第10話 やっぱり場違い(2)〔結局、何かが起きたの?〕

「なんだか、中途半端ですよね……」

「……はい?」

「私なんて、中途半端に見えるんじゃないですか?」

「あなたのだいたいの様子は、遠藤さんから聞いていましたよ。あなたが自傷などもされず、ご自身の体や心を十分気遣っていることもお聞きしていました」

「……そうですか」


 沈黙が流れた。

 吉田先生も、敢えて診察を切り上げることはせず、私の発言を待っているようだ。

 私は重苦しい空気を破るように、口を開いた。


「私なりに、困ってるつもりなんですが……」

「ええ」

「でもこうして話してると、一体何に困ってるのか、自分で分からなくなってきます」

「そうですか」

「言ってること、変ですか?」

「いえ、問題の本質は、常に捉えにくいと思いますよ」


 どうも会話が流れていかない。私は思い浮かんだことを言ってみた。


「これでも、結構切羽詰まる瞬間もあるんです。そんなときは、自分が周りの人に比べて、何かがどうしようもなく欠けているんじゃないかって、思えることもあります」

「欠けているっていうと?」

「……そうですね、何か、薬で直るようなものじゃなく、自分ではどうしようもない、生まれつきっていうか、性分っていうか……」

「深く根差している、何か、ってことかな」

「なんていうか……馬鹿につける薬は、ないって言うじゃないですか」

「そんなふうに自分を悪く言っても、物事は良くなりませんよ」


 彼は、私の自虐ネタは意に介さず、何か哲学的なテーマでも語るように、遠い目をして言った。


「何かが欠けているなんて言い出すと、欠点のない人なんてどこにもいない。でもそれは物事の一面ですよ。人の性質や可能性というのは、もっとスケールの大きなものだと思うな」

「じゃあ先生は、欠点に悩むことは、ないんですか」

「そりゃあるさ」

「どんな、悩みですか」

「どんなって……そうだな」

「きっと悩むことのレベルが、私なんかとは違うんでしょうけど」

「レベルなんてことは、分からない。でもそうだね、こう見えても、意外に僻み屋なのさ。例えば私の同級生で、アメリカで研究しているやつがいたり、社長になったやつもいる。そんなのと自分を、ふと比べてみたりすることもある」

「でも先生も、医者じゃないですか」

「……うん、そうだけど」

「医者になりたく、なかったんですか」

「医者にもいろいろ、あるだろう」

「スーパードクターみたいな、やつですか」

「そういうのも、あるけど……」

「それなのに、私みたいに変なのが来て、迷惑でしたでしょうか」

「いや、そういうことじゃなくて……」


 先生は、少しだけ困ったようだった。再び沈黙が流れ、それを破るように、先生は言った。


「君は自分に何が足りないのか考えようとしている。それは勇気のいることだ。でも急いだって答えは出ない。それに、足りないところばかりを見ようとするのは、偏っている。もっと時間をかけて、物事や自分自身の、大きなところを見るといい」


 私は視線を落とし、シャツを脱いだ自分の腕や体を見た。先生は続ける。


「欠点と思えるものも、実は、自分の中の大きな可能性につながっていたりもする。小さな部分ばかりを見つめて、あまり突き詰めすぎないことだ」

「……突き詰めるほど、論理的な頭でもないですが」

「考え方は、人それぞれさ」

「先生みたいに、学者っぽい言い方はできませんし」

「……お言葉だね」

「今、こんな格好をしているのは、腕を切ってないことを見せるためです」

「……ああ、そうか」

「厚化粧なのは、ここに来るのが怖かったからです」

「……そう」

「普段から、こんな変な格好を、してるわけじゃありません」

「別に、変じゃないよ」

「実は、待合室で、早希さんと話したんです」

「彼女、話しかけてきた?」

「はい」

「メールアドレスとかも、聞かれた?」

「聞かれました」

「友人として話をするのは、いいことだけど、彼女、自分の問題に人を巻き込むことがあるから、節度を保ったほうがいい」

「メールはほどほどにって話をつけましたので、大丈夫です」

「そうかい。彼女は確か、君より一つ二つ、年上のはずだ」

「そうですか……」


 早希はそうしていろんな人にアプローチしているのだろうか。

 彼女が待合室から消えたらしいことを伝えると、先生は、また現れるから大丈夫だ、と言った。


 そんな話を続けているうちに、診察時間は優に十五分は超えたろうか。外では多くの患者が待っている。

 やがて先生は、段取りよく締めくくるように言った。


「何か急を要することがあれば、いつでも連絡して」

「急に来たら、怒るんですよね」

「それも彼女から聞いたか。でも本当に困ったときは、遠慮しないでいい」

「私みたいのが来ても、ご迷惑でしょうけど」

「とんでもない。まあ医者に歓迎されても、うれしくないだろうけどね」


 こんなふうにして診察は終わった。

 診察室を出ると、待合室は相変わらずで、多くの人がただ黙ったまま座っている。早希の姿は、やはり見当たらなかった。


 それから一階の受付に戻り、支払いのためにまた長い時間待たされた。

 どうも周囲の視線を感じると思ったら、シャツを着るのを忘れていることに気づいた。なぜそれまで気づかなかったのだろう。

 もうこの際どうでもいいとも思ったが、一応いつもの習慣から、改めて着ておくことにした。


 やがて支払いを済ませ、処方箋をもらい、近くの薬局に行った。

 薬は二種類で、二週間分あった。薬剤師が説明してくれたが、それが自分の薬だという実感がわかなかった。袋に入れた二週間分の薬は、ポテトチップと同じくらいのかさがあった。それをバッグに押し込み、薬局を出て家に向かった。

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