第20話 団地でビラ配り(6)〔早希とバディを組む〕

 古屋さんが一同の前に立ち、首のタオルで汗をふきふき説明を始める。


「暑いですねえ。団地の中には木陰もありますので、休みながらいきましょう。ここの団地は階段の入口に、郵便受けがまとめてありますから、ビラを一枚ずつ入れていっていただきます。一階のお宅だけは郵便受けがないので、中に入って、ドアの差し入れ口に直接入れていきます。では榎本さんに、やって見せていただきましょう。ここは生活の場ですので、特に建物の中では、大きな声でしゃべらないように、してくださいね」


 榎本さんは足早に階段の入口まで歩き、慣れた手つきでビラを投函していく。そのあと階段を何段か上り、一階のドアにビラを差し入れる。

 ――早希はうつむいたまま、せっかくの実演を見てもいない。私は近づいて声をかける。


「大丈夫?」

「……だめ、ヤバい」

「ちょっと座る?」

「平気……でも、汗かかない?」


 私のシャツも内側が湿りかけている。早希は言った。


「あたし、基本汗かかないんだけど、でも鼻の頭だけかくのよ。それって、許せなくない?」

「古屋さんからタオル借りたら?」

「ふざけないで」

 

 私は思い切ってシャツを脱ぎタンクトップ一枚になった。汗だくになるよりマシだ。

 早希は言う。


「あ、それ反則」

「背に腹は代えられないわ」

「古屋さんに見せたいわけ?」

「ふざけないで」


 古屋さんよりは、中野さんに腕を見せたい意識があったかもしれない。

 榎本さんの実演が終わると、古屋さんが言った。


「では、ここから三つの組に分かれましょう。先ほどの打ち合わせどおり、榎本さんと村田さんは、1号棟から4号棟まで――ここから右方面ですね。早希さんと森下さんは、5号棟から8号棟まで――左方面ですね。中野さんと私は、9号棟から先をやります。この団地は、あまり番号順に並んでないので、分からないときは案内図を確認するといいでしょう。途中、どこかでばったり会うかもしれませんが、そのときはよろしく。ではマイペースでお願いしますね」


 古屋さんは、主に榎本さんと村田さんを見て話している。中野さんは、早希と私が気になるようだ。最後に中野さんが言う。


「気分が悪くなったら、無理せず休むようにしてください」


 中野さんの目線は、サングラスの奥から、私に向けられている気がした。

 私のことはもちろん、何かあったら早希を休ませろ、というメッセージかもしれない……そう解釈した。


 四十五分後に「くるくる公園」で待ち合わせることとして、ビラを三等分し、各組が出発する。

 私はビラを片手に、早希の耳元で、行くよ、と言った。


 日は高く、空は青い。ツクツクボウシが鳴いている。

 時刻は二時を回ったばかりで、気温は三十度に達しているだろう。

 なんだってこんなときに外を出歩くハメになったのか、と思ったが、ここの住人やら、出入りの業者やら、通行人の数は意外に多いことに気づく。


 すれ違った人たちは、だいたい私たち二人を振り向いていく。よっぽど目立つのだろうか……(早希が)。

 うつむき加減に、サンダルのかかとを引きずりながら歩く早希は、疲れているようにも見えるし、粋がっているようにも見える。

 人々から向けられる視線を、早希は気にする様子もないが、私はどこをどう見られているのか、つい意識過剰になる。

 早希はいつも、こういう世界に住んでいるんだろうか。

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