8-4守神

 歩くごとに赤光が揺らぎ、流星のごとく火花が爆ぜ、長い白髪は熱雲といわんばかり。

 慕情の光に熱は無い。安是者ならば、見掛け通りに熱いとは思わないはず。けれど、里人らは奇襲も、迎え撃つことも、防壁を築くこともなく、ただ仰ぎ見ていた。半里離れていても見えていただろうにも関わらず。

 駒の真仁を想った黄光とて、神々しさが感じられた。けれど、この赤光とは比べるべくもない。

 固まってこちらを見ていた人々が自然に割れて道ができる。神が迎え入れられるかのように。

 数時間ぶりの安是。焦げた匂いが漂っているが、焼けたのは〈白木の屋形〉だけで、飛び火による延焼は無いようだったが。


「どういう……どういうつもりだ、かすのみ!」


 たった一人、怒号を上げ、詰め寄ってくる者が在る。

 その気丈さ、猛々しさ、荒々しさに、奇妙なことだが、かすみは内心笑んだ。目当ての人物が真っ直ぐに自分たち・・・・へと向かってくるのだから。

 芳野嫗の声の威勢は良かったが、足取りは速くない。喰い千切られた首の根元の影響だろう、身体はかしぎ、杖に縋っている。川慈の家で手斧を掲げ疾駆した夜叉の面影はない。

 嫗は、怒りを滾らせ、憎しみを湛え、気焔を吐く。だが、それに身体が追いついていない。荒い呼吸、落ち窪んだ目、震える足腰。


「二十年……二十年、全てを捨て里の安寧を守り抜いてきた。その労を燃やし尽くすか!」


 言葉の意味を咀嚼する前に、無骨な杖は振り下ろされる。避けられない間合いではなかったが、寸前。


「安是の奇習か? 里帰りした者を打つとは」


 たった二本の指先で。左脇からひょいと半身を寄せた燈吾は片手を掲げ、いとも軽く杖の先を押し止めていた。燈吾の影に沈み、嫗の表情はますます認めづらくはなったが、白目が剝かれるのが見て取れる。それは夫にだけでなく、背後で影を膨らませた赤光に向けても。

 繰り返すが、光は熱を孕んでいるわけではない。けれど、嫗の額に油汗が滲む。


「……物の怪どもを引き連れ、何を企む」

「控えなさい、阿古」


 強くは無い、けれどよく通る声を意識して命じる・・・

 赤光そのものが巨大な化け物じみて揺らぎ、一歩退いた。取り巻く里人らがざわめく。

 髪、くるぶし届きて長く、瞳、青味帯びて輝き、肌、雪よりなお純白。腰で幾重にも重ねられたぼろの縞の着物の異様な風体。赤い災厄。淫蕩の誘い火。安是の悪夢。それらを体現した女。

 今の里には、この奇矯な女の素性を知らぬ若人も多い。だが攻め撃とうとしないのは本能的に恐れをなしているからか。まったくもって、それは賢い。対して己がしでかそうとしていることは莫迦げていた。誰より、何より、強い手札。同時にどんな災厄よりも禍々しい。


「そなたに従うというのか」


 嫗の驚きを隠しきれない問い掛けに頷く。

 背後で微かに笑う気配がした。茶番劇――振り仰いで確かめたい欲求を抑え、嫗を見据える。


「わたしは指名されたオクダリ。そのもてなしが功を奏したまで」

「そんなはずなかろう! かすのみが〈寒田の兄〉を侍らせ、狂女オクルイを従え、安是を滅ぼすか」


 そう。今のかすみの左隣に燈吾、背後には赤光くゆらす阿古がいた。この奇妙奇天烈、奇々怪々、百鬼夜行にも劣らぬ行軍が、山路から里まで保ったのは、かすみ自身信じがたかったが。成し得たならば、次の一歩を踏み出すまで。

 一歩、芳野嫗に近付く。嫗は反発するように後じさる。一歩進む、一歩退く。半歩進む、半歩退く。


 嫗は怯えている。誰に。何に。どうして――?


 ――芳野嫗。縋るような声音はよく知ったもので、苛立ちを覚える。忍び込んだ音に、ちらりと横目で見やれば、群衆の中、壮年の顔に子どもの表情を浮かべた川慈がいた。


「そなたは寄るな。光にあてられる・・・・・ぞ!」


 抑えているが、鋭い声音が誰に向けられたものなのかは当人同士がよくわかっているのだろう。それに勘付きたくも、関わりたくもなかったが。利用できるものはさせてもらう。

 嫗の喰い千切られたほうの肩へ手を伸ばし、一気に距離を詰めた。 


「人払いをして。話がしたい」

 ――川慈に聞かれたくないのなら。


 その一言とともに、布があてがわれた右肩に触れさせた手に力を込めた。乾いた肌とは裏腹の湿った感触、どす黒い染み、抉られた肉。絶望的に見開かれたまなこは痛みによるものだけではないだろう。


「……何を話すという」


 鋭くも澱んだ眼差し。この安是の守護たる老婆は、未だに自分を〝かすのみ〟扱いしていた。侮蔑、疎み、見下し。触れられるのも汚らわしいとばかりに身を捩る。十八年あるいはもっと前から醸成されていた嫌悪は、幾重にも感情を上塗りされ、そうやすやすと染み抜きできない。かすみ自身が阿古に抱く感情とよく似ているだろう。オクダリサマと奉ろうが、嫗は自分を人として扱わない。

 だが、それでも川慈の家で狂女と相対した時は、かすみを物の数に入れ、頼みにした。なりふり構わぬほど、守りたい・・・・というのなら。

 嫗を頼りにするのは、自分にとっても屈辱である。今まで数えた仕置き、打擲、暴言を決して忘れない。目的を果たした後ならば、この世で最も無様に死にさらえと思う。しかれど、今は。


「……燈吾を、救いたい」


 いつかと同じ台詞だが、今度は呟きではなく、暗紫紅の光を胸に灯し、意志として明確に伝える。嫗の目に映る己を覗き込み、告げた。背後の禍々しい赤光をも映し出すまなこは、白地に赤い血の亀裂を走らせていた。


「二人で話をさせて」

 ――女として。


 加えて落とした言葉は賭ではあったが、勝算のない博打ならば挑まない。この申し出を断れる女は安是にはいまいと、そう踏んでいた。

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