十一、山姫

11-1業火

「ちがう!」


 美舟は死んだ、嫗が嘘を吐くはずない、母殺しなんてあるはずない、間違っている――


「うるさい!」


 川慈の叫びを、かすみは一喝する。


「ならばなぜ山姫下りの儀を執り行わない、巫女の業を受け継ぐ前に母を殺したからでしょう、都合良く〈白木の屋形〉を使うために、阿古を私刑にかけたと同じく!」


 一息に言い切り、大きく肩で息を吐いた。 

 暗紫紅の炎は収まっていたが、怒りの気炎は宥められない。だが、叫びは多少気を落ち着かせた。脱ぎ散らした着物を纏う。

 私刑、と呟きが漏れた。かまととぶっているのか、本当に知らなかったのか、考えが及ばないほどのお目出度い頭なのか。


「私は黒沼に繋がる池に落ち、黒沼問いから戻った。あれは、黒山で起きるすべてを映し出すよろずの鏡」


 果たして川慈がどれほど理解できたか。意味もわからず叱られた子の表情で、なれど反論を試みようと口を半開きにしている。腹たちまぎれに怒鳴りつけようとするが、 


「……よい、川慈。よいのだ。そなた、寄合所に戻れ。皆、不安に陥っておろう、慰めてきておくれ」


 この期に及んで女は川慈を甘やかす。苛立ちに声を荒げる寸前。半身を起こしかけた老女――に見える女の顔から、ぽとりと何かが落ちた。女たちに浮かび上がっていた死斑が血豆のような赤黒い粒となっていた。

 いや――それは、磨かれた板間の上で蠢く。皺深い面に蔓延っているのは。


「心配せずとも備えはある。諸々片付けてから、儂も参るゆえ」


 ひ、と嫗の顔の震えるものを見て、引き攣ったように喉の奥が鳴る。

 ひるだ。体中に貼り付いた白蛭が血を吸い、その血色を透かすまでに肥えているのだ。それらを顔に首筋に枯れ木じみた手足に何十匹と貼り付けたまま……女は鬱金色の光を降り注がせるように、男に微笑んでみせた。

 


「阿古のわざ……」


 川慈が振り返りつつも出て行き、女二人となり、かすみはぞっとして呟いた。

 筵の下の骸を含め、阿古の報復以外ありえない。女は蠢く蛭と共に暗い眼差しを向けてきた。怯みそうになるも、睨め付ける。


「私は黒沼で視た。阿古は自分を私刑・・にかけた娘ら・・に復讐している」

 

 〈白木の屋形〉で阿古を暴行していたかつての娘らと筵の下に横たわっていた女らは合致する。黒沼で視た万華鏡じみた幻視はただの夢ではない。


「……黒沼問いには意味があったということか。お袋様はそこまで教えてくれなんだ。そのいとまもなかったゆえ」


 嘆息と共に出た言葉は、かすみの言を肯定するものだった。拍子抜けするほど、あっさりと。

 信じると信じまいと好きにするが良いが、と前置きし、


「儂はお袋様を殺してはおらん。定期的に〈白木の屋形〉を訪れていたお袋様は、阿古に噛み殺された」


 嫗――いや、美舟は大儀そうに框の上で居住まいを正してこちらに向き直った。所作は端正なれど、蛭に吸い付かれ、血の滲んだ包帯を至る所に巻いているさまは、滑稽さと凄みが同居していた。


「……お袋様のむごたらしい骸を弔うには燃やすしかなかった。しかし、里を治めるには、〈白木の屋形〉の巫女には生きていてもらわねばならん。一方で儂の髪は恐怖で白く染まり、とても元の娘には戻れなんだ。だが、幸い、お袋様とは面差しが似ていたゆえ、必要と適性に従ったまでよ」

 ――騙ったなど、仰々しいものではない。


 母親の遺骸を自らに仕立て上げ、美舟の名を捨て、芳野嫗に成り代わる。隠し通し、演じ続け、守り抜いたニ十年。

 母親を燃やす娘の幻燈が頭に流れ込んでくる。ただ一人、黒ヒ油を撒き散らし、暗い炎を燃え上がらせ、同時に己の埋葬をする。確かに仰々しくすれば堪え切れられるものではなかろう。業火に焼かれながら生きる、そんな狂気の沙汰。だからと言って――かすみは問いを続ける。


「あんたたちは〈白木の屋形〉で阿古を暴行した。そして茅屋の牢に閉じ込めた。阿古をオクルイにするためね」


 阿古を殺せば、里男の仇になる。仇にならず、里男を取り戻す、〈白木の屋形〉の巫女ならではの冴えた方法。


「だけど、すでに寧がいたはずよ」

「……〈白木の屋形〉最後の〝オクルイサマ〟か」

「寧はどうなったの。阿古は何をしたの。何が起きたの!」


 急いた心地で尋ねるが、美舟は、わからぬと漏らすのみ。


「里娘らと共に儂は一度〈白木の屋形〉を離れた。興奮した同輩を落ち着かせる必要があったからな。

 戻った時には、座敷牢には事切れた〝オクルイサマ〟のみ。牢を出ようとしたか、阿古に怯えたかで、暴れて頭を打ち付けたらしい。血を流して倒れておった。

 悲鳴を聞きつけ、屋形の庭へ出れば、青鈍に瞳を輝かせ、髪を振り乱し、気狂いじみた唸りをあげる阿古にお袋様が襲われておった。儂も殺されると思うたが、阿古は屋形の屋根に飛び乗り、塀を越え、姿を消した」

「その時には、阿古は山姫を下らせていた――オクダリとなっていた……?」


 ――わからぬ。だが、人あらざる何かだったのは疑いない。


 つまり、依り代たる寧が死に、山姫は間近にいた阿古を依り代にしたということか。

 阿古はその一年後、孕み腹を抱えて里へ戻り、子を産んだ。

 安是の悪夢を断つには、あるいは〈白木の屋形〉に幽閉するには、この時を逃してはならなかったはず。だが、安是人らはなんの手立ても取らなかった。


 なぜか――それは容易に想像できた。


 誰も彼も己の罪を直視したくなかったから。男は阿古への執着を、女は阿古への暴虐を、古老は見て見ぬふりをした罪過を。各々の胸に埋火として、阿古は放置し、生まれながらに彼らの罪をちらつかせるその娘には、辛辣に当たるか、無視を決め込んだ。

 十八年に亘る苦渋のからくりに理解が及ぶ。もちろん、他にも要因はあろう。例えば己の気質が小色のようであったら、また違っていたかもしれない。なれど……

 一瞬、天井を見上げた。屋根が傾ぎ、煙逃がしが塞がれ、星は見えない。たまらなく燈吾に会いたくなるが、頭を振るって気弱を追い出す。

 そうして、八歳の自分は、阿古を黒沼へと突き落とした。狂女さえいなくなれば、里人に優しくされると愚かにも信じて。なれど、それは。


「……黒沼問い」


 図らずも、かすみ自身の手により、黒沼問いは行われ、阿古は生還した。

 そうして今になり、妹姫、〈寒田の兄〉が現れ、阿古も舞い戻った。一同に会す、これに意味は、意図は、たくらみはあるのか。

 芳野嫗を演じ続けてきた美舟は、妹姫、〈寒田の兄〉が実際に現れ、狼狽しただろう。

 寒田との和合は芳野嫗の死により頓挫し、最後のオクダリサマであった寧も死亡、山姫をくだらせたであろう阿古は行方知れず。

 美舟が妹姫の覚醒に備え、阿古を〈白木の屋形〉に留め置かなかったのは彼女の失策だ。だが、起きるかどうかわからぬ事態のために、里の余剰は割けない。恋の、そして母の仇である憎き女を〈白木の屋形〉でもてなす気になれなかったのも心情的に理解はできる。寒田への融通が妹姫覚醒の抑止になるとの見方もあったろう。結果的には、安是長と寒田の補佐役の着服により、融通は滞り、妹姫は目覚めてしまった。さらには悪夢の娘は寒田男と通じ、寒田の血を引き入れようとした。

 ともあれ、美舟は巫女の役割として、慣例に従い、一番光る娘であるかすのみを山姫の依り代としようとした。〝もてなし〟とは、巫女らの隠語か。

 なれど、巫女としての業を受け継ぐ前に先代を亡くした美舟にはもてなしの方法がわからない。だから、憎い女の娘であるかすのみに当たり散らした──などと、承服できるわけがなかった。


「死にさらえ!」


 美舟の胸元を掴み上げ、その軽さに怯んだ。業火に焼かれ続け、女に残ったものは少ない。骨と皮と、光と恋。

 だが、それすら手放そうというのか、美舟は蛭にたかられながら、かすみに締め上げられながら、どこか安らいだ表情をしていた。

 洗いざらい告白し、あとは全部丸投げしようという算段か。自分を呼び出した目的は遺言のつもりか。冗談ではなかった。

 失血が多すぎる、遅かれ早かれ美舟は気を失う。


「……阿古を私刑にかけたこと、儂は後悔しておらん。


 嫗として里を率いる中で、阿古が油屋を介して安是娘を売り渡していたことがわかった。遥野郷では里娘の一人二人が消えたとて、山に呼ばわれたと信じ込む。まったく頭の回る女よ。黒ヒ油を調合し、人心惑わせる薬香も売り捌いておったらしい……」


 薄ら笑みを浮かべてぶつぶつとひとりごちる女を、奥の間に敷いてあった布団に投げ倒し炊事場へと向かう。

 塩を見つけ出して美舟に吸い付く蛭にたっぷりまぶすが効果はない。もうためした、という呆れたような声音が美舟から漏れる。

 舌打ちをして、土間に積んであった薪から太く長い一本を選び出す。箪笥を漁り、取り出した手拭いを歯で引き裂き、薪の先端に巻き付けて、黒ヒ油を垂らす。


「死に逃げできるなんぞ思うな。美舟、あんたには業火に焼かれながら生き永らえてもらう!」


 そうして出来上がった松明の赤く揺らめく焔を美舟の顔に寄せた。

 芳野嫗のふりをしてきた美舟を、芳野嫗と同じく恨み、嫌悪し、呪っている。だが、生肌を焼きたいと思っていたかといえば、必ずしもそうでなはなかった。なれど、手加減するつもりはなかった。

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