5-4隠匿

 ――他の誰ぞに光れば、殺してやる


 黒沼での台詞は睦言でも戯言でも妄言でもなかった。ただ結果として、物言わぬ体となって、ある。

 真仁が隠されていたのは、寝所に近い納戸だった。かすみをおとなう真仁と燈吾が鉢合わせたのか、かすみが夜伽を命じたから真仁を付け狙ったか。

 覚悟していたとはいえ、亡骸を目の当たりにして血の気が引く。

 真仁という個人の生死に思うところはない。ほとんど接点のない相手であり、生きていようが、死んでいようが構わない。しかれど、この若衆頭は二人の里娘に光を昇らせられている。駒と叶。二人が、事実を知ったなら。


 ……もしも、燈吾を殺されたなら。


 自らに当て嵌めたなら、事実を明らかにするのは、危険に過ぎた。隠さねばならない。不在は隠しようがないが、少なくとも言い逃れできる状態を、彼女らに希望を抱かせる状況を維持しなくては。

 屋形の中は危険だ。小色か川慈、誰ぞに命じて運ばせるか。だが、知る者は少ないほうが良い。

 かすみは急ぎ、化粧の間から薄手の着物を数枚選び出し、真仁を包み込んだ。硬くなった体を背負うのは難しく、曳くしかない。だが、どこへ。



「ワカオクサマ、何をなさっておいでです?」


 弾かれるように振り返れば、背後の椿の木に埋もれるように小柄な老爺がいた。つい先日、同様の台詞をかけられた。あの時以上に警戒していたというのに、気付かず。広い庭の低木の茂みにて、周囲に人気が無いことを確認した上で、一人作業をしていたのだったが。

 二輔は何の気なしにひょこひょこ近寄ってきた。

 誤魔化すか、それとも。鋤の柄を握る手に力を込める。

 かすみが動き出す前に、二輔は、いいから、いいから、というふうに軽く手を上げる。それは気勢と毒気を抜く仕草で、思わず腕から力が抜ける。身体は休息を歓迎しており、もう一度振り上げようとしても無理だった。

 老下男は地面に置かれた布包みをめくり、ありゃあ、とどこか滑稽な声を上げる。

 身体は重く、髪は振り乱され、手足は泥だらけ。

 妹の力、寒田の兄、オクダリ、山姫……何もかもうまくいかない。そしてこの厄介な大荷物。

 一番欲しいものを手に入れるためには、自棄やけになってはならない。冷静に冷徹に冷酷にならねばならない。けれどあまりに星が遠ければ、地団駄を通り越し、八つ当たりのひとつもしたくなる。だが。

 ここはいけねえなあ、二輔は地面に掘られた穴を眺め、明日の天気を語るように呟いた。


「雨が降ればすぐに土が流れちまう。着いてきなせえ」


 ひょこり、ひょこり、ひょこりと前を行く二輔の歩き方は奇妙だった。


「脚の長さが左右で違いましてな、日中は地下足袋に詰め物をしております。ワカオクサマにだけやらせて、申し訳ねえこってす」


 と、草履だけじゃ平衡感覚を欠いて危なっかしいと言い、先導するのみ。

 かすみは謝罪には応えず、布包みを曳くことに専念した。人一人を運ぶのは存外骨が折れる。以前に草庵で教わった材木運搬法の〝修羅すら〟を使えば楽なのだろうが、時間も人手もなく、今は愚直に曳くしかなかった。

 二輔が案内してくれたのは、庭の一角にある池だった。池、というよりも湯殿を一回り大きいぐらい、ちょっとした水溜りといった趣きだ。

 表面は藻に覆われ、わずかに覗いた黒い水面に、暁に飲まれる寸前の星がぽつぽつと浮かんでいた。赤紫に燃え立つ山の稜線に炙られる青白の星。何かを暗示していると感じさせなくもない。

 周囲は木々や下草、羊歯が生い茂っており、かすみはこの池の存在を知らなかった。観賞用に手入れされているわけではなく、ただ放置されている。案内がなければ、辿り着けまい。迷い込んだなら、足を踏み外すだろう。


「ここに落としなせえ」


 示された池は小さい。腑に空気が溜まっていたら、浮かぶだけだろう。不満げな表情を気配で読み取ったのか、二輔は続ける。

「安心しなせえ。見た目より深い……というか、繋がっておりましてな」

 黒沼へ、と。言いながら、二輔は小石を拾い、ぽちゃんと落とした。

 大した意味がありはしないだろう。けれど、つられて小石が沈みゆく様を眺めてしまう。そこには重なる記憶があった。八歳の子どもの浅知恵が犯した罪。

「黒沼の黒水に沈めたもんは浮かばねえ」

 それは嘘だ。漆黒に沈んだ赤光、阿古は戻ってきた。いや、佐合の家に現れたのは阿古ではないのか。では、あれは、なに?――開きかけた口を閉じさせたのは、続く二輔の言葉だった。


「ひとつの例外を除いては」

「例外?」


 ついっと。二輔はかすみの胸元を指差した。


「ワカオクサマ、あんたでさあ」


 そんなことを言ってくる。意味がわからず、かすみは瞳をしばたかせた。


「時々の最も光り良い娘、つまりはオクダリサマでさあ」


 ――黒山がオクダリサマを生かすんでしょうな。山姫は黒山の化身、山姫にとって必要なオクダリサマは死なせない。 


「最近はやらんのですかね、黒沼問くろぬまどいは。わっしが若い頃はまぁだやっとったはずだが」

「……知らない」


 唄は知っておられるでしょう、二輔は聴き慣れたその唄を口ずさむ。


  せのきみ、せのきみ、あのこがほしい

  せのきみ、せのきみ、あのこはわからん

  くろぬまきこか、そうしよう

  あねさんおりて、いもさんにげる 

  おくだりさまは、おやまへかえる

  おくるいさまは、いついつでやる

  いちばん光るの、だーあーれ


「昔は光り良い娘を四、五人選び出して、黒沼へ落としましてね。で、光り浮かび上がった娘をオクダリサマとして〈白木の屋形〉にお迎えしたんでさあ」


 ……では、浮かばなかった娘は。


 娘たちはそのまま沼底に沈む。文字通り、浮かばれない。二輔の言葉は暗にそう示唆していた。

 黒沼は神域、女が近付いてはならない。それがかすみの知る通説だ。黒沼問いという残酷なしきたりがあったからこそ、娘たち、あるいはその身内は黒沼を忌避していたということなのか。

 以前に〈白木の屋形〉で嫗が語った昔語りに違和感を抱いたが、やはり奇妙な座りの悪さを感じた。意図的に捻じ曲げられている。そんな気がする。


 ……ならば、阿古は。


 八歳のあの日、阿古は浮いてこなかった。誰より見事な赤光を燃やしていたが、浮き上がってはいない。黒縮緬の水面を百数えて見張っていた、それは間違いないのだから。

 しかし、黒沼がこの池と繋がっているというのなら。


「そっちは苔で滑りまさあ、ゆっくり反対に回ってくだせえ。あとはやりましょう」


 二輔の呼びかけに、物思いから引き戻される。最優先すべきば燈吾だ。だというのに阿古は引き剥がしても引き剥がしても、ついてくる。

 かすみを退かせて、二輔は布包みの前に屈み込み、手際よく荷解きをした。と、二輔はふいに手を止め、真仁を見下ろす。

 なに、不安を抑え切れず呼び掛ければ、


「いえ、懐かしい柄だったんで。久しく見ておりませんでしたが、わっしが宮市で買い付けた着物でさあ」


 今はどす黒い染みばかりが目立つが、目を凝らせば、真仁を包んでいた着物は撫子の柄だった。派手さよりも品の良さが立つそれ。

 着物は燃やしておきまさあ、と頓着せず剥がしてしまうと、二輔は躊躇なく真仁を池に蹴り落とした。

 どぷん、と藻を掻き分けて、真仁の身体は重たげに沈みゆく。十も数えぬうちに漆黒に覆われ、見えなくなった。


「納戸やら、曳いた跡やらは片付けておきまさあ。ワカオクサマは汚れを落として朝までお休みくだせえ」


 畑仕事でもやり終えた、清々しい声音だった。かすみはそれに対する言葉が出ない。

 この薄暗がりで読み取れたはずないが、二輔こちらの微妙な表情を察したかのように、


「あの若衆頭はいけねえ。二人以上の娘に光られ、どっちか一人に絞らず悦に入っていた。遅かれ早かれ問題を起こしてたでしょうよ。片が付いて良かったんでさあ」


 ――わっしはこの脚でもてねえから、色男を見るとひがみ根性が出ますんさあ。


 ぽんっと右膝の辺りを叩き、呵呵と笑う。そして、近くにあった庭石に腰掛け、懐から煙管を取り出した。


「この里は残酷でさあ。女子おなごは惚れた男にゃ光るが、興味ねえ男にはちょっとの情も示さん。誰にも光られん安是男は、惨めなものよ」


 と、口寂しいのか刻み煙草を入れず火も付けずに吸い口を咥える。

 誰にも光らない。誰からも光られない。

 そのむなしさ、やるせなさ、心許なさたるやよく理解できた。妙なものだ、性別、年齢、状況、何もかも違うというのに。


「でもわっしにも、一人だけ光る女子が現れましてな。歳経ってからもらった嫁で、おつむはちいと足らなんだし、不美人でしたけど、かわいうてなりませんでしたわ」


 そう、かすみは小さく返す。

 まあ、そんなだから、と二輔は深々と息を吐いて言う。それは意味のある嘆息なのか、火のない煙管の煙の代わりか。明るみを帯びた群青に透明なそれがたなびくのが見えた気がした。


「嫁が死んでから二十年近く、わっしは一人きりで〈白木の屋形〉に詰めてたんでさあ」


 ……さ、もう戻りなせえ、ワカオクサマ。

 促す口調は思いがけず優しげだった。

 ふと思う。二輔はかすみを一貫して〝ワカオクサマ〟と呼んでいる。オクダリサマではなく。けれどさきほどの話から〝オクダリサマ〟という呼称を使わないわけではない。意味はあるのか、ないのか。この老下男は、敵なのか、味方なのか。

 他にも考え、備えなくてはならないことは山とある。

 二輔さんに訊けばどんな捜し物でも見つかる、〈白木の屋形〉の生き字引――小色の言葉を思い出して。

 ねえ、二輔。かすみは胸に灯った思いつきを口にした。

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