11-5修羅

 ――山の斜面に木で滑走路を組み、伐り出した木を滑らせて落とす。これを〝修羅すら〟と呼ぶ。


 安是と寒田の和合を夢見た燈吾が、草庵で教えてくれた原木の搬出方法だ。黒山の木を伐り出し、谷川へ落として運び、新都で商いをできないかと語っていた。

 黒山の木は銘木。実際に行うのであれば山師を招き、木を傷めない、危険の少ないやり方を学ぶ必要がある。


 だが、今回は。ただただ、伐り出したままの木を一斉に、一点に、落とせれば良い。阿古へ目掛けて。


 銃弾を急所に受けて死なない化け物の息の根を止める方法などわからない。ならば、木の勢いと重みで動きを封じ、刃か、炎か、水攻めかわからぬが、全てを試みるしかない。

 光を鎮めて寄合所へ上がれば、見張り番以外は寝静まっていた。皆、熟睡しているわけではなかろうが、疲れ果てているのだろう。

 広間の一角に間仕切りを立てて、寄り合いの面々が固まる。彼らに阿古討伐の策として『修羅落とし』を説明したが、当然、反対意見が噴出した。

 うまくいくわけがない、不確か過ぎる、何よりかすのみの立案が気に入らない。そんな思いが透けて見える。

 木が雪崩れ落ちる先にどうやって阿古を留め置くのか――それは予想していた問いで、端的に答えた。


「餌を撒く」


 阿古の報復対象である元娘で、生存している者。少なくともそれは美舟というあてがある。そして、阿古はかすみにも執着している。

 もちろん、餌となる者は雪崩れ落ちる木に巻き込まれる危険がある。餌としてかすみ自身を挙げれば、彼らの態度は多少軟化したが、


「待て、大量の木が必要となれば、どこから調達するのだ」

「黒山から伐り出す」


 寄り合いはさらに紛糾した。

 不遜な、黒山を荒らすというのか、さらに山姫を怒らせてどうする、いい気になるなかすのみ風情が――方々から感情を孕んだ声があがる。

 彼らに山姫に対する正しい知識はない。語ったところで理解は得られないだろう。

 もちろん、折り込み済みであり、お互い様だ。自分は自分で、ただ燈吾を奪い返し、解き放ちたいだけだから。里を救おうなどとは毛の一筋ほどにもない。ただの手段。だから構わない。

 取るべき道は大きく二つに別れる。

 現オクダリサマであろう阿古を懐柔して寒田へ行くか、阿古を殺して自分自身がオクダリサマとなり寒田へ行くか。

 どちらにしても阿古と接触せねばならず、まず安是人を動かすには後者のていをとるしかない。

 だが――この中にいるかもしれないのだ。燈吾の指を切り落とした、あるいは命じた輩が。

 いかに手段といえど、そんな者らと手を組むなど、吐き戻す思いだったが堪えた。


「地揺れと雨で地盤が緩んでいる。かなり危険な作業なのではないか」


 実務というより、空気を読んでの発言だったのだろう。小心な中年男らしく。感情論に逸れそうな話し合いを川慈が戻す。


「……わしが手伝って進ぜよう」


 突如響いた嗄れた声と共に、間仕切りの向こうの闇に細い姿が浮き上がる。

 二輔よりももっと年嵩の、里で最高齢の部類に入る老人だった。ただし、寄り合いの顔ぶれにはなく、里でも下位の扱いにある。


「身内は起きておらんのか、じいさまが惚けておるぞ」

「修羅落としの経験があっての」


 古老の一人の言葉を遮り、老人は続けた。

 老人は、若い頃、他山へ出稼ぎに出ていたという。

 安是は隠れ里。女は特にだが、男も同様に里抜けは禁じられている。だが、男は宮市に下りて、物資を購入、運搬する役割があるため、抜ける機会は得やすい。


 ――おが病で、薬代が必要でのお。いかんとは知りつつ、宮市で仕事を得てなあ――老人は言う。


「里の禁を破り、罰が下るのではと怯えておった。なれど、オクダリサマのお役に立てるなら、罪も清められようて」


 オクダリサマ、と老人が進み出る。老人の乾いた手が手を掴み、額へ頬へと擦り寄せられる。

 ――オクダリサマ、オクダリサマ、オクダリサマ。

 〈白木の屋形〉で行なっていた挨拶伺いとは色味が違う声。あの時の里人は皆、オクダリサマについて半信半疑だった。だが、老人は心底求めている。安是の老人が、かすのみの赦しを。

 咄嗟、老人の手を振り払った。

 かつて〈白木の屋形〉で宴を催して男衆からかしずかれた昂揚はない。血の気が引く心地であり、嫌悪感が立ち昇る。

 振り払うは拒絶、再び風向きが変わってしまう。理解はしていた、里で協力者は容易に得られるものではない、なれど――


「今一度、寄り合いにて話し合う。お前は下へ戻っておれ」


 芳野嫗の面を被った美舟の言葉が終わらぬうちに地下牢へと向かう。助け船を出された屈辱を噛み締め、眠っているようで向けられている里人らの視線と感情を背に受けながら。




 生木が倒れる時、軋むような、呻くような音がする。倒れ伏した衝撃で、土煙が舞い、木っ端や枝葉が飛んだ。その鋭い断末魔が頬をかすめども、退くことはできない。

 寄り合いの翌朝より、修羅落としの作業が始まった。

 正直なところ、もっと待たされると思っていたが、予想外に決定は速かった。

 もちろん、いくつか条件が盛り込まれた。木の伐り出しにはかすみが立ち会うこと、かすみ自身が餌となること。

 黒山は山姫が守護する聖地、木を伐るは恐ろしい、ゆえにあくまで命令であるという体裁を整え、矛先はかすみに向ける。

 おかげで、伐り倒される木々を延々と眺め続けている。白灰に濁った空の下、黒打掛の袖で傷ついた頬を拭う。血が付いたどうかは黒地ゆえにわからなかった。

 陽の傾きがはっきりしないものの、午の三時さんとき過ぎぐらいだろうかとあたりをつける。伐り倒された木は、昨夜名乗りを上げた老人の差配によって、急勾配の山肌に組み上げられる。

 重要なのは丁寧さでも頑丈さでもなく、速さだ。再び、阿古が現れる前に完成させなくてはならない。


「倒れるぞー!」


 声が響くと同時に袖を引かれ、一歩、二歩と退く。身が浮き上がるほどの揺れが起きた。

 近付くと危ねえ、と袖を引いた安是男は言う。かすみは軽く頷くに止めた。

 黒山の裾野、山へと入る道切近く。以前、燈吾との逢瀬に山へ入ろうとした際、芳野嫗に声を掛けられて足止めを食った場所だった。そこに七、八人の安是男たちが立ち働いている。

 認めるのはどうも奇妙な心地だったが、安是男らは仕事を与えれば、骨惜しみなく動いた。

 そして、自分に対しては過度な嫌悪も無闇な媚びへつらいもない。力を要する仕事のため、比較的若く頑健な者らが集まり、阿古を知らない世代が多いせいもあろう。正直なところ、印象は悪くない。

 だが、とやはり思う。この中に燈吾の指を切った者がいるかもしれない。

 彼らは黒山の祟りを恐れながら、かすみを只娘のように扱う。老人らは、かすのみと疎み蔑んでいた一方、オクダリサマオクダリサマと赦しを乞う。

 その矛盾に、裏腹に、乖離に、目眩がした。

 燈吾は安是男を何人も殺した、安是人にしてみれば絶好の報復の機会だ。自分は真仁を死なせた、駒か叶に今この場で刺されてもおかしくない。


 たすけて、かあさんっ――! 


 大火を起こしたという都にまで轟かせ、見せつけ、燃やしてしまえ。その赤光を以てして――果たして、その犠牲は見合うものだったか。

 遥野郷の山々が崩れ落ちる、白蛭が這う、女の部分を抉られる。ここは女捨山、女の怨念が渦巻く、狂い山。光を垂れ流し男を酔わせ、惑わせ、狂わせてきた。そして女が行き着く先は、オクルイサマ――十年前の阿古、自分が黒沼に落とした。髪は黒くもなく白くもなく、赤黒毛、ならばそれは――

 咆吼を上げていた。叫びのような、嘔吐するような、獣の呻りのような、尋常ではないそれ。

 土石流のごとき勢いで流れ込む黒沼の記憶と自身のそれが混ざり合う。身体の隅々に届き、足先に、指先に、髪の先にまで震えが走る、来るな、来るな、来るなあ、あああああ――!


「……オクダリ?」


 相変わらずの目付け役である川慈に肩を揺さぶられ、我に返った。

 作業中の安是男らも手を止めてこちらを見ていた。なんでもないと返そうとして口元から、だらしなく涎が垂れていたのに気付かされた。

 拭いながら、治りきらない足の怪我を庇いつつも早足で往く。

 オクダリ、と川慈は追いかけてくる。オクダリ、オクダリ、オクダリサマ――


「うるさい、オクダリと呼ぶな、今後一切!」


 どうして、今更、自分に頼れるのか、赦しを乞えるのか、普通に接することができるのか。己自身、なぜ、安是人と馴れ合っているのか。一番欲しいものを手に入れるため、なれど。


「なら、なんと呼べばいい」

「あんたたちはさんざん呼んでいたでしょう」

 ――かすのみ、かすのみと嘲って。


 吐き捨てながら、足を止めない。どこへ行くとの問い掛けに、手水、とだけ答えた。




 修羅落としの準備は着々と進んでいた。明日の夕暮れには滑走路が組み上がる。

 作業場である黒山の裾では赤光は見当たらなかったが、寄合所からは幾度か遠目に確認されたという。被害はなかったものの、女子どもは不安を口にした。

 夕暮れ、寄合所に戻り、かすみは自ら地下牢へと下りた。居心地は悪いが、気兼ねが入らず、密談には都合が良い。


 夜半、燐が訪れた。薬指、中指、親指と日ごとに指が追加されるのではとおののいたが、彼女は手ぶらだった。

 燈吾の具合は良くないらしい。小指を喪った手はともかく、頭痛がひどく、食べさせても戻してしまう。

 あんたの男は狂ってると燐は言う。安是にいるため、妹姫の呪いが強くなっているのかもしれなかった。

 詳しく話を聞きたかったが、燐は分配制となった食べ物や薬を取りに来たついでに寄っただけで、燈吾の身の安全を考えれば、留め置くべきではなかった。


 一人きりになった地下牢で膝を抱える。燭はあれど、薄暗い。


 燈吾と離れてしまったことに猛烈な後悔を覚えていた。

 かつて、彼の人に繕ってもらった黒打掛を胸に抱き締める――夢も現も君とあらん。歌の通りなら、どんなに良かったか。

 ふいに顔を埋めた滑らかな絹の風合いに硬さを感じた。奇妙に思い、黒打掛を指先で辿る。その衿元、ちょうど項の箇所に、芯のようなものが入っている――

 山裾で拾っていた、刃物代わりの鋭い石で縫い目をほどく。歯も使って、切り開けば、小さく折り畳まれた紙片が出てきた。

 燐が置いていった明かりの元で広げれば、閨の手習いで見覚えた燈吾の文字が書かれていた。

 おおらかな、躍るような、懐かしい筆跡。かすかに燈吾の匂いが立ち昇り、暗紫紅の炎が沸き立つ。

 逸る気持ちで読めば、かすみに向けた情愛といたわりに溢れ、少しのからかいが織り込まれた文が綴られていた。自分を驚かせるために仕込んでいたのだろう。明け方前の黒沼、黒打掛を繕っていた横顔が思い起こされた。

 指先で文字を辿りながら読み進め、最後の一文まで読み尽くす。そうしてもう一度、二度、繰り返した。

 さらに三度、四度、見直す。最後の奇妙な一文がどうしても理解に至らず――


 ――妹の力、とくべからず候


 空の見えぬ地下牢で、かすみはなれど天狼星の方角を見上げた。

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