第35話 その後



 伊織さんが部室から出て行った後、村上くんと少し話をした。どうでもいい、たわいもない話。どこのラーメン屋が美味しいとか、新しいソシャゲが面白いとか。そんな毒にも薬にもならないことを、数分だけ話した。


「じゃあ、俺はもう行くわ」


 こちらには視線を向けず、村上くんはそのまま部室から出て行く。授業に戻るには中途半端な時間。もしかして村上くんは、今から伊織さんを探しに行くのかもしれない。あそこまで明確に拒絶されておいて、変わらず1人の少女を想い続ける精神は素直に尊敬する。


「……でも意味はない」


 詩織のように、想いごと人格を切り捨てるなんて真似はできない。俺のように、全てどうでもいいと割り切ることもできない。


「人を好きになるって、めんどくさいよな」


 主人のいないハムスターの檻を見つめる。……中佐は無事だろうか? 俺は別に雪音みたいにハムスターが好きなんてことはないが、それでも関係のない他人の想いに振り回されて傷つくのは可哀想だ。できることなら、無事であって欲しい。


「話は終わったの?」


 そこでまた部室の扉が開いて、現れたのは雪音。彼女は一度だけハムスターの檻に視線を向けてから、小さく息を吐く。


「お前も来たのか、雪音。……いや、もしかして外で話聞いてたのか?」


「まあね。あたし、村上くんと伊織さんとは同じクラスだし。2人が怪しい感じで教室から出て行ったら、そりゃ気になって後とかつけちゃうよ」


「……悪いな。中佐の安否はまだ分かってない。今から伊織さんを問い詰めても、答えてくれるかどうか……」


 伊織さんは最後に言った。『私は殺していない』と。その言葉の真意はなんなのか。愛する人の為なら、本当になんでもできてしまうのか。俺にはまだ、分からない。


「この前さ、しおりんと2人で話をしたんだよ。実は遊園地のチケット、その時にしおりんから貰ったんだ」


 中佐のいない檻を見つめながら、雪音は唐突な言葉を口にする。


「……へぇ。あいつが遊園地のチケットをね」


「もしかしてしおりんのことだから、また何か考えてるのかもしれない。けど、あたしは別にそこまで気にしてないんだ。千里には悪いけど、しおりんとはまだ……友達だから」


「別にいいよ。俺とあいつはもう友達でもなんでもないけど、だからって別にお前にまで疎遠になれとは言わないよ」


「千里は優しいね」


「……薄情なだけだよ」


 窓の外に視線を向ける。今日は綺麗に晴れている。今週末は、もう雨は降らないで欲しい。


「それでしおりん、言ってたんだよ。どれだけ怖い怪物でも、首輪がついてたら興醒めだって。その言葉の意味、千里なら分かる?」


「……言葉通りの意味だろ。誰かに飼い慣らされたら、それはもう怪物でも何でもない。単なるペットだ」


「そう言われても、よく分かんないな。しおりんや千里が、何を言いたいのか」


「……そうだな。漫画とかで、普通に人を殺してた悪役とかが主人公の仲間になって、人助けとかしてたら冷めるだろ? そういう感じ」


「あたしはそういう展開、嫌いじゃないけどなー」


「なら、それでいいんだよ」


 多分あと10年も経てば、俺も詩織のことなんて忘れて別の女の子と付き合っているのだろう。もしかしてたら結婚して、子供がいるかもしれない。上手く想像できないが、そういう未来もある筈だ。……まともに生きれば、きっとそんなに難しいことじゃない。



 でも、自分を捨ててまで社会に迎合して、他人の価値観で生きるだけの価値がこの世界にあるのだろうか?



 悪役は、悪役のまま死んで欲しい。改心するくらいなら、初めから悪いことなんてするなよ。


「なんだかんだ言って、千里としおりんって通じ合ってるところがあるよね」


「どうかな。似てるだけだと思うよ。そしてそれは、似て非なるだな。根っこのところであいつが何を考えているのか、俺には全く分からない」


「あたしは千里の考えもしおりんの考えも、どっちもよく分かんないよ」


「その方が正常だよ」


「正常って言われても、別に嬉しくはないけどね」


 雪音は軽く伸びをして、近くの椅子に座る。


「それで千里はさ、これからどうするの? 犯人、伊織さんだったんでしょ? このまま、なあなあで終わらせるほど千里は優しくないし、また神田くんにしたみたいなことするの?」


「……そうだな。とりあえずハムスターの安否をはっきりさせて、本当に殺したなら相応の報いは受けさせる。黒板事件の方は別に許してやってもいい。あれくらい別に、よくあることだ」


「あたしはさ、中佐がいなくなって凄く悲しいけど、だからって別に伊織さんを傷つけて欲しいとは思わない。千里だって別に、伊織さんを傷つけたいとは思ってないんでしょ?」


「でも、気持ち悪いだろ? 因果応報、善因善果なんて嘘だけど、それでも明らかな悪人が反省もせずヘラヘラ笑ってる世界とか、吐き気がする」


「なんか随分、いい人みたいなこと言うね?」


「俺がいいんじゃなくて、世界が悪いんだよ。この世界に神様なんていないし、いても役に立たない。クソゲーだよ、この世界は」


「あたしは、クソゲーくらいで丁度いいと思うけどな。この世界が神ゲーだったら、もうクリアして辞めてるよ。クソゲーだから、まだ何とか生きてられるんだよ」


「…………」


 反論の言葉が思い浮かばなくて、口を閉じる。雪音は偶に、俺や詩織よりもずっと鋭い言葉を口にする。


「あたしさ、さっき村上くんとすれ違ったんだよ。あの子、泣いてたんだ。顔真っ赤にしてさ」


「そりゃ、あそこまで完璧に振られたらな」


「それでも多分まだ、村上くんは伊織さんのことが好きなんだよ」


「そこが俺には、よく分からないんだけどな」


「……捨てられないんだよ。そんな簡単に捨てられない。どれだけ傷ついても、気づけば伊織さんの姿を探してしまう。人を好きになるって、きっとそういうことなんだよ」


「俺は……」


 俺は簡単に捨てられた。詩織のことなんて、もう好きじゃない。中学の時に少しだけ付き合った彼女のことも、もうほとんど覚えていない。きっと街中ですれ違っても、気づかないだろう。


「好きって想いには、2種類あるんだよ。幸せにして欲しいのか、それとも幸せになって欲しいのか。きっと村上くんは後者。だから想いを捨てられない」


「…………」


 その気持ちは、少しだけ俺にも理解できる。俺が妹の遥に向けるような感情を、村上くんは伊織さんに向けているのかもしれない。……でも、もし仮に遥が伊織さんみたいに間違ったことをしたら、俺は遥の味方をしないだろう。



 きっと、誰の味方もしないだろう



「あたしさ、少しだけ村上くんの気持ちが分かるんだ。あたしの好きな人は、きっとあたしじゃ幸せにはしてあげられない。だからあたしは、その人が幸せなら隣にいるのがあたしじゃなくてもいいって思う」


「それって、好きって言うのか?」


「言うんだよ。お子ちゃまな千里には、分かんないかもしれないけどね」


 雪音は椅子を引っ張って、俺の隣に移動する。肩と肩が触れ合う。……少し、暑い。演劇部の部室は暖房がつけっぱなしだから、人の体温は必要ない。伊織さんにまだハムスターが部室にいると錯覚させる為、消さないでくれと俺が頼んだ。だからもう、つけっぱなしにする理由はない。


 ……でも、この暖房を消してしまうと中佐はもう帰ってこない気がして、どうしても消す気にはなれなかった。



 そして、しばらくそのまま雪音と話をして、3限が終わる頃に部室を出た。流石にこれ以上はサボれない。俺はともかく、雪音が授業に遅れるのは可哀想だ。


「…………」


 退屈な授業を尻目に、シャーペンを回しながら考える。これから伊織さんをどうするか。とりあえず放課後に呼び出して、部長さんの前で中佐の安否を話してもらう。仮にもう学校から帰っているなら、家を調べて会いに行かなければならない。


 村上くんに訊けば、家の位置なんてすぐに分かるだろう。仮に彼が伊織さんを庇うようなら、別の手段を取る。伊織さんのSNSのアカウントはもう把握してあるから、最悪、詩織の名前を使えば彼女を呼び出すことは容易い。


「……馬鹿馬鹿しいな」


 そんなことを考えていると、あっという間に時間が流れて放課後。さて、とりあえず伊織さんを訪ねてみるか。なんて考えたところで、勢いよく教室の扉が開いた。


「……三島さん? そんなに慌てて、どうかしたの?」


 やってきたのは、演劇部の部長である三島さん。彼女は両膝に手をついて、はぁはぁと肩で息をしながらこちらを見る。その姿を見て、また何か面倒でも起こったか? と思ったが、彼女はぶんぶんと首を横に振って言った。



「中佐が部室に戻ってる! ちゃんと、生きてる……!!」



 それで、俺は思った。生きていてよかった。という感想の前に、全く別のことが頭を過ぎる。『私は殺していない』という伊織さんの言葉の意味。そして今朝、黒板に書かれていた『未白 千里がハムスターを殺した』という落書き。



 ……ああ。彼女はきっと、殺せなかったのだろう。



 もう少しだけ、やらなければならないことができた。……本当に、馬鹿馬鹿しい。


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美人だから浮気しても許されると思ってる王子様系の彼女に、いきなり別れようと言ったらどうなるか検証してみた。 式崎識也 @shiki3

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