11-4決断

 寄合所にやって来たのは失敗だったかもしれない。

 移動、と言ったものの、川慈はきっちりと牢の鍵を掛けた。このまま蒸し焼きにされるのではと勘ぐってしまう。

 良い思い出のある場所ではなく、思考は暗くなる。加えて、ひっきりなしに頭に流れ込む幻視に鬱々とした。

 幻視――雄叫びを上げて布団を撲っていた自分は、まさしく気狂いだったろう。相手が物だったから良いものの。ぞっとして腕を抱く。

 寄合所に移動しながら美舟に確認したが、阿古とかすみは向き合っていたものの話をしている様子はなかった、襲撃はほんの数十秒間であったと言う。

 そしてこれも美舟に訊いたが、銃弾は確かに阿古の顔を、胸を、腹を撃ち抜いていたという。実際、こちらの頬に落ちた血雫は、絣模様の着物を汚していた。それでも未だ動き回るというのなら、どうやって討ち取れば良いのか。

 燈吾に相談したかった。草庵で手習いをしていた頃が懐かしい。一つ覚えれば一つ褒美をもらった。わからなければ仕置きを。褒美も仕置きも、どちらも同じで嬌声を上げさせるものだったが。

 夫は無事だろうか。具合が悪くなっているのではないか。燐はちゃんと世話をしてくれているか……


 ワカオクサマ、地下牢に思いがけない人物の声が響いた。傾いた人影が明かりも持たずに石段を下りてくる。


「二輔、無事だったの」

「へえ、なんとか」


 格子の前までやってくると、深々と平伏し、お暇乞いをしに参りました、と言う。


「里を出ようと思いましてね。〈白木の屋形〉が燃えちまいましたし、海でも見に行こうか考えておるんです。はあ、三十年越しになっちまいましたが」


 さばさばとした、憑き物が落ちたような口調だった。

 確かに、今ならばさして苦もなく里を抜けられるだろう。

 食事とお預かりしていたもんです、と二輔は格子の間から朴葉の包みと畳まれた布を差し入れてくる。

 その柔らかく、冷ややかな感触に悟る。燈吾が繕ってくれた、次の代に受け継ぐべき黒打掛。懐かしさに思わず抱き締めた。幾度となく手放しても戻ってくるそれ。


「お節介かと思いましたが、手入れしておきました。まあ、寧ほどの汚れや染みがあったわけじゃねえが、そちこち傷やら穴やらありましたんでかけつぎしときやしたさあ。お気付きなすっているか、衿ンところに、」


 寧、と名を耳にしてハッとする。あんたに訊きたいことがあると格子にしがみついた。


「……寧はどんなふうに亡くなっていたの? 寧がくだらせていた山姫は依り代が死んでどうなったの?」 

「寧は座敷牢で血を流して倒れておりました。戸は開いておりやしたが、山姫はさあ、お見かけしておりませんなあ。わっしにはわかりきりませんが、黒山へ帰られたんでしょうな」


 それはめくるめく黒沼の幻視や美舟の言と一致する。


「お前は他に妹姫や〈寒田の兄〉について知っていることはないの? どうすれば〈妹の力〉の呪いが解放されるのか」


 畢竟、そのためだけに戻ってきた。二輔ならば歴代の〈白木の屋形〉の巫女が受け継ぐべき知識を知っているのではないか。 


「いえ、わっしはなんも。その手のことは、芳野嫗がご存じでしょうて」


 どこかぞんざいな、投げやりな口調だった。もう捨てる里には興味がないというふうに。焦れて、つい声を荒げてしまう。


「あれは偽物、娘のなりすましよ、巫女としては役にも立たない、あいつが半端なわざと嫉妬で阿古を狂わせようとしたからっ」


 芳野嫗が本物であり、おしらの方の遺志を引き継いで安是と寒田の和合と目指していたなら、今頃、自分たちはなんの障害もなく夫婦になっていた──憤懣は収まらない。

 と、感情のまま言い放った途中で言葉を切る。

 老爺からの反応は乏しかった。暗く、二輔の表情までは読めない。老爺の影は硬直したまま、寧、という亡き妻の名を落とす。

 これからどうされるんで、としばらく後に発せられた問い掛けに、かすみは首を横に振った。

 取るべき道は大きく二つに別れる。だが、決めかねていた。


「……では、お達者で。互いに生きていたなら、いつか安是の外でお会いしやしょう」





「遅くなった」


 二輔が辞去してしばらく、川慈が石段を下りてきた。寄り合いが紛糾してな、と言い訳を添えて。


「おまえが阿古と結託して安是を騙しているのではないか、一部の古老が疑っている」 


 さもありなん。その見方はけっして間違っていなかったが。


「人質をとっておいてよく言う。私が欲しいのは燈吾だけ」

「ならば、寒田男を返すという約束の元、おまえは安是につく、これでいいな」


 横柄な物言いであったが、必死さが透けて見えた。


「嫗は阿古を討伐するには、オクダリの助力が必須だと主張してくれている。だが、他の古老らに命を救われたからほだされたのだと責められていてな」


 手付かずだった朴葉の包みを開きながら、川慈の話を聞き流す。だから、と川慈は続ける。


「何か手立てはあるか? 阿古に打ち勝つ」


 取り出した握り飯にかぶりついたまま、川慈を見上げる。


「方策を打ち出せば納得させられるやもしれん」


 今回は、握り飯をぶつけるという暴挙には出なかった。眼前には格子があり、以前ほどに食事情が豊かではなかったから。

 川慈は純粋に彼の芳野嫗・・・を信じているのだろう。だから、嫗がオクダリの協力が必要だと言えば、疑いなくかすのみ・・・・を頼りにする。


「私は阿古について何も知らない。むしろ、あんたたちの方が詳しいでしょうよ」


 嫌みであり、事実でもあった。自分が接していたのは、狂ってからの阿古のみ。全盛の彼女について、最も詳しいのは川慈と美舟だろう。

 だが、中年男の口は途端に重くなる。安是娘に光昇らされながらも、赤光を振り切れなかった男。そして、赤光が他の男のものになるのも許せず、挙句、安是娘に縋った。もっともこのやりとりは、川慈らだけでなく、里中で起きていたはずで、責め立てても追っつきゃしない。

 川慈は馬鹿正直に阿古について訥々と語る。男らを手玉に取っていたこと、女らの嫉妬を煽っていたこと、退屈しのぎに痴情のもつれを起こしていたこと。聞くほどに、阿古は歪んでおり、里男の情けなさを露呈する。


「……阿古が一番良かったのは、目と頭だ」


 思いがけない物言いに、男を見やった。


「人を見抜く目と、振り分ける頭を持っていた。あと、賭事が嫌いだった。どれだけ誘っても乗ってこなかった」


 そう、と呟く。意外ではあったが、有益ではない。しばらく黙ってから口を開く。 


「阿古を斃したとして、それからどうする気なの。家屋の半数が倒壊して、冬支度もできていない、隠れ里ゆえ、お上の施しのあてにできない」


 妹姫、〈寒田の兄〉の脅威は全く解決しておらず、安是と寒田は依然緊張状態にある。これは燈吾の身を危うくしかねないので、黙っていたが。

 格子越しの窶れた顔は、奇妙なものを見る目つきだった。そして苦笑する。


「……今、寄り合いの面子には、安是のこれからを考えようなんて者は一人もいない。悪夢から醒めようと必死だ」


 上に戻って意向を伝えると言い、川慈は階段を上っていった。


 ――半分くれるなら、背の君を呪いから解き放ってやろう――あたしなら、燈吾をもっと悦ばせられる――あたしの娘だろう、頭を使いよ――


 壮麗とすら呼べる赤光が立ち昇る。娘遊び唄が流れ、呪詛じみたそれは、女を殺せ殺せと訴えかける。だが、どうやって、阿古は急所に何発銃弾を撃ち込んでも死にゃしない。急き立てるような娘遊び唄。色とりどりの光が入り混じり、混沌とする。薄紫色は叶、満作色は駒、いや鬱金色なら美舟――違う。これは本物の炎、小色を燃やした――


 眠りは浅く、現実と幻視が乱れ入る。黒沼問い後、熟睡できたためしがなかった。

 今も格子の向こうに白い幽鬼が視える。

 幽鬼は物言いたげに、佇んでいた。無視して二度寝を決め込もうとして――気付く。


「姉さん?」


 以前にも燐は黒打掛を届けにやってきてくれた。だが、今は、燈吾の世話を頼んであり――ならば。かすみは飛び起きて、駆け寄った。


「……あたしは嫌だって言ったんだ、でも、どうしてもって。あんたに見せてこいと」


 格子の間から、燐は白い手布の包みを差し出してくる。手の平の半分もないそれ。

 受け取り、急いて白布を捲る。燐の憔悴した面がさらにかすみを焦らせる。幾重にも布は巻かれており、途中から黒い染みが浮き上がる。根元から切り取られた、三寸ほどの指。

 指の腹は、波打って引き攣っている。焔による火傷。間違いなく燈吾の右の小指──

 誰がやったのか、燐は口を割らなかった。話したなら、指だけではすまなくなると脅されたと言う。手当てはしたが、あんな恐ろしいもの見るのは、帯留めを貰ったとて二度とごめんだと姉娘は主張した。

 無論、燐は犯人ではない。かすみを阿古の共謀者と考え、疑いを持つ者。そんなのは安是者の大半だ。

 燐曰く、燈吾は頭痛、発熱、嘔吐があり、体調はかんばしくない。かすみは引き続きの看病を頼み、早々に帰らせた。

 時が経てば経つほど、阿古への恐怖に炙られた里人により、燈吾の身は危うくなる。


 ――もっと頭を使いよ。阿古の助言を真に受けるなんて莫迦らしいが。


 頭じゃ足りぬ、胸も、腹も、肩も――ならば。 



「何事だ!」 


 駆け下りてきた寄り合いの面々を、かすみは暗紫紅の光の海となった牢の中から迎え入れた。

 面々は牢の隅々を見回し、問うてくる。


「寒田男をどこに隠した!」

「ここにはいない。己が身のみで光ってみせただけ」


 どよめきが生まれる。安是の里では、恋をした女は光る――すなわち男に慕情を示すためのもの。一人でくゆらせるなどありえない。安是男らはそう信じてきたから。

 地下牢からはどれほど叫んでも声は届かない。かすみは彼らを呼び出すために、上への出入り口から光を漏れ出させた。

 美舟は一人黙し、渋い顔をしていた。


「阿古を滅する策がある」


 どよめきは大きくなり、収まり切らぬうちに、美舟が口を開いた。


「聞かせよ」


 傲岸不遜な調子で、すでに立場は〝芳野嫗〟へ戻っていた。


「条件が三つある。私を自由にすること。男手を集めること。燈吾の身を傷つけないこと」


 勝手な、信用する気か、阿古と結託するに違いないと、方々から声が上がるが、芳野嫗はそれらを無視した。


「……して、どうする」 


 顔を上げ、未だ暗紫紅の波濤立つ地下牢で、かすみは端的に告げた。


修羅すら落としを行う」

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