第11話 霞んだ日々(2)〔暇なのでネットを見たら、居ても立ってもいられなくなる〕

 いったん早希の掲示板に戻り、次に、いつも何やら長文の書き込みをしている、juliaという子のページを開いてみる。

 トップページは、真っ黒な背景に、いわゆるゴシック系の素材が使われていて、シックなようでもあり、不気味なようでもある。

 "morning moon"というページタイトルの下には、



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  tattooとワインと音楽をこよなく愛するネガティブな日常

  ~~~



 と書かれている。どんな日常なんだろう?

 まず"tattoo"と書かれたメニューを開いてみる。juliaの腕、肩、お腹、脚などには、タトゥーが少しずつ入れてあって、そのセルフフォトが飾られている。

 画像の下にはこう記されている。



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  強さと優しさをくれる 決意の証

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 当時、タトゥーを入れる若者はまだ少なく、たまにビーチなどで見かけることはあっても、ワンポイントの素朴なものが多かった。

 しかしjuliaのは、線も形もはるかに複雑で、流麗で、任侠映画に出てくる刺青とも印象が違い、独自のデザインがあるようだ。それなりの彫師に入れてもらったものなんだろう。

 ただ携帯で撮った画像らしく、色合いや細部のニュアンス、図柄がもつ全体の力は十分に表されていないようだ。

 むしろタトゥーを肌に入れ、部屋で半裸になった自分の姿を、いろんな角度からとらえようとしている、juliaその人の苦しいようなありさまが、画面の向こうから伝わってくる感じがする。


 トップページに戻り、"tattoo日記"と書かれたページを開いてみる。

 タトゥーを入れた経過でも書いてあるのかと思ったら、ちょっと違う。



  ~~~

  200X年8月4日


  二日酔いか? あれしきの酒でそんなハズもないんだが……。

  いや、薬と一緒に飲んじゃダメだって。と思ったら、風邪でした。二日酔いじゃ、熱は出ねーし。


  だからって、なんなの? 風邪じゃ理由にならないって?

  分かってるよ。仕事のミスなんかじゃない。物事に取り組む姿勢とか、そんなこと?

  関係ないじゃん。あんたらは、どんだけ張りつめてるのさ。どんだけヴィヴィッドなのさ。

  言われた仕事をただこなしてさ、休み時間と終業後には、人のウワサ話して、それで終わりじゃん。


  あたしはさ、まっすぐ歩こうとしてんの。プリン並みに甘えてた昨日とは、別れを告げたいのよ。

  まあ、そうは見えないかもしんないけどさ……。それも分かってる。ていうか、そんな安っぽいコトでいちいち傷つくあたしって、何?

  自分に恥じなければ、それでいい。そう思って、決意もしたはず。ちっとも強くならないじゃん。


  ああ息が詰まる。ほんとは、こんなところは飛び出して、街に出て、大声あげて、飲んだり、歌ったり、愛し合ったり、したいのよ。

  でもそんな生活に舞い戻ったって、自分も周りも傷つけるばかり。道は開けないのは知ってる。

  だから、メイクを落として、髪を切り、スーツを身につけ、電話をかけたり、パソコン打ったり、してんのよ。嘘っぽい?


  そういえば、juliaは自分を殺してる、とか言う子もいたっけ。言いたきゃ言いな。

  そうじゃない、あたしは生きようとしてるの。


  窒息しそうに思えることもある。

  だから、今夜はいつもより、多めに飲んどきました、酒も、薬も。



  200X年8月8日


  仕事だとか、風邪だとか、そんなことで、しばらく仲間とも会ってない。

  TKからの連絡も途絶えたまま(注 元カレのことらしい)。


  こういうときって、ヤバいんだよね。明日非番だからって、気が緩んだ?

  まるでサラリーマンじゃん。てか、サラリーマンだけど。


  でもそんなの、あまりに安っぽい。


  もうしないって、誓ったはずなのに、サクサク切っちゃいました。


  ちょっとだけ、ちょっとだけだけど、でも血は流れる。

  パソコン片手で打ってます。すごく後悔してます。


  傷が癒えるまで、彫師さんのとこにも、行けないな。

  何やってんだろう。こんな自分を世界に晒して、あたし楽しいの?

  ~~~



 そう書かれた日記の下に、切り裂いた腕の画像がアップされていた。

 こないだ見た早希の腕は、ほとんど乾いていたが、juliaのは、新鮮で、滴(したた)ってる。

 その下に、訪問者からのコメントがいくつか付いている。



  ~~~

  ――じゅりちゃん、どぅしたの?? ずっとずっと頑張ってたのに……。そんなの悲しすぎるよ。もっと自分を大事にしなよ。あたしはずっと、味方だからね。



  ――言葉が出ないよ。じゅり。なんのために決意したのさ。つらいのは分かるから、あまり言いたくないけど、でもバカヤロウだよ。あたしはあなたを信じてる。自分の足でしっかり立って、また遊びにおいで。



  ――julia、考えすぎだって。まわりのやつらは、それほど深く物事を感じてねーんだよ。それじゃ、自滅じゃん。もっと力を抜いていいと思う。とりあえず、お大事に。



  ――オマエ、バカ? ソンナモン、ミセラレテモ、ダレモ、ドージョーシネーンダヨ。ソノママシネバ? オマエノ、ナマエモ、イエモ、カイシャモ、イッテルクリニックモ、ゼンブシッテンダヨ。セケンニ、バラマコウカ?

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 なんだか気が滅入ってきたので、ウィンドウを閉じ、電源を落とし、パソコンをパタンと閉じた。

 ついでに目も閉じて、溜息をつく。


 やがて目を開くと、いつものとおり、自分の部屋に一人きりだった。

 どこにも逃れようがないな。

 ホームページに満ちていた、生々しいような渦巻くものに、まだ自分が取り囲まれているような気がした。


 私には、何もよりどころになるものがないと思った。自分にとって信じられるものもなければ、他人に対して訴えかけられるものもない。

 juliaみたいな鋭さや、鮮やかさや、明白さを示す印も見当たらない。


 私は立ち上がってクローゼットを開けた。

 しばらくぶりに、外に出ようか……。外に出たって、何も変わりはしないんだろうけど。

 そもそもこの暑さだし、夏用の服なんて、持っていたっけ?


 クローゼットの中身を引っ張り出してみたら、去年までのシャツやブラウスは、どれも子どもダマシのようで、心なしか黄ばんでいる……。


 やはり今着るとしたら、こないだバイトで買った、こっちのシャツだろう。長袖だけど細身で暑苦しさはない。

 でもこのシャツに合わせて、どのパンツをどう履けばいいんだ?


 どうやら私は、この短いあいだにも、アパレルショップで学んだコーディネートを忘れかけているのに気づく。

 本当はあんなもの、少しも信じてはいないのだけど、じゃあ何をどうやって着こなすのかという、自分なりの考えがあるわけでもない……。


 私はいったん部屋を出て、階下のバスルームに向かった。

 頭からシャワーを浴びたあと、バスタオルで体をくるみ、しずくを垂らしながら自分の部屋に戻る。

 髪を乾かしながら、顔にローションだけを塗り付け、改めて服を選ぶ。

 とりあえずは、シャツは上に着て、パンツは下に履き、人前に出るための身だしなみを常識の範囲で整えると、あとは身の回り品をバッグに詰め込んで、私は思い切って外に飛び出した。

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