13-3狂恋(中)

 問いの意味を図りかねる。


「新都では良い思いをしてきたのだろう。〝主〟とやらに会うまで、そのみ新都におればよかったものを。それをお前はむざむざと帰郷し、挙げ句、里の立て直しに着手した。何を企んでいる」


 何を、と問われてすぐには返答できなかった。

 問われた内容よりも、燈吾の様子に意識をさらわれる。冷厳な声音、詰問の口調、侮蔑の眼差し。これが本来の、寒田の燈吾。


「それも安是だけでなく、寒田までも」

「救済が片寄れば争いが起きる。道理でしょう、そんなこと」


 寒田への――燈吾の故郷への救済を咎められるとは思わず、声が上擦った。


「浅慮だ。お前の差し金ということは安是にも寒田にも知れ渡っている。しかも里から乞われたわけでもなく勝手にしゃしゃり出た。

 主とやらの施しが止まれば、怨まれるのはお前ぞ。そうでなくとも、この再建で怪我人や人死が出れば、責めを負わされる。この雪とて、お前がもたらしたもの」


 憎々しげに、燈吾は吐き出す。

 この雪を自分がもたらした――そんなはずがないではないか。まったくの言いがかりに反論しようと口を開きかけ、


「お前は火種だ。望むと望まざると里を狂気に陥れる。意味がわからぬわけではないだろう。

 本当の意味での再建を希むのなら、すべて〝主〟に任せて、お前は戻ってくるべきではなかった」


 それは……そうなのかもしれなかった。災厄の娘。あるいは災厄そのもの。


「顕示欲を満たしたかったか。オクダリサマと崇め奉られたかったか。男を喪った穴を埋めたかったか。ならば新都で買い漁ればよかろう」


 下卑た言いように、感情が燃え上がるのを押さえ込む。

 他の誰にどう思われようが構わない、なれど燈吾、あんただけには――


「私は、和合を目指した、それだけ」


 言いながら違和感を覚えた。冷ややかな視線に耐えきれず逸らす。黒沼に浮かぶ狐面を見やれば、面にすら問い詰められる心地に陥った。


「もう一つ、問う」


 すべてが白く霞みゆく景観は、祝言の時とよく似ていた。この世の果てに二人きり。なれど夫となった人は元夫となり、自分は糾弾されている。


「寒田でお前は産屋へ行ったそうだな。そこにいたはずの赤子の母親が神隠しにあったというが」


 ――どこへ消えた?


 乳を出していたはずの胸に刃を突き立てた小結。

 寒田人に取り囲まれていた小屋。

 泣き止まぬ赤子。

 思考を邪魔する空きっ腹。

 小結の亡骸が露見し、逆上した寒田人に邪魔立てされるわけにはいかなかった。もう一度燈吾に会いたかった。解き放てたか確かめたかった。


 どうすればいい、誰か、誰か、誰か、――

 ――山姫が下れば、山嵐が起きて里を荒らし、女が消える。 


 〝あたしが教えてやろうか〟


 あれは狂女の教え。狂っていなければあの始末を思い付くはずがなく、答えに行き着くはずもない。だというのに。



「……喰ろうたか」



 雪は一層激しく、色も音も心さえも凍らせる。なれど、ぢりりと熱く焦げつくような感覚が腹の底から湧き上がる。

 この男は正気ではないのか、戯れを口にしただけか。だとすれば空気を読まないにもほどがある。一周回って、戦慄するほど正しい理解に辿り着くなんて。



「――そうよ」



 嘘を吐くこともできたろう。なれど、その正しい理解を否定する気になれなかった。

 吹き抜ける風雪が、ほどけかけた赤黒毛を攫い、掻き混ぜ、波立たせた。燈吾から視る自分は夜叉のごときであろう。あるいは、焔そのものか。


「オクダリサマは黒山の排泄口。あんたの望み通り受け継いだ力で、赤子の母親は山に還した。先代・・に倣ったまで」


 墓まで持って行くつもりだった、墓に眠る死に方をするとも思えなかったが、語らず、漏らさず、なれど忘れず、いつかこの身まるごと山に還して帳尻を合わせようと思っていた。燈吾よりも一日だけ長く生き存えたなら、その翌日にでも。

 だが、秘密は二月も経たぬうちにあっさりと暴かれた。他でもない燈吾自身に。

 ああ、そういう男だったと思い出す。〈白木の屋形〉に火を放ち逃げ出そうとしたあの晩、接吻ひとつで自分の腰を抜かさせた。こちらの努力をあっさり無為にして軽々と上回る。


「だったらなんだと言うの。鬼子? 狂女? 外道? そんなのは今更でしょう。私は、」


 肉片の一欠、毛の一筋、血の一滴も残してはならなかった。残せば寒田人に勘付かれる。

 苦しくとも、えずくとも、涙が滲むとも、全て喰らい尽くさねばならなかった。とても一人では喰らい切れぬ、まだ温かな、つい先ほどまで乳をやっていた肉塊を――二人で・・・喰らった。

 難しくはなかった。手本がいたのだから、何も考えず、真似ればよい。

 阿古は死んだ。自分の手で二度殺した。一度目は黒沼へ突き落とし、二度目は修羅で圧し潰し、さらには業火で燃やし尽くした。神火のごとき、天を衝いた赤華の火柱、安是の悪夢の終焉。間違いなく死んだ。

 だというのに。


 ――是


 黒山に響いた奇妙な音、下腹部の痛み、己が胎から這い出た血と見紛った赤光。

 到底信じられる現象ではなかった。

 殺したはずの母親を自ら産み出した――あるいは、膿み出した――なんて。

 狂いたくないと痛切に思った。縋りたかった。そして叶えてしまった。他でもない、オクダリサマの力をもってして。

 くつくつという嗤い声が耳元で響き、ちらちらと視界の隅で赤い鬼火が揺れ、あれから阿古という赤光が纏わり付いて離れない。

 女の危険性は幼き頃より理解していたというのに、三度・・縋ってしまった。

 なれど、己のうちに矛盾はない。

 阿古に助けを求めたのも、人の則を踏み外したのも、安是も寒田も救おうとするのも、ただ、ひたすら。


「……ただ、褒められたかった。褒められるのを期待していた」


 ――夫その人に。


 矛盾は無い。なれどはたから見ればまさに気狂いだろう。男に褒められたい、ただそれだけのために人を喰らったなんて。

 愚かな、と吐き捨てられた言葉には同意しかない。そう、途方もない愚か者だ。恋情と妄執と狂気を重ね、行き着いた果て。

 恋われる側にはわかるまい。きっと何度でも繰り返す。後悔しても、また辿り着く。他に道を知らない。


「……それでお前は忘れられるのか」


 静かな声音は、雪に吸われず、むしろ冴えた。

 涙が伝う顔を上げれば、握られた手紙がぐしゃりと潰されるのが見えた。狂っているようが、いまいが、書いた本人だ。止められない。


「愚かだ。お前は本当に愚か者だ」


 噛み締めるような言葉だった。

 軽蔑されるのは辛い。なれど、これが自分だ。俗物であり狂者であり、化物となった。元より釣り合っていなかった。


「褒められたぐらいで、どうして埋め合わせできる」


 間を詰められ、大きく肩を揺さぶられた。殺されるのだと勘違いさせる勢いで。


「お前は安是を、安是の仕打ちを忘れたのか!」


 荒げられた声に理解が追いつかず、ただ間近に寄せられたまなこを覗き込んだ。そこには阿保面の自身が映っており、相手の苛立ちがよく理解できる。さらに声量は大きくなり、浴びせられる。


「安是でお前は、疎まれ、蔑まれ、殴られた。狂った母を世話し、殺し、なれど誰からも顧みられなかった。古老らはお前を折檻し、救うべき大人はお前を無視し、嫗はお前を憎みながら利用しようとし、娘らはお前を見下しこき使った、佐合という男にいたってはお前を――俺の妻を陵辱したのだぞ!」


 ……なぜ。


 抱き締められたと勘違いするほどの近距離で肩を掴まれ、揺さぶられ、怒鳴られ、燈吾を見上げる。

 元夫の周囲を雪と青白の蛍火が混じり合い乱舞する。壮絶な怒気の具現のように。


「佐合とやらは死んだであろうが、その手合いを育んだ安是者が救済の恩恵を受けるのだ、どうして正気でいられる、どうして忘れられる、どうしてもっと無残に殺さなかった、万遍皆殺しにしたとて足りるまい!」


 震える腕が、狂い踊る蛍火が、腹の底からの咆哮が、怒りのためというのなら。


「なぜ、知っているの」


 その時の夫の――元夫の我に返ってそむけた横顔を、自分は生涯忘れまい。

 叱られたような、傷ついたような、痛そうな。

 どうしてあんたがそんな顔をするの。少しおかしく、いとおしく、それ以上に憐れにすまなく思った。

 なぜ、知られているのか。

 佐合の一件は仄めかしたかもしれないが、ふれられたから片を付けたとしか伝えていない。夫を傷つけるとわかって言えるはずない。


 知り得ないことを知る。それはかすみ自身、経験がある。あの時、燈吾はどこにいた? 誰といた? どうしていた?


 記憶を辿れば明白だった。

 激震の後の崩落した世界。白灰の靄に満ちた黒水。白蛭の小舟に運ばれ、泳ぎ着いた湊――阿古。

 そして、母の手により、燈吾が落とされた先は。



「…………黒沼問い」



 白々とした世界に呟きが落ちる。

 自分が阿古に視せられたのは、愛憎入り交じっためくるめく光、安是女の業、安是の昔語り。

 ならば、あの時、燈吾もまた何かを視せられていたと考えるが道理。

 黒沼問いから目醒め、燈吾はこのカツラの巨樹で存分に自分を甘やかし、二人きりの祝言を挙げた。

 すまない、すまない、すまないと繰り返し、滂沱の涙を流して。

 あれは、かすみの過去を視た憐れみなのだとしたら。

 お前は、と振り絞るような声音が耳に届く。


「……戻ってくるべきではなかった。新都で安穏に暮らしておれば良かったものを」


 ――半生と帳尻を合わせるべく。


 掴まれた肩の力が緩み、向かい合った二人の横を薄紙が雪と蛍火と共に舞う。

 躊躇いも、気負いもなく、すんなりと問い掛けは出た。熟した実が落ちるように。


「あんたは、まだ、私を好いているの」

「……三千世界のどこを探しても他におるまい。俺のために人を喰らった女など」


 〈妹の力〉から解き放たれてなお。

 苦渋に満ち、愛憎入り混じり、なれど一滴の諦観を浮かべたその表情で男の心裡を悟った気がした。

 自分は燈吾を解き放とうとしていたが、燈吾もまたかすみを解き放とうとしていたのではないか。安是というくびきだけでない。もっともっと先の、将来を縛る鎖からも。

 衿に隠された手紙――妹の力、とくべからず候――に従っていれば、自分はあえてオクダリとなり気狂う危険を冒さず、燈吾を連れて里を出奔していただろう。なれどその先に待つのは、病に冒され、狂いゆく夫の世話と生活苦。

 畢竟、燈吾を解き放つは、かすみ自身を解き放つと同義。


〝――天に在りては願わくは比翼の鳥と作らん、地に在りては連理の枝と為らん〟


 いつかの台詞が思い起こされる。比翼連理。

 肩に乗せられたままの手に手を重ねた。空虚となった箇所に小指を這わせる。絡めるように。この喪失は自分を解き放つための、代償――刹那。


「離れよ!」


 乱暴に突き飛ばされ、硬い巨樹の根に尻餅をつかされる。そして目前を墨色の袖が過ったかと思えば、赤い炎に背の君が呑まれた。

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