婆共は、遥けき青春時代の夢を見る。



ガーボーが寝てしまって、僕と本田は暫く黙って紅白で力強く歌っている演歌歌手を眺めていた。

ふと、本田は持参した白菊の蓋を開け、僕と二つのグラスについでから口を開いた。僕は舞茸を箸でつまんで口に放り込んだ。


「なあ、学校に七不思議ってあったじゃん。俺の所には少し変わった七不思議があってな。他六つはありきたりなんだが、一つだけ俺と俺の周りの学校には変なのが一つあった。

『カンバリ入道郭公』ってな、三回唱えるとカンバリ入道が現れて、唱えたそいつは殺されちまうんだよ」


「成程、確かに聞いたことないな。そもそもカンバリ入道って何だ?七不思議に出てくる幽霊や妖怪なんて漠然と少年とか、女とか具体的な名前なんて上がってないよな」


勿論花子さん、とか例外はあるが。

「そうだよなあ。不思議だよなあ。

だが、俺の周りにはそんな呪文を大真面目に唱える奴はいなかったが。

考えてもみろよ。カンバリ入道って奴はそもそも何物なんだ?それは神の名前か?それとも幽霊?妖怪か?いずれにせよそれらを呼び出すためには作法ってもんがある。


先ずどこでもいいって訳じゃない、この場合だったらカンバリ入道に所縁のある特定の場所で呪文を唱えなければならない。他にも段階を踏まなきゃいけない。相応しい時間、相応しい衣装とかな。


まあそんな訳でこのカンバリ入道郭公という七不思議はあんまり怖くなかった。

他の七不思議だと、十三番目の階段、鏡に映る幽霊、赤い紙が青い紙か、動き出す人体模型、ディズニーランドでミッキーを池に落とし、出禁になった伝説の先輩、それと深夜の校内放送だな」

本田は新潟に家があり、一人暮らしすることなく高校に通う感覚でそのまま大学に通っている。僕の実家とは大分は離れているから、僕の知らない七不思議が幾つかある。まあそりゃあそうなんだけど、やっぱり七不思議だって代々伝わっていくものだし、そう考えてみれば神話なんかと同じような構造なのかもしれない。それが人に与える影響が大きいか小さいかのだけの話で。


「僕の所じゃあ確か、十三段目の階段、深夜の校内放送、四時ババ、理科室ババア、ディズニーランドでグーフィーを池に落とし、出禁になった伝説の先輩、鹿島ちゃん、だな」

「お前の所はやけにババアが多いな。学校にババアはあんまり居ないだろ」


確かにその通りだ。因みに四時ババというのは深夜四時にトイレに入るとババアがトイレに入ってきて絞め殺される、という話だ。理科室ババアは割れたフラスコ片手に深夜の学校を徘徊するババアがいるって話。


それぞれ出現条件が違うがつまり、それらを同時に満たせば学校にいるババアは二人になる。深夜放送のパーソナリティがババアだった場合、学校に同時にババアが三人存在する事になる。

我が母校は深夜、ババアで賑わっていたらしい。


「それもしょうがねえか。ババアの妖怪は沢山いるもんな。それよりも気になるのは鹿島ちゃんだよ。誰なんだ鹿島ちゃんってのは」

鹿島ちゃん。これは当て字で本当はカタカナでカシマレイコというらしい。


「鹿島ちゃんはね、確か電話をかけてくるらしいんだよ。彼女は電話でこう言うんだ。『戦時中にアメリカ軍の兵隊に両手足を撃たれて、苦しみ抜いて死んだ郵便配達員がいたの。彼はね、両手両足が動かないからシャクトリムシみたいに身体をくねらせながら動くしかなかった。頬を地面に擦り付け、泥まみれになりながら、助けを求めたの。一体彼が何をしたというの。死んでも死にきれないわ。


ねえ、彼に手と足を返してくれない?貴方に手と足はそんなに必要?走らなければ殺される?祈らなければ不安で死んじゃいそう?』震えたまま何も答えずにいると手足を取られちまうらしい」


「兎も角彼女は戦争の時代を生きた女性って訳だ」

ただ、それが今の子供達にとって怖いかというと微妙じゃないか?戦時中の悲劇なんてそれこそ下らん七不思議なんぞ知らずともこの世に溢れかえっている。それに幾らそれがリアリティを持った物語だって当事者に想像出来ない恐怖なんて意味がないだろう。


「まあ、小学生の子供なんざそれくらいでびびっちまうもんなんじゃねえの。うんこって叫んだくらいでで笑うしな。

それにだ。気にする所はそこじゃない。問題は彼女が戦時中の人間だって事だ。」

「どういう事だ?」

僕は本田の言う事がいまいち分からなかった。彼女が戦時中の人間で怖い事でもあるのか?


「生きてたら今はもうババアだろ」

どうせ幽霊になって電話を掛けてきているに決まってる、と思ったかもしれない。

しかし、彼の考えはあながち間違えじゃなく、彼女の幾つもある名前の当て字の一つにこんなものがある。『仮死魔霊子』。意味する所は生霊かもしれないって事だ。

詰まる所、僕の学校には四人、ババアがいたという事だ。


「十三番目の階段、これはそんなに怖い事なのか?十二段の階段が十三段になった事がそんなに怖いか?」

実際これは七不思議を知った小学生の頃から疑問だった。聞いた所でそれがどうしたとしか言いようが無いからだ。

白菜を摘まみながら本田が言う。


「今考えると、十三段ある階段と言うので有名なものがある。昔のヨーロッパで絞首台に登るまで階段の段数らしい。

あんまり確かな事は分からんがな」

だが、先の鹿島ちゃんの話にしたって小学生の子供がそんな事を知っているのか?と疑問が残る。まあ、そんな事考えたって不毛なんだろうけれど。


ふいに、僕の手に冷たい液体の様なものが触れる。それは良く見れば寝ているガーボーの口から出たよだれだった。

まぎれもなく熟睡している。実はもう結構な時間が経っているんじゃないかと時計を見たら、針は九時と十四分を指していた。やっぱり針が頂点を刺すにはまだ少し時間がかかりそうだ。


「全く。こいつは本当に良く寝れるな。今日は元旦なんだぞ?」

元旦というのは一年に一回しかないんだぞ。そんな一大イベントを前にしてよくもまあここまで爆睡できるものだ。



「すまない、僕ちょっとトイレに行ってくる」

僕は座布団を立ち、トイレに向かった。長い間座っていて足が痺れている。仕方がないから身体に鞭を打ってトイレに向かう。

僕の住んでるアパートは結構安いから、ユニットバスだしその上便器に便座を温める機能なんかない。


全く酷い話だ。これじゃあ色々萎縮してしまって出るもんも出ない。

便座に座ってやる事もないから考え事をしていると、ドアの向こうから、小さく本田がカンバリ入道郭公、カンバリ入道郭公、カンバリ入道郭公と言っているのが聞こえた。昔を懐かしんでいるのだろうか。まあ確かに、僕も人生やり直したいとか、たまに思うけどな。どうにもならん事だが。


「はあー、出ねえ」

いざ便座に座り込んで何も出ないとなれば手持ち無沙汰である。暫くは何も考えずぼーっとしていたが、そのうち何もないユニットバスを見渡した。電球の光が壁で反射して眩しい。当然だがこんな場所を見渡していても何にも面白くない。ただ徒に時間が過ぎ去っていくだけだ。


いや、気付かなかったがいつの間にか着物を着た男が僕を見ていた。

一体何処から入ってきたんだ?駄目だ、酔っ払って頭が働かない。もしかしてこいつは強盗かなんかじゃないのか不味い、これは僕逃げた方がいいんじゃないか?

「わしの名前を呼んどったんはおんしか」


男はどうも古めかしい言い方で、僕に質問する。知らない、あんたの名前なんか読んだ覚えないぞ。

「貴方誰です?」


「わしこそ正にカンバリ入道と申す者でござるが」

誰だよ。まさかさっき話していた都市伝説の妖怪じゃないだろうな。一体どこから僕と本田の話を盗み聞いていたんだ。大した暇人もいたものだ。


「警戒召されるな、別におんしらに何かしようなどという魂胆でここにおるのではない」

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