IV. 家で過ごす

第11話 霞んだ日々(1)〔代り映えのしない自分が戻ってくる〕

 相変わらず気分は冴えないが、頭の混乱はだいぶ収まっている。それが薬の効果なのかどうかは分からない。


 おかげさまで私は毎朝寝坊して、狭い部屋に閉じこもり、周りの誰とも結びつかない小さな不安を抱きながら、長い時間をやりすごしている。

 母は私の様子を見て何かの変化を感じていたろうか。梨子が私を見たとしたらどうだろう。


 私には明日の身も知れないと思うほど切羽詰まった瞬間もあったし、もしその後の暮らしぶりが代わり映えしないとすれば、それはある意味歓迎すべきことかもしれない。

 でも代わり映えのしない自分というのは、なんだか煮え切らなくて、自分でも認めづらく、周囲にも主張しづらい。


 私は自分を何に比べたらいいんだろう――。

 でもそうした思いすら、雨の日に遠い山々を眺めるみたいに、あいまいに霞んでいる。

 例えば晴れた夜に、稜線の月に照らされて、何か暗いものをくっきり見たというような、深刻さがない。


 いっそあのまま頭が混乱し、一気に「破滅」してしまえれば、自分も世界も明らかになったのだろうか――そんなことさえ思うこともあった。


 夏真っ盛りで、外に出るのがますます億劫になった。相変わらず本も読まないし、音楽も聞きたくない。


 外界との接点は、ときどきつけるテレビやインターネットだ。

 新聞は以前に増して読まなくなった。政治経済から文化社会まで、日々届く情報量に圧倒され、途方に暮れる思いがしたからだ。

 テレビをつけても、ニュースや情報番組を少ししか見ない。午後の時間帯にやっている、昔懐かしい学園ドラマの再放送などを見ることはあっても、そのよくできた感動にうまく入り込めないのと同時に、多くの人の心をとらえたそうした若い熱情から、自分があまりにかけ離れていることに寂しさを覚え、じきに消してしまう。


 その点インターネットは、自分の見たい情報だけを手繰っていけるので、ずっと気楽でいられた。気持ちを脅かすような情報は開かなければいい。ただ情報のつながりに終わりがないことが難点だが。


 早希からメールが届いていた。怖さ半分で開いてみたら、私個人に向けたメールではなく、友人への一斉メールだった。



  ~~~

  メアド変更しました! お手数ですが登録の変更をお願いします。

  P.S. こっちにも遊びにきてね。

  ~~~



 携帯電話のメールアドレスを変えたという連絡らしい。

 あとで知ったのだが、彼女は何か月かに一度、定期的にアドレス変更する性質があるようだった。

 「こっちにも」というのは、彼女が個人的に開いているホームページのことだ。


 当時、ネット上の情報交流の中心には個人ホームページがあった。

 ホームページというのは、ブログやSNSと違って、画像や壁紙などの素材は借りてくるにしても、基本はすべて自分で作らなければならない。

 ただ自作するぶん、ページのデザインや構成などに、その人らしさがはっきり表れた。


 早希のページを訪ねてみると、会ったときの濃いめな印象とは異なり、文字中心のあっさりした作りだった。おかげで自宅の遅い回線でもストレスなく閲覧できる。

 トップページには、"saki's page"というタイトルと、いくつかのメニューが示されている。プロフィール、日記、掲示板、それから"text"と書かれた、つぶやきとも警句ともつかない、短文の寄せ集めだ。

 プロフィールを見ると、



  ~~~

  HN saki

  20代、♀、一人暮らし、わけあって休職中&服薬中&彼氏に依存中

  ~~~



とだけ書いてある。この年代の女子にしては、ずいぶんシンプルなプロフだ。


 日記はしばらく更新されていないようだが、食事のこと、彼氏のこと、友人のこと、通院のことなどが、気ままに記されている。彼氏とは最近別れたらしい。

 どうやらメアドと同じく、彼氏も定期的に変えていたようなので、誰か特定の彼氏というよりは、彼氏がいるという状態に、彼女は「依存」していたのかもしれない。


 掲示板では、友人とのやりとりが続けられている。通院や服薬をしている仲間たちや、それからなぜか、タトゥーをしている仲間たちが出入りしている。通院もタトゥーも両方している人が少なくなく、交友関係が重なるということらしい。


 "text"を開いてみると、こんなことが書かれている。



  ~~~

  黙って歩き続けるつもりだった。

  そして道が途絶えたら、潔く消える。跡形もなく。

  なのになぜつぶやく? 犬が吠えるのと同じ?



  意外に、仲間だと思われてるみたい。

  でも一人がいい? 仲間なんていらない?

  それとも、自分に仲間なんか作れないと思ってる?



  仮面を取れ!

  姿を見せろ!

  ――あたしに正体なんてない。

  君と語り合う言葉もない。



  自分を信じるって?

  例えば、水に飛び込むときの、あの感覚?

  坂道を駆け下るときの、風を切る感じ?

  ~~~



 自分に向けて書いたのか、周りの誰かに向けて書いたのか。

 なんとなくこの種のホームページに興味がわいて、掲示板に戻り、そこに出入りしている友人のページも見てみようと思った。


 まず、いつも真っ先に書き込みをしている、camomileという子のページを開いてみる。

 すると突然、画面がフリーズしてしまった。ウイルスじゃないだろうな、と思って必死にキーボードをいじっていたら、一分後くらいに、オルゴールのようなメロディが鳴りはじめた。フリーズも解けている。

 当時、音声ファイルの読み込みには大きな負荷がかかり、こういう現象が起きたのだ。


 とりあえず無害なサイトらしいので、プロフィールのページを開いてみる。

 名前、性別、出身地、血液型、星座、好きな言葉、自慢、愛用の香水、もし生まれ変わったら、などなど、自己紹介の項目が数限りなくあって、読むのが遅い私には恐ろしく時間がかかる。


 別のメニューを見ようと思い、トップページに戻ると、また画面がフリーズしてしまった。――そうか、うっかりしてた。しばらく辛抱強く待って、メロディが流れるのを確認してから、今度は日記のページを開いてみる。

 多くの写真が使われていて、本人の顔までしっかり写っている。――大丈夫なんだろうか。犬とお茶が好きなようで、話題の大半はその二つだ。

 読み進むうちに、こんな書き込みを見つけた。



  ~~~

  200X年7月23日 またやってしまった(><)


  棚の上の、ティーカップの並びがどぅしても気に入らなくて、ああでもない、こうでもないと、何度も何度も並び替えていたら、一時間もたっちゃいました。

  そんなことって、ないですか?

  色で並べるか、形で並べるか、大きさで並べるか、どれも捨てがたくて、右に左に、左に右に、動かしているうちに、頭の中がぐちゃぐちゃです。

  ふと気づくと、ポロン(注 犬の名前)が心配そうに見ていました。

  ああ、だめだめ、あわてて頓服を飲んで、気を落ち着けて、鏡を見たら、目の下にクマさんができていました、最悪。

  ~~~



 その混乱ぶりが、なんだか他人事(ひとごと)とは思えない気がして、スクロールの手が止まる。

 もう一度トップページに戻ろうとも思ったが、私の通信環境では負担が重すぎるので、そろそろ退室することにした。

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