第14話 旅に出る(2)〔八王子→高麗川〕
やがて電車は出発した。
郊外の週末、車内の人たちは、話したり、黙り込んだり、やはりそれぞれの世界で安心しきっているように見える。
そういう私も、周囲への関心を次第に失い、ただ自分の膝と、車窓の風景を交互に眺めるようになった。
駅前の一角を離れれば、外の風景は一気に郊外らしさを増す。
古い町並みが多く、ベッドタウンというよりは、都心とは別の生活がそこにあるようだ。
内陸に向かって進むにつれ、木々の緑も次第に濃くなって、自分が東京にいるとは思えなくなってくる。
途中、なぜか米軍基地の近くを通過すると、私の意識は目の前の風景から迷い出て、横浜の瑞穂埠頭や、ホテルニューグランドのあたりを勝手に思い浮かべていた。
それはいつかどこかで読んだ、進駐軍からの連想だったかもしれないが、やがて自分が八高線に乗っているという現実に立ち返ると、窓の外は山林のような風景になっていた。
次の駅が近づくにつれ、車窓に家々が目立つようになり、駅を出れば、また緑が深くなる。
そんな風景を繰り返し見ているうちに、電車は高麗川駅までやってきた。
車内アナウンスによれば、この電車は川越行きで、高崎に行くにはここで乗り換える必要があるらしい。八高線に乗った以上、自分が高崎に向かっている意識でいたので、それなら乗り換えようと、なんとなく電車を降りる。
そしてホームの時刻表を見たら、次の電車が来るまで約一時間待たねばならないことに気づく。
……一時間?
待ち時間の長さを理解するにつれ、私はちょっとしたパニックに陥った。
ほかにも電車はあるようだが、それに乗るとどこに連れていかれるのか、やっぱり分からない。外の熱気でじわじわ汗ばんでくる。どうする?
……そうだ、朝ごはんを食べよう。
このまま汗だくになってホームで過ごすわけにもいかない。私は内心の動揺を悟られないようサングラスをかけ、ICカードで悠然と改札を出る。
……待てよ、途中下車すると、運賃が高くつくんだっけ?
そう気づいたのは、外に出たあとだった。
二重のショックを受けながら、その場に立ち尽くす。
ここは埼玉県。初めて降り立つ地ではあるが、まだもう少し先に進みたい。
駅員に相談して再入場する? でも再入場して、自分がどちらに向かうのかという考えを、たぶんはっきり述べることができない。
迷っているうちにどんどん汗をかく。
やはり付近で朝食をとり、態勢を立て直すしかない……。
ふと顔を上げると、駅前ロータリーに一対のモニュメントがあって、そのてっぺんに彫られたイカツイ顔が、私を見下ろしている。
あとで知ったところによると、これは朝鮮半島に由来する、男女の「将軍標」だそうだが、二人の将軍は、いつもどっちつかずではっきりしない私を、迎えているのか拒んでいるのか分からない。
私は二人の目線を避けるように進み、通り沿いに見つけた喫茶店へと逃げ込んだ。
◇
チリンとベルの鳴るドアを後ろ手に閉める。
店内は薄暗く、しかもサングラスをかけたままなので、いまいち状況がつかめない。
テーブルには古風なチェックのクロスが敷かれ、座って待てば店員がやってくる。暗くて顔が見えない。
メニューもよく見えなかったので、でまかせで注文する。
「トーストとコーヒー」
注文の品はすぐにやってきた。
サクサクしたトーストを、やや酸味のあるコーヒーで飲み込むと、自分が空腹だったことを改めて感じる。
エアコンの効いた店内で、いくぶん平静を取り戻したが、ただこれから何をどうするのか、やはり考えはまとまらない。
結局は、ただ時間をつぶしただけだ。
そして一時間後、私は高麗川駅まで戻り、二人の将軍に別れを告げて、改札を通り抜けると、やがてやってきた高崎行きの列車に乗り込んだ。
これを意志というのか、成り行きというのか。
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