第22話 勤労者諸君!(3)〔夢を見た〕

 ベッドの上で目を閉じれば、人は眠りにつく。

 そして私は、分かりやすい夢を見た。



 ――私は久しぶりに市街地を歩いている。

 見覚えのある風景だと思ったら、そこはキャンパスに向かう商店街だと気づく。

 なぜ私はここにいるんだ。


 自分の姿を見られないよう、顔を伏せて立ち去ろうとするが、商店街は思いのほか長く、歩いても歩いても終わりがない。


 私は次の角を曲がり、裏の路地に入り込む。

 路地に人影は少ないが、古書店、喫茶店、雀荘など、学生街らしい風景が続き、少しも油断がならない。


 何かに追われるように、さらに奥へと進むと、古い木造の家屋が密集してくる。

 表に出された小さな洗濯物、枯れかかった鉢植えは生活の証で、その合間に空き家もある。


 道は狭く入り組むようになって、蓋の外れた側溝は、半分は干上がり、半分は流れが詰まっている。なぜか自分の忘れたい思い出でも見せられたように、情けない気分になって、私は足早に進むが、どこに向かっているのか分からない。


 するといきなり、大通りに出た。

 上下合わせて四車線の道には、乗用車のほか、バス、トラックなどの営業車両が途切れることなく走り、その両側には、鉄筋コンクリートのビルが建ち並んでいる。


 ここまで来れば、人に見られることはない。たとえ見られたって、私なんかどこの誰でもないはずだ……。

 おまけに私は、自分で自分がどこにいるのかも分からない。

 結局私が帰るところは、あの小さな自分の部屋以外にないじゃないか……。


 辺りを見回すと、少し先のビルの壁に、地下鉄の入口の表示が出ている。あの下に駅があるんだろう。

 私は足早に歩み寄り、入口を潜り抜ける。


 古いビルらしく、蛍光灯に照らされた細長い廊下に沿って、飲食店、輸入雑貨店、保険代理店などが続いている。

 ここはオフィス街で、きっと父の世代の、きっちりネクタイを締めたビジネスマンが働いているんだろう。


 入り組んだ廊下を進み、何度か角を曲がるが、地下鉄への降り口が見つからない。

 ひとまず最寄りの階段から地階へ下ると、廊下の先に、ひときわ白く照らされたオフィスがあった。


 開け放された入口の奥に受付カウンターがあって、その手前には観葉植物、向こう側には白いデスク、コピー機、システム収納棚が並び、今どきのオフィスといった感じがするが、気づくと二人の女性がパソコンを打っている。


 ――それは早希とjuliaだった。


 二人はここで働いてるわけ? こちらに気づかれないよう、観葉植物の陰に身を隠すが、どうやら二人に私の姿は見えていないようだ。


 juliaは皺のないポリエステルのスーツを身につけ、早希はあっさりしたストライプのシャツを着て、それぞれ無言でモニターを見ながら何かを入力している。


 そのとき奥から両手に書類を抱えた女の子が現れた。ピアノの発表会みたいな白いフリル付きのブラウスに、ウサギのペンダントをぶら下げて、メガネをかけた彼女は――ほかならぬ梨子だった。


「すみませーん、コピーできました」


 梨子は書類の束をjuliaの机の上に並べ、かしこまって立っている。

 どうやら彼女もここでバイトしているらしい……。

 juliaは無言で書類に目を通すと、ぶっきらぼうに言った。


「このコピー、ずれてない?」

「……は?」

「斜めになってるでしょ」

「……そうですか?」

「ほら、見てみなさいよ」

「これは……フィーダーから自動で読み込みましたので」

「だから?」

「オリジナルの書類がずれているのかと……」

「あなたが修正できるでしょ」

「そんな……」

「そのくらいの感性をもちなさいっていうの」


 梨子が不満そうな顔で黙っていると、早希が口を開いた。


「あなたが思ってること、当ててみようか」

「……え?」

「たかがコピーだって、言いたいんでしょ」

「いえそんなことは……」

「これも一種のレイアウトだって、考えられない?」

「……」

「このコピーを受け取る一人一人が、あたしたちの読者かもしれないじゃない」

「ええ……」

「ジャーナリズムを志すなら、そのくらいの高い意識を、常にもってなさいよ」


 梨子は二人のあいだに立たされたまま、いつしか目に涙を浮かべている。

 続けてjuliaが言った。


「何を泣いてるの」

「……」

「そうしてるあいだに、できることがあるでしょ」

「……はい」

「悔しさは、行動でぶつけなきゃ」

「……もう一度、やり直します」

「そうよ、そうしなさい」

「……その前に、一つだけ言ってもいいですか」

「何?」

「私が悔しいのは……あんなやつに批判されることです」


 梨子はふいにこちらを見ると、私をまっすぐ指さした。


「あいつは、まるで何か特権があるかのように、一日中部屋の中で、寝て、起きて、食べて、出して、それでいて、自分が悩んでるつもりでいるんです……」


 早希とjuliaは無言で私のほうを見た。

 梨子は私に一歩近づき、挑むように言う。


「……あなた、そこで何をしてるの? いつも逃げてばかりで、なんの働きもせず、ただ安全なところから人の様子をうかがって、えらそうな批評を繰り返してさ、たまに顔を合わせれば、自分が傷つきたくないもんだから、人を見下した態度をとるのよ。ねえ何か言いなさいよ!」


 弁明しようにも、私は声が出なかった。

 金縛りにあったみたいに、身動きもできない。


 ――そう、今の私は、どうにも動けないのだ。

 本当は闘いたい。できることはしようとも思う。

 そのできることの量が、圧倒的に少ないのだけど……。

 つまり、世間一般的に見れば……そうよ、逃げてるのよ!


 ――内心で自問自答を続けながら、私はただ腑抜けたように立っていたのだと思う。

 早希とjuliaは冷ややかに私を見ている。

 二人には、そんな私の思いなど意味をなさないのだろうし、そもそも私なんか、いないも同然なのではないか――。



 そこで私は目を覚ました。

 仰向けのままベッドに横たわり、天井の模様を見ている。


 ゆっくりと体を起こし、ベッドの縁から足を下して座る。

 首筋から寝汗が流れる。

 なんだ、ジュン、気にしてるじゃないか。

 まあ、はたから見たら、いつものように昼寝から目を覚ましただけだが。

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