第20話 団地でビラ配り(12)〔早希に問い詰められる〕

 私は自分の考えを伝えようと思った。彼女の気持ちを静めたいと思った。

 私は、炎天下で早希のつらそうな姿を見ていられなかったこと、このままだと早希が倒れるかもしれないと思ったこと、一人でビラを配ったのも早希のためだし、そのあいだもずっと早希を思い続けていたことを話した。

 しかし早希は何を言っても聞き入れず、固く首を振り、私を突き放すような目で言った。


「嘘よ……心の底では、あたしなんて、どうでもよかったんでしょ」

「そんなことない……」

「あたしが不安なのに、自分のことばかり考えて……ジュンがそんな人とは思わなかった」

「違う、早希のこと考えてたわ」

「口先ばっかりよね」

「どうしてそんなこと言うの」

「ジュンも、あたしのこと利用したんでしょ。あたし、誰でも受け入れるし、愛想もいいから、都合がよかったのね」

「何を言ってるの?」

「みんなそうよ。でもあたし、そんな楽しいだけの、薄っぺらな人間じゃないから」

「誰もそんなこと、言ってないわ」


 早希の言葉は私を問い詰めるようで、私は苦しい言い訳をさせられている気分になるのだった。

 私は懸命になった。早希が納得できるよう考えを巡らせ、少しでも真実に近い部分を話すよう努めた。


 私は早希に会いたかった。私に足りない何かを、早希が持っていると思った。早希と一緒なら、知らない世界を見られるかもしれないと思った。

 利用したんじゃない。早希を必要としたのだ。

 今の私にとって、早希はただ一人の友達じゃないか。


 ――そこまで言うと、早希の前髪が風に揺れた。表情が緩んだのだ。

 早希は私を見て、私の言葉の一部分を、ようやく認めたかのように言った。


「あたし……ジュンの友達?」

「そうよ……今の私には、早希しかいないもん」


 早希は不思議に幼い顔で笑った。


「ほんとに友達?」

「本当よ」

「じゃあ……一緒に飲みにいかない?」


 私は話の展開が理解できなかった。

 私が無言でいると、早希は言葉を続ける。


「横浜に、なじみのバーがあるの。そこは、夕方にはオープンするわ」

 

 なおも言葉に迷っていると、早希は怪訝な顔で言った。


「飲みに、いかないの?」

「でも……」

「でも何よ」

「私……未成年だし」

「つまらないこと言うのね。ノンアルコールのものだって、あるわ」

「ただ、少し意外な気がしたから……」


 早希の目に再び不満が募ってくる。私は慎重に言葉を続けた。


「じゃあ、まず待ち合わせ場所に戻ろうよ。みんな、待ってるよ」

「……みんなって、誰よ」

「それは……中野さんや、榎本さん……」

「あなたそんなこと言うの? 大丈夫よ、あたしがあとで電話しとくから」

「いや、ただ……私たち、今日はビラ配りに来たんでしょ」

「野暮なこと言わないで。大丈夫だって言ってるじゃない」

「でも……よくないよ」

「何がよ」

「中野さんや、榎本さんを置いて行っちゃうの、よくないよ」

「そんなクソ真面目だからダメなのよ。あたしが中野さんに電話しとくから」

「だって……私も中野さんに頼まれたもん」

「何を?」

「早希を探すようにって……」


 早希は不意を打たれたように私を見た。


「あなたたち……そうやって示し合わせてるわけ?」

「示し合わせてるって……」

「あたしの知らないところで、そんな話をしてるんだ」

「だって……別にやましいことなんかないし、隠したつもりもないわ」

「あなたたちって、そうなのよね……。あたしの思いなんて、まるで無視して、いつも訳知り顔に、勝手に物事を進めて」

「無視なんて、してないじゃん」

「それが思い上がりなのよ。あたしにだって、思いも望みもあるの。そういうことを、少しでも考えたことある?」

「なぜそんな言い方をするの?」

「ほら、あなたには分からないんだわ。人の気持ちに、どれだけ鈍感なのよ?」

「ひどいこと言わないで!」


 早希の瞳に光が落ちる。早希は挑むように言った。


「あたし、言ってあげようか」

「何よ……」

「あなた、自分がそれでいいと思ってるでしょ。学校で何を勉強してるか知らないけど、そんなもんじゃ、世の中も、人の心も、少しも分かりはしないのよ。あたしに言わせれば、甘っちょろいわ。親に守られて、食べ物も着る物も不自由なく、将来の進路だって、保証されてるもんね」

「嘘よ! そんな薔薇色じゃないもん」


 早希は追及を緩めない。


「あなた、自分が傷ついたつもりでいる? 子どもがどこかを擦りむいて、泣いてるのと同じね……。あなたは人の痛みなんて知らないのよ。頭にあるのは小さなプライドばかりで、身の回りで何が起きているのか、深い関心を抱くこともない」

「ずいぶんな言い方ね」

「痛みを知らなければ、人を信じることも、許すことも、助け合うことだって、できやしないわ」

「なぜそう決めつけるの!」

「これだけ言われてまだ分からない? あたし自分に安心しきってる人って、大嫌い。一体あなたは、何を見て、何を感じているのよ!」


 早希の言葉はあまりに一方的だが、人の確信を揺るがすような、妙な真実味があると思った。

 私は自分の戸惑いを打ち消すように、こう言った。

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