第4話 「家出少女ミル」が生まれるまで~美少女料理研究家・ミルの過去~

 ところがこの話は、それからは案外、早く決着した。

 まず松永さんが、盗作の被害者とゆりシェフに、「和解」のために、お詫びの気持ちとしてのお金を支払いたいと申し入れた。これはよくあることなのだろうが、その額が、にわかには信じがたいほど、多額だった。

 また、被害者がこれから出張料理人をしたいなら、事前に決められた期間内ではあるけれど、客を紹介したいという。書面できちんとした提案がなされた。

「金額の問題ではないかもしれませんが、お相手様に少しでも早くよくなっていただきたくて」

 松永さんからの電話に、ゆりシェフは最早おののいた。

「でも、身元が分からない方からのお金は受け取れませんわ。ミルさんは、いったい、何者なの?」

「……すべてお話ししましょう。神乃木さんに話し合いの場所をご用意していただくのはいかがでしょうか。書類もご用意しました」

 という会話があったそうだ。

そして、次は神乃木さんに連絡がきたわけだが、私は、その日はたまたま、リモートワーク中の出社日だったので、編集部にいた。

先輩に原稿の意見をもらっていると、神乃木さんが、自動販売機で缶コーヒーを買いにきて、ちょうど、スマートフォンで着信したのが見えた。

会話の内容は聞こえない。会釈をして先輩との話を続けていると、

「うぇーえええええッ」

という、誰かが絞殺されるような恐ろしい声が聞こえて、何かと思ったら、神乃木さんの叫び声だった。通話が終わったとたん、こちらに走ってくる。

「どうされました?」

 私が訊くと、神乃木さんはこう言う。

「ひとことでは説明できないことが……沙奈ちゃん、今日の夕方は空いているか? ミルさんと、松永マネージャーと、ゆりシェフ……そして、あの被害にあった子が、ここに来る。俺の……副編集長室で話をしたいそうだ。君も聞いたほうがいいと思う」

「解決ですか?」

「そうみたいだ」

 そして、神乃木さんと二人で、副編集長室で待っていると、まず初めに、ミルさんと松永さん、そして被害にあった女性……Aさんとしておこう、Aさんがゆりシェフとやってきた。今日はたまたまお店が休みだったのだと言う。

 お茶とお菓子を出して、くつろいでもらおうとしたが、なぜか私以外の人たち……というか、神乃木さんとAさん、ゆりシェフの三人は、ぼんやりした、狐につままれたような顔をしている。そしてちらちらと、ミルさんを見ている。

 いつもの清楚な感じとは違って、今日は化粧が濃いめで、少し大人っぽいワンピースを着ている。けれど、別に派手ではない。

そしてミルさんと松永さんは、申し訳なさそうな、でもどこか優位に立った表情だ。いったい、何があったのだろう?

神乃木さんが挨拶をしたあと、松永さんが立ち上がって言った。

「皆様、今日はこのような機会をいただき、まことにありがとうございます。神乃木様にはお伝えしましたので、お聞きになった方もいらっしゃるかもしれませんが、ミル様のご本名は『鶴沢(つるさわ)清(きよ)香(か)』といいます。あの『鶴沢グループ』の創業者の孫娘でいらっしゃいます。証拠の資料も、こちらお持ちしました」

 それらを読みながら、ゆりシェフが言う。

「どうりで、品のあるお顔で……それに、『鶴沢グループ』の創業者といえば……」

「はい、花園ゆりシェフの長年のファンです。ここ五年ほどはご病気で食事制限があるので、残念ながらごぶさたしていますが……ミル様……いや、清香様も、何度もお世話になって、シェフとご一緒の記念写真もそこにございます。私も五年の間に急に老けましたから、お分かりにならなかったでしょう」

「いえ、今、思い出したわ。それに、お声が……」

「よく言われます。声は変わらないでしょう……では、大変辛い話ですが、どうしてこうなったのか、お話しさせてください。一部は神乃木さんと沙奈さんにお話ししましたが、ほかの方に直接申し上げたわけではないので」

 前述のように、ミルさん、いや、鶴沢清香さんの母親は、鶴沢グループのお嬢様として、何不自由なく育った。ところが、世間知らずと優しさにつけ込まれ、とんでもない男と結婚した。そして夫のあとを追い、幼い清香さんを連れて出ていった。その時、清香さんは八歳だった。

「駆け落ちのようなものですね。お嬢様は、自分で動かせるだけのお金をすべて持って出ていきましたから、旦那様……清香様のおじい様は、それに関しても、たいそうお怒りになって、その後の三人の行き先を調べることはありませんでした。それが悲劇というか……清香様たちの、長い、長い、凄惨な生き地獄の始まりだったのです。

 三人は、清香様の父親の実家に近い、田舎町に住み始めました。ところが相変わらず、その男は働こうともしないし、家族の面倒もみようとしません。アル中で、浮気が続き、家族に暴力をふるうようになりました。そして、離婚した前妻に会うようになったのです」

知らない土地で孤立し、追い詰められた清香さんの母親は、精神的に不安定になった。それは本当らしい。

だが、清香さんの話によると、母親はおとなしくても気丈で優しい人で、時々家で泣いても、結局、笑顔でいつもおいしい料理を作ってくれた。純真な彼女は、夫の愛を取り戻そうと一生懸命だったという。

「ところが、ある日のことです。清香様のお母様は、夫とその家族に『一緒に買い物に行こう。子供の面倒はみるから』と誘われて外出しました。そしてそのまま、いわゆる精神病院、精神科に強制入院させられ、たった数ヵ月後に、病院内で自然とはいえない、むごい死に方をしました」

 妻の遺産を手に入れた清香さんの父親は、すぐに元妻と再婚して、田舎に大きな家を買い、引っ越した。そして、車がなければ家からなかなか出られない、お隣の家も遠い、という環境で、二人で幼い清香さんを虐待するようになった。

「恐ろしいことに、二人とも、絶対に手はあげなかったそうです。学校に行った時、傷があると、暴力をふるっているとばれる可能性があったからでしょう。その代わりに、小学生だった清香様の部屋に、盗聴器を仕掛けました。

 継母は……悪い評判のある宗教の信者で、ただでさえ実の母親を衝撃的な状況で亡くしたばかりの清香様に、あらゆる精神的な暴力をふるい続けました。ずっと、ずっと。盗聴しながら、『神様が皆、見ている。あなたは本当に悪い子だ』と、何をしても暴言を吐き続けました。最初、清香様はそれを信じて謝ってばかりいましたが、耐えられなくなって周囲に助けを求めるようになりました。

けれどそれも、すべて監視していますから、先回りして先生やご近所にまで、たくみに嘘を吹き込んで、清香様が皆に嫌われるようにしました。そして、『やっぱりお前はクズだ。すべて神様が見ていた』と、清香様が悪いように信じ込ませました。

それでも苦痛が減るわけではないので、清香様は小学校高学年で、夜尿症になりました。寝ている間におしっこをして寝具を濡らすと、継母はこの時とばかり、力いっぱいに殴りました。

『だいたい、あんたは笑顔が足りない。笑う門には福来る、だよ』

 と罵ったり……言い出したらきりがありません。なんというか、そこまでするなら、自分から人間である資格を捨てているのではないでしょうか。それに、清香様の苦しみを思うと……。むごい話です。

清香さんは本当にメンタルをやられ、小学生の時だけで、本気の自殺未遂は二回しました。それでも何も変わりません。毎日泣いていると、笑え、だからだめなんだと、ボロクソに言われるので、笑うとわざとらしいと罵られ、学校では暗いというのでいじめに遭いました。

ですが、中学生になったさいに、よいメンタルクリニックの先生に出会えて、精神的な成長もあり、清香様は、ようやく自分が悪いのではないか、と気がつき始めました。 

 そのうちに、初めてのアルバイトで外の世界とふれたのをきっかけに、本来の自分を少しずつ取り戻しました。また、清香様は美しい少女になりつつありました。また、アルバイト先で、信頼できる年上の女友達にも出会えました。

 あせったのか、継母が違うかたちの虐待を始めようとしましたが、そこで、初めて、自分は盗聴などで監視されているのではないか、と思ったのです。

 必死で働いてお金を貯めた清香様は、中学校を卒業後、休みのさいに、女友達の協力をえて、親の不在時に探偵を家に呼んで、調査を依頼しました。そうしたら、特に自室から、盗聴器や監視カメラ、それらを仕掛けられたあとを発見したのです。

その後、父親が帰ってきたので、探偵の鑑定書を見せて問い詰めたところ、泥酔した父親はすべてを話しました。

 また継母が、盗聴や盗撮で得た、清香様の声や画像を、少女を苦しめるのが好きな性癖のある男たちに売っていたことを知りました。二人とも、働かないで清香様の母親の遺産や、清香様を虐待することで得られたお金で生活し、少なくとも依存していた、ようするに清香様を人身売買することに頼って生活をしていたのに、清香様はなんの価値もないクズだと二人がかりで罵倒し続けて、孤立させていたのです。

父親は、『お前なんかどうなってもいい』と言いました。清香様は十五歳でした。

そのまま、清香様は、アルバイトで貯めたお金の残りと探偵の鑑定書を持って、女友達の家に家出をしました……しばらくは寝たきりでした。でも、十六歳になった頃、体力も回復してきて、『家出少女ミルのキッチン』を始めたのです」

 清香さんが言った。

「実家に連絡しなかったのは、継母に、私は嫌われているって信じ込まされていたからです。どうやっていいかも分かりませんでしたし。でも料理研究家になれて、歌もうたえて、自信もできたので、つてを頼ってコンタクトしたら、あっけないくらいに簡単に、おじい様たちや松永とも再会できました」

 ゆりシェフが涙ぐむ。

「よかった……本当によかった。ねえ、松永さん」

 松永さんは言った。

「良心を売るのは、人をあてにして生きている、弱い人間にでも簡単にできることです。その代わりに、本当に欲しいものを無くすかもしれませんが。とにかく、清香様はよく頑張られました……これがその探偵の鑑定書と名刺です。どうぞご覧ください」

「盗作のこと、本当に申し訳ないと思っています。ただ、あの日々に戻るのが恐怖で……おじい様と和解できたおかげで支援もさせていただけますし、私が自分で稼いだお金もこの中に入っています。どうか、もう許してください」

「分かりました。今はお気遣いを感謝したい気持ちです」

 Aさんが言った。ほーっ、というため息がその場にもれて、皆が、今まで部屋にただよっていた緊張感から解放されたように見える。

 新しいお茶やお菓子がサーブされ、和んだ雰囲気になると、ゆりシェフがこう訊いた。

「ただ、『ミル』になってから、『鶴沢清香』さんだったことに気がついた人はいなかったの?」

「……私は、十五歳で家出して十六歳でユーチューブの配信を始めるまでの間に、背が伸びて、自分でもびっくりするくらい顔が変わったんです。まだ成長期だったのと、それまでの環境が悪すぎたんでしょう。それまでガリガリで、家や学校では、ほぼ失語症だったので。当時の写真を見せると、『整形したの?』と言われます。松永も、最初は私だって分かりませんでした。

 ただ、私は、料理研究家やアイドルとしては、もうやりつくした、という思いです。ネットで有名人でいるには、高い更新頻度が必要だし、アイドルも本当はやりたくない、むいてない。今のメンタルのお医者様にも、それがストレスになっていると言われました。だから、引退しようと思います。

 私と松永は結婚するんです。顔が知れ渡ってしまって、不便なことがいっぱいできて、危ない思いも増えてきたので。私たちはこれから、しばらく遠くに行くと思います。忘れられた頃に戻ってきて、鶴沢家の本家に戻り、ママがいた頃みたいに、お料理して、静かに暮らしたいな」

「へえ……でも、分かる気がするなあ、なんとなく」

「神乃木さん、ありがとうございます。あれが『ミル』の最後の記事になるかもしれない。これもご縁ですね」

「僕もありがたいです」

 ゆりシェフはこう言った。

「私の分はいらないわ。私の分の半分はどうか、Aさんにあげて。でも、あとの半分は、ご自分を取り戻すために使ってください。まだメンタルの治療もしているんでしょう」

「はい」

「私はもうもらわなくていいわ。結局、恵まれてきた人間だから」

 松永さんは大きく頷いて、こう答えた。

「では、甘えさせていただくかもしれません。とにかく……ここにいる皆様に伝えたい、できれば、分かっていただきたい。世の中には、不運というものがあるんです。そして、不運は突然、誰にでもやってくるかもしれないものなのです。私もまさか、身近なところにこのような恐ろしい話があるとは……」

「松永!」

「本当に、本当にひどい話で、まだ信じられません」

 そこでゆりシェフが言った。

「ミルさん……いや、清香さん。あなたはもう無力な子供ではないわ。きっと、いや、絶対に、自分を取り戻せますよ」

「ありがとうございます。今ならできると思います」

 そこで神乃木さんが言った。

「じゃあ、この前の記事は、書き足して、『ミル』さんの引退記事にしませんか? 『食は少なくともなぐさめである』って言葉、凄くよかったと思う」

「はい……将来が見えなくてただ苦しむだけの日々でも、母の味、食の楽しみは私のなぐさめになってくれました。これからは希望、幸福のもとになってくれるでしょう」

 神乃木さんがパン、と手を叩いて言う。

「さあ、皆の前途に乾杯だ! 俺もとにかく、自分の行けるところまで行くぞ! まだ早い。近くに顔が利くうまい店がありますから、どうですか? ご一緒に」

「行きましょう……」

「『ミル』さんに乾杯!」

「はい、『ミル』にありがとうと、さよならを言いたいです」

 清香さんが言った。

「じゃあ、清香さんと松永さんと、皆さんに乾杯しましょう……喜びを分かち合える素晴らしい手段、食に乾杯だ!」


参考 『プロのためのわかりやすいフランス料理』水野邦明著(柴田書店)

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