第16話 行き暮れる前に(3)〔消灯……〕
ふすまを開けると部屋は暗かった。座卓が隅に寄せてあり、布団が敷かれている。
窓に近づき、半分開いた障子の隙間からのぞくと、外はすっかり日が暮れて、赤黒い残光が西の空に消えかかっている。ここには蝉の声も聞こえてこない。
障子をストンと閉めたら、部屋はほとんど真っ暗になり、スイッチを探して蛍光灯をつける。
古びた調度や掛け軸を再び見回して、座卓の前に腰を下ろす。
急須に茶葉を入れ、ポットのお湯を注ぐ。水音が静まると、茶葉が膨らむ音がする。
ようやくここまでたどりついた。
ひとまず安心してもいいはずだが、昼間の緊張が解けてくれない。
これからの時間をどうやって過ごそう。
昨日だって、一昨日だって、私はこんなふうに一人で過ごしたはずだが、時間の過ごし方なんて考えてもみなかった。
一階に下りてお二人とテレビを見る? それも気づまりだし、今ごろはお風呂に入っているかもしれない。
待ちきれず、湯呑みにお茶を注ぐ。
蒸らしが足りず、色が薄い。一口飲んで、湯呑みを茶托に戻す。
座布団から脚を投げ出し、背中の後ろに両手をつく。
そのまま中空を眺めていると、今日出会った人たちの顔が次々に浮かんできた。食堂の店主。温泉宿の人たち。駅員。電車の乗客。喫茶店の店員。
体の下に、電車の振れをまだ感じる気がした。何時間電車に乗っていたろう。今どきあれだけの時間があれば、外国にだって行ける。それがどんな偶然から、こんな宿にたどりついたのか。
座布団の上で脚を組んで座りなおす。
少し体が安定したが、しばらくすると、また電車の揺れが戻ってくる。
明日になったって、右に行くのか左に行くのか、やっぱり分からない。
こうして部屋に閉じこもっていても、宙ぶらりんな立場は変わらない。
結局、どこにも逃げ場はない。
自分は今も、すべての困難に直面しているのだと思った。
揺れが収まらないので立ち上がってみたら、自分がますますこの部屋になじまない感じがする。もう一度掛け軸を眺めてみても、やっぱり意味は分からない。
もう、寝てしまおうか。旅の疲れで、きっとよく眠れるはずだ。
手早く就寝の支度をすると、電気を消して布団に入った。
しかし体の疲れとは裏腹に、頭は妙に冴えていて、今日出会った人たちの顔が、再び目の前に浮かんできたと思うと、やがてここ数か月で起きたさまざまな出来事までもが、次々と思い出されてくる。
私にはいつも余裕がなかった。身も心も休まる暇がない気がする。
だけどこのドタバタが、いったい何のためになる?
私には、どんな役割もつながりもなく、夢中になれる事柄もない。
今日だって、一日かけてここまでやってきて、私は何かをなし遂げたのか。
私はやっぱりすることもなく、この静かな部屋で、一人布団に寝ているだけじゃないか。
そうして私は、自分がいかに脆く、うかつで、身を守るすべさえ知らないかを、飽くことなく考えていた。
眠りはなかなかやってこない。まだ宵の口だ。
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