11-2女捨

 羽虫のような音を上げて、顔ごと蛭は炙られる。

 照り映え、木の葉型に肥えた身は、火を避けようともせず、わらわらと寄ってきた。体液や吸われた血が蒸発するジゅ、ジゅ、ジっ、ジゅジっ、という音が発せられ総毛立つ。一方の美舟は固く目を閉じていたものの、泣き言はもちろん、呻きすら漏らさなかった。忌々しくも、らしくもある。

 全ての蛭を燃やし、清潔な手拭いを濡らして火傷を冷やし、血止め葉と軟膏を塗る。ついでに着替えさせて、手当てまで終えた頃には、夜更けていた。

 空気を入れ替えるため、戸を開け放つ。傾いだ家で戸を開けるのは苦労だったが、最終的には怪我をしていない方の足で蹴り開けた。家屋が潰れようが、構うものかと。阿古を警戒しなくてはならないのはわかっていたが、蛭と肌を焼いた匂いに耐え切れない。元嫗――美舟も止めなかった。

 戸外に向かって、深呼吸し、空を見上げる。雲に覆われ、天狼星は見えない。嘆息一つ吐いて尋ねる。


「阿古はいつ里を襲ったの」


 正しくは安是の元娘たちを、だが。


「三日……いや、もう四日前になるか。早朝に地揺れが起きた日の夜半よ。里の半分の女は寄合所に避難しておった。動ける男衆は地揺れの対応に追われ、男手がなかった」

 

 男がいたところで、骸の数が増えただけだろうが、茶々は入れなかった。

 地揺れ……

 自分が〈寒田の兄〉らに襲われ、助けを、救いを求めた次の瞬間に鳴り響いた奇妙な響きが耳に谺する。是、是、是、是――

 美舟は、敷布を取り替えた布団に横たわったまま、娘遊び唄、と呟いた。


「揺れが続いておったゆえ、火を焚くこともできず、暗闇の中で身を寄せ合っておった。その中で、誰がが歌い出した。次第に大きくなる唱和の中、あの女の唄声が混ざった」


 唄声。思いがけない言葉に美舟を見やる。


「聞き違えようがない。次には赤光が燃え上がり、そちこちから悲鳴が上がった」


 自分が覚えている限り、阿古が意味ある言葉を発したことはない。呻り、雄叫び、哄笑のみ。

 そして阿古は暗闇の中から、私刑に加担した女を選び出したというのか。それは従来かすみの知る狂女の行動とは異にする。


 是、是、是、是……山々の鳴動、燈吾を黒水へと沈めた阿古の微笑。〝たすけて、かあさんっ――〟己の嘆願。自分は何をしたのか、何に縋ってしまったのか。


 と、口を開きかけた自分を、しわがれた腕が制す。

 美舟は開け放った戸から外を見やっていた。抉れた遥野郷の黒い山並みに、赤光が灯っている。

 立ち上がった美舟は相変わらず外見にそぐわず、素早い動きを見せる。かと思いきや、均衡を崩し、膝をつく。失血のせいか、もしか、阿古に襲われた傷が他にもあるのか。以前の喰い痕もあろう。荒く息を吐くが、なれど立ち上がり、納戸を開け、何やら長細い道具を取り出す。

 銃だ。男衆が猟に使用する、かすみが持つ短筒よりずっと銃身が長いそれ。


「新式の施条銃よ。これで仕留めてくれるわ!」


 猛り立ち、構えようとするが、枯れ木の腕で支えきれるものではない。だが、彼女は諦めない。


「かすのみ、肩を貸せ!」


 言うが早いが、かすみを前面に押し出し屈ませ、肩に銃身を乗せる。この至近距離で発射されたら耳が壊れるのではないか。だが、その制止が許される雰囲気ではなかった。

 嫗の正体は美舟であり、憎しみが和らぐはずなく、増えはすれど、減りはせぬ。協力関係にあるわけではない。だが、阿古を仕留められるのなら、その機会を逸してはならない。自分にとっても、美舟にとっても。

 なればこそ。かすみは、ゆっくりと口を開いた。この瞬間、嘘は生まれまいと信じて。


「前に、黒沼は黒山の心意を表すと言ったわね。すなわち山姫の御心を、と」

 ――山姫は、実在するの?


 黙り込む美舟に、あんたの見解が聞きたいと告げる。美舟は莫迦ではない。彼女の推論が聞きたかった。 


「……山には力が蓄えられている。水の流れ、土の育み、生きとし生けるものの生命力、骸ですら糧となる。黒山の恩恵にあずかる我らも例外ではない。山姫は溜めに溜め込んだ力を放出する排泄口のようなものと考える。排泄口として、ある程度山の力を使える女のことよ」


 我が祖母、おしらの方様から聞いたのだが、と前置きして。


「そもそも、黒山は女捨山だった」

「女捨て……?」

「障りのある女よ。知恵足らず、石女、片輪、色狂い。元々が捨てられた狂女の里であった」

 ――口が裂けても言えんがな。美舟は自嘲気味に呟く。


 頭の鈍痛と共に幻がよぎる。不自由な女たちは、傷ついた若武者らを迎え入れる。女らは彼らを癒やし、もてなし、離したがらなかった――恋をしたから。

 けれど、この鄙の里でどうして都男らが満足しよう。数年も経てば、どれだけ尽くしても帰りたがろう。だから、求めた、希った、縋ったのだ、光に。

 それは安是を根底からひっくり返す告白だった。赤光に狙いをつけ、身動きできない姿勢で、それでも受け容れざるを得ない。


 ――我も彼も、狂女の子。


 くそ、と忌々しげな声音が漏れる。


「目が腫れて、よく見えん」

「栗の木の方向へ傾けて……止めて。上へ、垂直、このまま」


 かすみの言う通り、美舟は狙いをずらす。相容れない二人、信頼関係など皆無。それでも阿古を滅するという意気と憎しみだけは、信じられる。

 結果的にかすみが前に出た配置は最適と言えた。阿古は美舟の元へ復讐しにくる。一方で、阿古はなにゆえか、かすみを守ろうとする。

 阿古を本当に殺して良いか、自問自答する――良い。勘といえばそれまでだが、肌身で感じる恐怖に従っておきたかった。一度は手札にと引いたが、扱え切れるものではない。前借りはお互い様、踏み倒す。


 〝望むなら、斬り伏してやろう〟

 〝老女であろうが、里であろうが、母であろうが、お前の幸いを邪魔立てする一切を、俺が〟

 

 ――燈吾の手を煩わせるまでもなく。

 

 そして考える。阿古を殺せば、山姫――山の力はどこへ行くか。阿古と寧は一つ座敷牢に閉じ込められ、寧は事故か阿古の手によってかわからねど死に、阿古はオクルイと化した。つまり、手近な受け皿へと下った。

 ならば、次に下るは……無論。


「全弾撃ち切る」


 山姫が下ったならば、燈吾を解き放つ力を得られる。狂い切るその前に、妹姫を見つけ出せたなら。


「できる限り引きつけて。阿古は私に手を出さない。あんたが怖がりさえしなけりゃ、近付けて、確実に当てて」

「阿古を下僕にできたわけではないのだな」

「狂女にしもべの意味は通じない」


 違いない、と美舟が淡々と呟き、会話はそこで打ち切られた。 

 背の高い木の多くは薙ぎ倒されていたが、残った木々の隙間から赤い炎が手を伸ばすがごとく燃え上がる。

 そして炎は翔んだ。砕いた赤い水晶を撒き散らす火球となって。〈寒田の兄〉の人あらざる力を見知っているかすみですら、信じがたい跳力と神速で、木から木、倒壊した家屋を伝い跳ぶ。

 みるみるうちに迫り、拡大され、そら恐ろしいほどに整った顔がつぶさに見えた。


「かすのみ、食い縛れぇ!」


 銃声が鳴り響いたというより、爆発の音量だった。そして阿古を真正面から見据える。

 胸に、腹に、肩に、そして顔に銃弾が撃ち込まれる。妄想かもしれないが、阿古は銃口目がけて飛び込んで来たようにも感じられた。

 この至近距離から撃たれ、なれど阿古は斃れない。

 髪、くるぶし届きて長く、瞳、青味帯びて輝き、肌、雪よりなお純白。だが白かった髪は、なぜか瑞々しく艶やかな黒に染まっていた。

 その黒髪を夜風に梳き流し、赤光靡かせ、撃たれた箇所から血を流し、なれど一向に構わないふうに歩いてくる。湯上がりに似た風情で、何の気なしに。実際、女は笑っていた。にたりのたりという狂女の常の表情ではなく、ごくごく普通の笑み。

 悪い夢を見ている気がした。阿古はやってくる。顔を抉られたまま。剥がれた皮膚と肉片ぶらさげて。悪夢は続く。美舟が何か叫んでいるが、あまりに近かった射撃音に耳が聞こえなくなっていた。それゆえ、その声も聴こえるはずがなかったのだが。


「……かすみ。逢えて嬉しいよ」


 想像よりもわずかに低く、まろい声音が頬を撫でた。

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