III.

「――下がれっ!」


 迫る閃光のを感じ取り、とっさにマロカはそう咆えて駆ける。

 直後、突き飛ばした黒スーツのいた場所に白い雷光が降り注ぎ、庇った体が直撃を浴びた。


「――っ。〈ハレーラ〉まで戻れ!」

「し、しかし、シーカイン様が……!」

「俺が連れ戻す! あんたたちは一旦退け!」

「わ、わかった!」


 焼けつく痛みと、高圧電力による痺れ。双方のダメージに奥歯を嚙みしめ、マロカは指示を咆えてさらに駆け出す。


「――――」


 前方、眩い雷光をまとった黒狼が、割れた咆哮を吐きだす。伴って放出された高圧電力の波が、焼き尽くさんとして迫った。


「雷撃は、こう使うん……だ!」


 その波に、正面からぶつかるマロカも自身のユニーカを行使して紫電をまとった。

 紫電と雷光。二つの閃光が衝突し、立体駐車場の1フロアを光で満たす。


「――はあ……はぁ……。〈直心穿通〉。鎮静剤、投与開始」


 光が和らいだ空間に経つ、二つの巨躯。

 交錯するような姿勢で固まったのも束の間、両者の一方、漆黒の体毛をまとったほうがぐらりと膝から崩れ落ちた。

 その力ない体を支え、豪腕に装着した〈ハート・ニードル〉のトリガーを引いたマロカは、肩で息をしつつも肉球越しに黒狼の呼吸が静まるのを感じて、小さく息を漏らす。


「まんまとおびき出したってことか……」


 襲撃は、帰路のことだった。

 カシーゴの中心ダウンタウンで用を済ませたバルガリ・シーカインを乗せた車両を、マロカは上空で併走する〈ハレーラ〉から監視していた。

 護衛なら、すぐ傍で同行すべきだ。

 そう主張したマロカへ、依頼主バルガリは平然とこう言った。


 ――


 そこで初めて、依頼が護衛任務などではないとマロカは知らされた。

 これは、ウィスブに攻撃を仕掛けるテロリストをおびき出すための偽装行動フェイク・オペレーション

 依頼主には、端から安全な路程など進むつもりはなかったのだ。


「……こき使ってくれる」


 だからといって依頼を断る、という選択肢はなかった。

 既に受諾していたのも理由の一つだが、何より依頼主がウィスブの上級職員ときている。その肩書きを聞いたことはないが、法的にグレーゾーンすれすれの〈シルバー・バレット〉を堂々と持ち出してくるあたり、相当な地位にあることは容易に想像がつく。

 それにもう一つ、断る訳にはいかない理由があった。


「俺の情報をどこから知った……?」


 黒狼の容態安定を確かめ、駆け出すマロカが眉根を寄せる。

 依頼主は、

 明確に言ってくることも、仄めかすこともないが、マロカの直感がそう告げていた。

 それはつまり、喉元に刃を突きつけられていることと同義。

 そのような相手に、ノーと言えるはずもなかった。


「オフィサー! ……通信はダメか」


 狼耳のイヤコムから無音が返り、マロカは静かに毒づいた。

 黒狼の強力な放電によって、周囲一帯には通信障害が起きていた。マロカのユニーカに耐えられるべく設計された通信機は無事でも、空気中の電位が飽和し、電波が飛ばなければ意味がない。

 嗅覚地図を行使しかけ、ふいに感じた気配へ素早く身構えた。


「――私の心臓を刺すのはよしてくれよ、レンジャー・セオーク」


 疎らに駐められた車両の一台、その横から音もなく灰色のコートが現れ、鉄面皮の表情が冗談のようなことを言う。


「……無事だったか、オフィサー」

「君らがインピュアスの相手をしてくれたからな。おかげで、ターゲットを押さえることができたよ」


 抑揚のない声音で言い、アスファルトに響くブーツの音に重いものを引きずる音が加わる。


「オフィサー、それは――」

「――訊かないほうが賢明だぞ。我々の世界では、知が命取りになることもある」


 そうだろう?、と続けたバルガリの足元に、気を失い、猿ぐつわをさせられた人影が横たわっていた。その襟首を、まるで荷でも曳くようにバルガリが引きずっていく。

 勘づかれないよう、密かにグラシスギアを起動したマロカの視野に、生存を示すバイタルデータが浮かび上がる。少なくとも息はあるようだ。


「……それが狙いか」

「協力に感謝する。社会の泰平を乱す分子を未然に見つけ出すこともまた、我々〈ウィスブ〉の仕事だよ」


 平然と言ってのけたバルガリの向こうから、慌ただしい足音が近づいてくる。伏した黒狼の傍を通り過ぎ、バルガリは駆け寄った黒スーツへ拘束した人物を引き渡す。


「なら依頼は完了だな。インピュアスはこちらで搬送する――」

「――その必要はない」


 黒狼を抱えあげたマロカが振り向くと、バルガリの脇で黒スーツが〈シルバー・バレット〉を掲げていた。微動だにしない銃口へちらりと目をやり、マロカが低い声で問い質した。


「……何のマネだ?」

「そのインピュアスには、社会転覆容疑が。残念ながら黒狼化した以上、尋問は望めない」

「だから始末すると?」

「レンジャー・セオーク。そのインピュアスは、数々の国際犯罪に手を染めていた極悪人だ。生かしておくメリットなどない。それに、もし覚醒すれば、間違いなく報復してくるぞ」

「――っ」


 最後の一言に、マロカは肉球のある手を強く握りしめる。かつて身を置いた世界だからこそ、バルガリの言葉がただの脅しではないと理解できる。


「そのインピュアスを置いて立ち去ることだ、レンジャー・セオーク。君は依頼を遂行し、テロリストの排除に貢献した。その活躍は上の者にもよく言っておこう――」

「――ふざけんなッ!!」


 爆音を破裂させて、立体駐車場のスロープを大型バイクが疾走してくる。ユニーカで強化された若く怒気を孕んだ声がバルガリの言葉を遮った。


「リエリー! ここで何をしている!? 来るなと言っただろう!」

「アタシはそこの殺人ガリガリ女に用があるんだッ!」


 高く咆えたリエリーがバイクを急停止させ、ビシッと人差し指を突き出す。

 黒スーツが動きかけ、マロカの体に緊張が走る。

 が、それを制したのは、バルガリ本人だった。


「聞こうか、レンジャー・セオーク・ジュニア」

「アタシは、チョコレートライトニングのリエリーだッ!」


 反射的に咆え返し、リエリーがマロカの前に仁王立ちする。駄駄をこねている場合ではないと諭そうとし、ふいに「持ってて、ロカ」と何かを放り投げられる。リエリーがいつも手放さない、ティアドロップのグラシスギアだった。


「では、チョコレートライトニングのリエリー。私に何用だ?」

「このインピュアスはアタシたちが連れて帰る。アンタに殺させはしない」

「もう一度言おう。それはテロリストだ。生かしておけば、他の人間が死ぬぞ? それでもいいのか」

「――知ったことかっ!」


 エコーを伴って響いたその無責任極まりない言葉に、居合わせた全員が言葉を失う。バルガリの鉄面皮がわずかに歪み、初めて戸惑いを見せた。

 普段なら、マロカが諭すところだった。いくら実力があろうと、場をわきまえないにも程がある。わがままで押し通せる状況ではない。

 が、続いたリエリーの言葉にハッとさせられて。


「テロリストでも何でも関係ない。アタシたちはレンジャーだ。レンジャーは命を救うもんだって決まってる。それが仕事だ。だから仕事の邪魔をするな!」

「屁理屈をこねるんじゃない、小娘! 根拠もなくシーカイン様の任務を妨げるなら――」

「――いや、根拠ならある」


 一歩前に出た黒スーツを遮って、マロカが声を上げる。全員の視線を感じつつ、その根拠を口にする。


「国際威療士レンジャー条約第11条。その職に準じる者は、負傷者の属性如何に関わらず、救命措置に全力を尽くさねばならない」


 それはレンジャーに関わる者なら全員、頭に叩きこんであるはずのルールだ。

 レンジャーは、決して負傷者を区別してはならない。それが罪人であろうと、その生命が危機にある場合、等しく救わなければならない。

 それを定めたルールだった。


「本件は特別任務だ。ウィスブの任務に条約の効力は適応されない――」

「――レンジャー・リエリーが正しい」


 予想外の言葉に黒スーツが「シーカイン様?!」と驚きの声を上げる。そちらを見向きもせず、灰色のコートが前へ出ると、


「我々、法と秩序の番人たるウィスブが、国際条約を失念していたとはな。礼を言おう。レンジャー・リエリー」

「お、おう! わかってんじゃん」

「……リエリー、それは言いすぎだ」


 今度こそ娘の稚気を窘め、マロカが軽く頭を小突く。その一方で、素直に引き下げる意向のウィスブ上級分析官の真意をつかめず、警戒の目を送った。

 見えているのかいないのか、バルガリは撤収のハンドサインを掲げ、


「これほどまでにレンジャーの職へ忠実な若者がいるとはな。それがわかっただけでも、今回は実りある結果だった。今後もしっかり職務を全うすることを期待している」

「任せとけって。みんなみんな、アタシが救ってやるよ!」


 薄い胸を張るリエリーを、バルガリが一瞥して踵を翻す。その口元が、わずかながら笑っているように見えて、マロカは薄ら寒気を感じていた。


「どした、ロカ? 早く戻らないと、ルーに叱られるよ?」

「……ああ、そうだな」

「ねえ、さっきのアタシ、カッコ良かったでしょ? どう?」


 マロカの手元から愛用のティアドロップを取り上げ、得意そうな顔をリエリーが向けてくる。褒められた行動ではないのは間違いないが、リエリーのおかげで一人の命が救えた事実も確かだ。たとえ、危険人物だったとしても。

 そこまで考えを巡らせたところで、マロカは深追いを中止した。バルガリの意図が何であれ、リエリーの言う通り、自分たちはレンジャーに違いない。

 ならば今は、素直に一人の命を救えたことを喜ぶべきだろう。


「危ない真似は勘弁してほしいけどな。まあ、よくやったぞ」

「やった。レイじいちゃんに自慢しよ」

「……そういや、リエリー」

「うん?」

チームの決まりじゃ、バイクは16歳まで禁止だったと思うんだが?」

「……げ」


 ――大都市カシーゴにまた、夜が訪れる。

 ――だが、その宵闇にはいつも、光が差し込む。


 レンジャーという、希望の光が。


《完》

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副官の決意/Liellie's decision ウツユリン @lin_utsuyu1992

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