないか?」


 父はクリスチャンではないし、教会に行く話などこれまで聞いたことがない。

 父が突飛なことを言い出すのはこれに始まったことではないが、ただ父がそんなふうに率直に物を言うのも珍しい。

 私は不意を打たれた形で、ほとんど事情を飲み込めないまま、分かったわ、と答えた。

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