V. 夏の旅

第14話 旅に出る(1)〔東神奈川→八王子〕

 旅行用品はほとんど家にあるもので済ませた。

 バッグも、洗面用具も、高校の修学旅行で使った手ごろなやつがある。


 ただ一つ、安物のサングラスを新調した。紫外線対策が半分と、旅先で見くびられないようにするのが半分。

 手間をかけてメイクするより、ただかければいいサングラスは、はったりをきかせる手段として手っ取り早い。


 八月下旬の土曜日。


 どうせ時間はあるし、いつ出かけたっていいのだが、なんだか普段の自分にありえないほど、早起きでもしないと嘘だという気がして、五時半に目覚ましをかけ、身支度をし、バッグを担いで玄関へ向かう。

 靴を履いていると、母が起きだしてきて、気をつけて、と言った。


 この日の天気予報は晴れ。すでに日差しは強い。

 私はサングラスをかけて、気温が上がる前にと東神奈川駅まで自転車を走らせる。


 駅に着いたら横浜線のホームに向かった。内陸に向かう私は、スタートは横浜線で、とだけは決めてあったのだ。


 やがて到着した八王子行きの電車に乗り込むと、車内はすいている。通勤ラッシュに遭うと気分が台無しだと思って、あえて土曜に旅立ったおかげだ。


 横浜線にはときどき乗るが、新横浜を過ぎると急になじみが薄くなる。

 この路線は昔のシルクロードだとは聞いたことがあるが、土曜の朝から八王子に向かうのは、どんな人たちなんだろう。


 車内を見回してみたら、登山靴を履いた男性が一人、子連れハイキング風の家族が一組、旅行バッグを持った若者が一人(私)、それ以外は……正体不明だ。


 子連れ家族以外は会話がない。それぞれに本を読んだり、携帯を見たり、居眠りしたり……一同なぜかファッションも地味だ。

 ひょっとして、この中では私が一番華やかかもしれないと思い、脚を組んでみるが、誰も見る人はいない。


 それから約一時間、退屈するには十分長いが、何かを考えるには短すぎるひと時を過ごすと、電車は終点の八王子に到着した。


      ◇


 八王子は、思っていたよりも都会だった。


 駅舎や周囲の街並みも、横浜のたいがいの駅より規模が大きい。

 ホームに降りると、土曜の朝だというのに人は多い。


 さあどちらに向かう? と考えながら立っていたら、すれ違う人が平気でぶつかってくる。なんだ、東京人のつもりか? 横浜線ではこっちが下り方面だろう?

 ここでモタモタしていられないと思って、とりあえず目に入った「八高線」という表示のほうに進む。

 行き先を決めたわけではない。ただ、こないだ母にでまかせで言った地名の方面に向かってみただけだ。


 ホームに降りると、八高線の車両がすでに停車している。

 よくある通勤列車の作りだが、ここから高崎まで続く、れっきとしたローカル線だ。


 ……これに乗って私はどこに行く?


 ホームに掲示されている路線図を眺めてみるが、やっぱり自分がどこで何をするのかイメージがわかない。


 ……だいたい私は、なんで八高線に乗らなきゃいけないんだ……?

 なんでって、旅に出たからでしょ……。

 でもほかに行き先はいくらでもあるじゃん……。

 例えば、どこ……?

 うーん……。


 背後に人の気配がした。

 どうやら路線図の前に立ち尽くし、視界をふさいでいたらしい。あわててその場を立ち去る。

 気温が上がり、額に汗がにじんでいた。

 ほかに行くあてもないし、とりあえず、この電車に乗ってみる?


 車内はいくぶん涼しかった。

 乗客はまばらで、三人分くらいの座席を独り占めして座ったが、先の予測がつかないせいか居心地が悪い。


 そのとき、髪を茶と金に染め、歌舞伎並みの隈取をした女の子が二人、ドタドタと乗り込んでくる。地元人らしいが、うっすら汗ばんだ肌をあらわにし、大口を開けて笑っている。


「アハハハハ、マジ?」

「ハハハハハ、チョーウゼ」


 聞き取れたのはそれだけ。

 かれらにとって、今は朝というより昨夜の続きなんだろうけど、立ち居振る舞いには緊張感のカケラもない。

 そうか、地の果てに行くわけじゃないし、この電車は安心して乗ってもいいらしい。

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