第17話 自分の望む風景(4)〔旅立ち――次の目的地へ〕
「ここからだと、どう行くんでしょう」
「行ってみるかい? だったら一度高崎に戻ったほうがいいね。それから特急に乗って、越後湯沢で乗り換えるんだ。まあ電車の接続にもよるので、高崎で駅の人に聞いたほうがいいが」
「なんという駅で、降りるんですか」
「そうね、直江津が分かりやすいよ」
私が覚えられたのは、高崎と直江津だけだが、ただおかげで、東神奈川から高崎、直江津まで、頭の中に一本の線がつながった気がした。海から海まで、陸地を横断するルートだ。
女将さんが言う。
「無理して話に付き合わなくてもいいですよ」
「いえ……私は太平洋と瀬戸内海しか、見たことがありませんし」
「ほら、あなたには分かるかい、海に惹かれる者の気持ちが」
ご主人が言うと、女将さんが答える。
「どういう気持ちですか」
「それは……誰かが呼んでいるっていうのかな」
「誰ですそれは」
私はお茶を飲みながら、高崎と直江津を忘れないよう、頭の中で繰り返した。
ご主人と女将さんは、それから海について、そのほかのことについて、尽きない話を続けた。
私はあまり口を挟むこともできず、だいたいは黙って聞いていたが、それでもお二人の話が尽きないのは、どうやら私がいるためらしいことが分かってくる。
そうしてしばらく話をして、そろそろ座布団の上で腰が痛くなりはじめたころ、女将さんが、あまりお引き留めしても、と区切りをつけてくれたので、私はお二人にお礼を言い、二階の部屋に戻った。
ふすまを開くと布団が敷きっぱなしだったので、自分でたたんで押し入れにしまった。
窓を開いて空気を入れ替える。強い光が差し込み、気温が上がりはじめているのを感じる。
床の間の掛け軸を見ると、その出所を知ったせいか、昨日ほどの厳めしさを感じない。
この宿にもようやくなじみかけてきたか……。
ただこのまま滞在を続けても、何をするあてもない。
やはりご主人の勧めるとおり、海を見にいこうと思った。陸地を隔てた、反対側の海。
廊下の洗面台で歯を磨き、一日の行程を思いながら、髪と顔を整える。
部屋で着替えをして、座卓や茶器の位置を戻してから、バッグを担いで階段を降りる。
「すみません、お世話になりました」
一階で声をかけると、ご主人が奥から答える。
「……おう、もう出かけるかい」
女将さんが先に出てきたので、カウンターで宿代の支払いをする。
女将さんは領収書を作りながら、私を見上げて言った。
「そうやって身支度をすると、大人っぽくなるね」
やがてご主人がゆっくりやってきて、言った。
「十分なおもてなしもできませんで」
「いえ、いろいろと、ありがとうございます」
「直江津のほうに行ってみるかい」
「そうします。高崎に戻るんですよね」
「ああ、駅で乗り継ぎをよく確認するといいよ。気をつけて」
玄関を出ると、お二人がそろって見送ってくれた。
振り向いてもう一度頭を下げたあと、通りのほうへ向き直り、サングラスをかけて歩きはじめる。
駅までは少し遠い。日差しは強いが、時折吹く風が心地よい。
心なしか、昨日より自分の足取りも地に着いた感じがするが、それはきっと、今日の目的地がはっきりしているからなんだろうと思った。
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