第11話 霞んだ日々(3)〔海まで続くショッピングスクエアを歩く〕

 外は猛暑だった。


 私はひるまず自転車にまたがり、表通りに出る。長時間走り回るのは無謀だし、とりあえず電車に乗ろうと駅に向かった。


 駅前に着くと自転車を置いて、足早に駅舎まで歩き、改札を通り抜ける。

 定期券の期限はまだ残っていたが、私はいつもと違うプラットフォームに上り、通学とは反対方向の、南行きの電車に飛び乗った。


 電車はすぐに動き出した。

 車内には多くの人がいたが、みんな小声で話し合ったり、本を読んだり、携帯を見たり、車窓を眺めたりして、私に注意を向ける人はいない。


 電車は高架を走る。窓からは夏の太陽が差し込んで、私は車体の揺れを感じながら、外の景色を眺めている。

 車内のエアコンがほてった肌を冷やし、乱れた呼吸を静めていく。


 私は海が見たいと思った。でもエアコンは必須だとも思った。

 それで私は、駅前から海べりまで延々と続く、巨大なショッピングスクエアに向かうことにした。


 やがて車窓には、買ったばかりのおもちゃのような、新しい街が見えてくる。


 季節の飾りつけを年中しているみたいに、浮足立って、どの建物も、街路も、どこか作り物めいて実感に薄い。

 私の父や、高校の教師は、この街のことを、いかにも無味無臭で、昔ながらの人の営みや、情念のようなものが感じられないと評していた。そういう自分たちだって、最近やってきた地方出身者のくせに。


 私の知るかぎり、もともとこのあたりは、外国からやってきた、縁もゆかりもない人たちに対抗しながら、その時々の工夫を凝らし、見たこともないような新奇なものを、作っては壊し、壊され、また作ってということを、繰り返してきたんではなかったか。

 今そこにある小さな一角だって、何か人の知らない複雑な事情から成り立っているのかもしれない。

 そうした不思議な高層ビルや、帆船や、観覧車が立ち並ぶ中で、私は電車を降りた。


 駅舎を出ると広い高架通路があり、しばらくは野外を歩かなければならない。

 世の中は夏休みで、猛暑にも関わらず人通りは多い。男、女、大人、子ども、お年寄り、若者たち――みんな揃いも揃って、どこからやってきたんだ?


 私はかれらのあいだを縫うように進み、早く室内に入ろうと思うのだが、目に前に見える背の高いビルに、歩いても歩いてもたどり着かない。

 汗をかきたくないので、できるだけ足を速めたいが、すると心拍数が上がり、余計に汗をかく。どうしたらいい?


 ようやく建物の入口にたどり着き、自動ドアをくぐると、さわやかな冷気が全身を包んだ。中は広く、清潔で、屋外とはまた違った明るさがある。

 ああ生き返る! ここまでやってきた達成感も手伝い、少しだけ気分が高まった。なんのことはない、家からほんの二駅くらいやってきただけなのだが。


 屋内の通路を進むと、趣向を凝らした店舗のディスプレイが途切れることなく続いている。

 どれも東京と同じ、最新の流行をとらえていて、おかげでその店がいつどこからやってきたかという由来を、想像することも難しい。


 ただ私は、なぜか東京にいるときのような、妙な緊張をここでは感じない。人々の気質が微妙に異なるのか、それとも単にこの場所が、大学の思い出と結びついていないだけなのか……。

 少なくともここでは、誰も私を拒んだりはしないように思えた。


 私は涼しい屋内をしばらく歩いたが、そもそも金欠なので、おしゃれな服や小物にも手が出ない。腰かけて高いコーヒーを飲むわけにもいかない。話しかける相手もいない。黙って歩き続ける以外にできることはなく、もしここで自分が立ち止まり、一人の通行人であることをやめてしまうと、たちまち周囲との調和を乱す気がした。


 色とりどりのディスプレイも、これだけ続くと単調に見えてくる。私は家に閉じこもっているときのように、自分の呼吸や、髪のにおいを感じるようになった。私は歩みを速め、努めて周囲の景色を眺めるようにして、そこに自分との関わりが、何かないかと探した。

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