第7話 梨子との約束(3)〔周囲の期待と目的意識――関係ないじゃん〕

「ジュンちゃん、一人っ子なんだー」

「そう」

「じゃ、ご両親の期待も、大きいんじゃない?」

「何よそれ」

「何よってこと、ないでしょ。やっぱり、期待もしてるし、心配もされてると思うわ」

「関係ないじゃん」

「関係ないって……分かったわ。ご両親のことはともかく、私は心配してたわ、ジュンちゃんのこと」

「だからやめなさいよ」

「どうして?」

「自分の心配は自分でするわ」

「だってさ……。あんまり立て続けなんだもん」


 と彼女はいわくありげなことを言う。

 私はついつられてこう尋ねる。


「……立て続けって、何よ」

「ジュンちゃん、知ってるかしら。実は麻未子ちゃんも、最近出てこないの」

「麻未子が……? どうして?」

「分からないわ」

「ずっと出てきてないの?」

「ううん、ときどき顔を見せるんだけど」

「で、なんか言ってる?」

「たまに出てきても、前みたいに、あんまり話したがらないというか、距離を置いた感じで」

「何かあったのかな」

「……ほら、やっぱ心配でしょ?」


 ちぇ、誘導尋問みたいだ。

 その手には乗らない。


「心配はするわ。でも私は、わざわざ連絡して尋ねたりしない」

「私だって詮索してるわけじゃないけど……。でもほんとにジュンちゃん、知らないかな、麻未子ちゃんのこと」

「知らないわ。なぜ?」

「麻未子ちゃんって、よく横浜のほうに出入りしてたって、小椋たちが言ってた。だから、ジュンちゃんなら、何か知ってるかもしれないって……」


 小椋とは、サングラスのことだ。


「それで、あいつらに聞いてこいとでも、言われたわけ?」

「……え?」

「ジュンから情報を探ってこいって、派遣されたわけ?」

「違うわ! そんなんじゃない」

「残念ながら、私は知らない」

「たっぷりコーヒーと、ロイヤルアイスミルクコーヒーでございます」


 店員の女の子がコーヒーを持ってやってきた。

 二人は無言のまま、コーヒーがテーブルに置かれるのを待った。

 店員は、ビッグサイズのたっぷりコーヒーを、確認もせず私の前に置いた。

 私は梨子に言った。


「あの子、マンションにもいないの?」

「いないわ。部屋を引き払ったわけでも、ないみたいなんだけど」

「どこか泊まれるところでも、あるのかな」

「分からないわ。誰も知らないの。ほんと、どうしたのかしら」

「……それを、私が知ってると、思ったわけ?」

「……知ってるかもしれないとは、思ったわ」

「それを私から聞き出すのが、目的だったわけね?」

「……なんでそんなことを言うの?」

「あなたがここまでしつこい理由が、分からないもの」

「だから、私もジュンちゃんのことが心配なの。それ以外にないわ」


 私は無言でたっぷりコーヒーに手をやった。

 大きなマグカップ全体が熱してあって、夏本番のこの気候じゃ、すぐ飲む気にならない。

 彼女は言葉を続ける。


「本当よ。もし麻未子ちゃんと話せることがあったら、逆にジュンちゃんのことを、聞いたと思うし」

「……なぜ?」

「だって……二人とも、同じように休んじゃうから……」

「だから何よ」

「なんで休んじゃうんだろうって……」


 私は再びコーヒーに手を伸ばすが、まだ熱い。

 やっぱりアイスを頼めばよかったか、と思いつつ、私は言った。


「あの子のことは、私も分からない。きっと、あなたが私のことを分からないのと、同じ程度にね」


 今度は彼女がコーヒーに手をやった。そのままグラスを口に運び、涼しげに飲む。

 私は言葉を続ける。


「あの子のことは、あの子自身が考えるわ。何があったか知らないけど」

「でも、何かできること、あるんじゃないかしら。助けが必要かもしれないし」

「事情も知らないくせに、なぜそんなことが言えるのよ」

「だって、せっかく入学したんでしょ。親や、周りの応援もあったわけだし」

「だから?」

「だからそれを休んじゃうのは、よっぽどのことかと、思うじゃない」

「よっぽどの、ことかもね」

「そんな、他人事(ひとごと)みたいな言い方がよくできるわね」

「他人事には違いないじゃない」


 彼女は私を真正面から見て言う。


「ああそう。じゃあジュンちゃん自身は、どうなの?」

「何が?」

「あなたは、なんで休んだりするの?」

「言ったでしょ、大きなお世話だって」

「こうして会いにきたのよ。水臭いじゃない!」

「勝手なこと言わないで。話したって分かりゃしないわ」

「分からないかどうかは、話してみなきゃ分からないでしょ」

「ほんとしつこいね」

「どうしてそう依怙地なの?」

「依怙地なのは、あなたのほうよ!」

「あのすみません、周りのお客様にご迷惑なんですけど……」


 店員の女の子がテーブルの横に立っていた。

 二人とも、知らずに大きな声を出していたようだ。

 私も梨子も、無言でコーヒーに手を伸ばす。彼女はもう一口飲むが、私はまだ熱くて読めない。

 店員が立ち去ると、梨子は言った。


「ジュンちゃん、これからどうするの?」


 この子は、なぜ答えられない質問しかしないのだろう。


「ジュンちゃんなりの目標は、あるんでしょ?」

「……言ってる意味が、分からないわ」

「どうして?」

「そんな絵に描いたような、都合のいい目標なんて、あるとは限らないのよ」

「そうかしら。目指すところのない日々なんて、私には考えられないけどな」

「じゃあ、あなたにはあるの? 目標」

「あるわ」

「どんな目標よ?」

「私はね、ジャーナリストになりたいの」

「……何よ、それ」

「何よって、何よ!」

「そんなの、子どもがバレリーナになりたいっていうのと、同じじゃない」

「そんなことないわ。だってそのために文学部に入って、勉強してるんじゃない」


 そのまっとうすぎる理屈に腹が立ち、私は言った。


「ジャーナリストなんて、あまりに漠然としてるわ。新聞社に入るとか、アナウンサーになるとか、そういう具体性がないもん」

「それはこれから絞り込んでいくのよ。まだ一年生じゃない」

「漠然とした夢を語れば、それが目標なわけ?」

「あなたに言われたくないわ。仮にでも方向を定めないと、一歩も進めないじゃない」

「どんなものでも、適当に表明しておけば、それで認められるわけね」

「答えが見えなくても、とにかく口に出さなければ、誰にも分かってもらえないわ」

「じゃあとりあえず、看護師とか、パティシエとか、そんなものになりたいとでも、言えばいいの?」

「あなた、不真面目よ!」

「そんなことない。あなたなんかより、真面目すぎるくらい真面目よ!」

「すみません、お静かに願えませんか?」


 店員が再び立っていた。

 彼女も学生だろうか。興奮に任せてにらみつけてやると、不満な様子で引き下がった。


 ジャーナリスト。

 そういえば麻未子も、マスコミ関係の仕事に就きたいと言ってたっけ。

 でも今日の私は虫の居所が悪い。麻未子と話したときと違って、少しも気持ちが動かない。

 私は言った。


「こんな話をしてても、きりがないわ」

「……そうね、話題を変えましょう」

「とにかく、これ以上しつこく連絡してくるのは、やめてほしいの」

「そんな……」

「私は麻未子のことは知らない。私自身のことも、これ以上話すことはないわ」

「そんなふうに、自分を閉ざさないで」

「なんなの、それ?」

「心を開いてほしいの……あなたの友達や、周りの世界に」

「その言葉、全然心に響かないわ」

「私にとっても、せっかくのえにしだもの。……なんか、放っておけないの」

「あなたの思考回路は、どうなってるの?」

「そのために今日も、会いにきたのよ」


 このまま話を続けても、また店員が来るだけだ。私は敢えて声を落とし、こう言った。

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