2-5炎上

 おくるいさまは、いついつでやる  

 いちばん光るの、だーあーれ……!


 歌が止み、嬌声が上がった。一体、何回目の唱和だろう。ついにかすみの肩に手が触れられたところで、歌が終わってしまった。さあさ、あんたの番さね、と隣の娘が親しげに肩を抱いてくる。


「もう秋祭に誘う相手は決まっている?」

「年上、年下、同い年?」

「どちらから想いを伝えたの?」


 矢継ぎ早に質問が浴びせられる。誰も暗紫紅の光の主がかすのみだとは気付いていない。夏に娘宿に上がった十三、四の娘が四人いたから、そのうち一人だと思われているのだろう。

 念のために薄い布団を頭から被っていた。これで赤黒の髪は隠せるだろうが、質問に答えるわけにはいかない。さすがに声でばれてしまう。

 一度も光ったことがないはずのかすみが光ると知れたら相手の追求は免れない。もし、寒田男と知れたら……考えるのも恐ろしかった。いつかは越えなくてはならない山ではあるが、今はその時ではない。ここで下手を打てば、燈吾の目指す安是と寒田の関係構築を邪魔してしまう。

 なれど、一方で心は浮き足立っていた。本当は答えたくて、うずうずしている。今まで、他人に恋を打ち明けたことはない。でも、どれだけ恋人が素晴らしく、愛されているのか、存分にのろけてみたかった。それはささやかな夢だった。だけれど……


「あんた、恥ずかしいの?」


 黙り込んでいるかすみに隣の娘が囁いた。紫色の光――かすみの暗紫紅とは違う、もっと淡い藤色の――が、香るように揺らいだ。多分、彼女はかのうという、駒と同年代の娘だ。かすみは小さく頷いた。


「しようがないねえ。でも、是か否ぐらいは答えてやんな。あたしのてのひらに書いて教えてくれたら、代わりに答えてやるから」


 叶が莞爾と笑う気配がした。驚きだった。自分が〝かすのみ〟でないというだけで、こんなにも親切にされるとは。

 素早く叶の掌に、〝ありがとう〟と指で書いて伝える。娘宿で〝かすのみ〟は文字を学ぶ時間を与えられなかったが、燈吾が教えくれたお陰で読み書きに不自由はない。


「えーと、相手はもう決まっている。……一つ歳上。向こうから誘われたそうだよ」


 かすみが綴る答えを口にした叶に、娘たちは歓声を挙げた。


「格好良い?」「親にはもう紹介した?」「夫婦の約束は?」


 叶の掌に是、否、是、と順に描き、叶が訳すと、またまた歓声が上がった。


「どんな求婚だったの?」


 物の怪の求婚を一笑に付そうとした自分の気を変えさせたのは。


「……〝うた〟?」


 掌の文字を読み取った叶が、戸惑いながらも答える。娘たちもざわめいた。

 ――火のごとく ひかり輝く かすみもゆ 我いざないて 妻とせん――耳に残る求婚の歌。

 あの時、かすみはまだ光っていなかった。そんな自分に、光を見出してくれた背の君。陶然と思い出していると、しかし鋭い声音が投げつけられる。

「嘘っぱちだ。歌を詠める里男なんてそうそういない」

 声のする方を向けば、ちょうど車座になった対面に黄色い光が揺れていた。娘頭――駒だ。

 確かに、安是の里には、歌を詠む雅人は少ない。深山の土地で、安是男たちは、わずかな田畑の世話や黒ヒ油作り以外何をしているかといえば、猟や手仕事、あとは賭博と酒盛りぐらい。

 里長や若衆頭を輩出するような家の者でなければ、歌など詠まない。そして駒の言葉には言外に、あんたが上位の家の者と釣り合うわけがない、という侮蔑が込められていた。

 駒が攻撃的なのは、かすみの返答を叶が代弁してくれているせいもあろう。駒と叶は同年で、競争意識がある。どちらが娘頭になるか水面下で駆け引きがあったらしい。意中の相手も同じ若衆頭だろう。今のところ娘頭となった駒の方がやや優勢ではあるが、人当たりの厳しい彼女は人望に欠ける。秋祭を前に、駒は焦っているのだ。

 そんな娘心がわかっているのだから、ここで退くべきだった。無用な争いは避けるべきで、いつもならば退いていた。それが〝かすのみ〟の処世術のはずだった。


「〝うそじゃない〟」


 叶を介して答えた。燐にせよ、駒にせよ、燈吾に関わることで馬鹿にされるのは許せない。胸の焔が立ち昇る。


「〝わたしの、おとこは、さとの、だれより、すぐれている〟」

「……どういう意味だい?」


 そのままの意味だ。だが、恋の鞘当て中の駒は、違う意味で受け取ったらしい。低く、かすれた声で、呻く。


「あんた、まさか……真仁まひとと」


 真仁というのは若衆頭の名前だった。彼女の思考はこうだ――里で一番優れているのは自分が恋している若衆頭の真仁に違いなく、真仁に横恋慕したのかと。 

 恋は盲目とはよく言ったもの。全てを自分の想い人へ繋げてしまうとは、傍から見てこれほど滑稽なものはない。

 一方、叶は駒よりは冷静だった。それとも駒と同じ思考を辿り、呆然としているのか。


「嘘よ、嘘! いい加減なこと言うな!」


 自分から勘違いし、言い出したくせに。喚く駒に言ってやる。


「……〝あのひとに、だかれた?〟」


 潮が引くように場が静まりかえった。娘遊びでは赤裸々な話がされる。だが、ここまで直裁な言い様は初めてかもしれない。 


「〝わたしは、なんども〟」


 娘たちは皆、黙り込む。

 燈吾にはからかわれたが、基本的に、安是の娘は貞操観念が強い。それが唯一緩むのが、秋祭だ。秋祭が過ぎるまで娘らは操を守る。でも興味が無いわけがない。その証拠に、かすかだった光が揺れる。胸に灯る色とりどりの火が膨らみ、身を焦がす。


「〝くるうほど、きもちいい〟」


 残酷な気分だった。〝かすのみ〟にここまで言われるのはどんな気持ちだろう。もし正体を明かしたら、どんな顔をする? 舌で唇を湿らせて微笑する。


「〝ふれられるのも、なめられるのも、すわれるのも――〟」 


 叶は続きを言わず俯いた。言えなかったのかもしれない。代わりに藤色の炎が大きく爆ぜる。


「全部あんたの妄想でしょ、そんな経験ないくせに、適当なことを」


 駒が立ち上がり、床を踏み抜く勢いで突進してくる。

 だったら。だったら、教えてあげる。燈吾が、どんなふうに自分を抱くのか――

 駒の腕をかすみは迎えるように取り、勢いのまま、腕を引く。駒は呆気なく夜具の上に倒れこんだ。背の窪みをつっと指先で辿れば、背は弓なりに反り、力が抜けるのがわかった。その機を逃さず、彼女の首筋から耳元を撫で上げる。色黒な外見からは予想外に、駒の肌は滑らかだった。


「なにを――」


 うるさい。かすみを脚で押しのけようと仰向けになった駒の口を唇で塞いだ。燈吾と交わすそれとは感触が異なり、駒の唇は薄く冷たい。

 一瞬、硬直していた駒が我に返り、抗議のためか呻く。だが無視して、駒の唇を唇で挟むように、やわく啄ばんだ。同時に、首筋から鎖骨、鎖骨と鎖骨の間の窪みへと指を踊らせ、胸の袷の奥へと滑り込ませる。

 乳房は小ぶりだが、弾むような張りがあった。触れるか否やの淡い愛撫を繰り返し、次に掌全体で揉みしだく。肌は、肌に吸い付いた。

 娘らは黙り込んでいる。けれど息を詰めて成り行きを見つめている。その証拠に、様々な光が川藻のように揺れていた。この光景には覚えがあった。夜更けの黒沼、漆黒へ沈んだ赤光。あのは、美しかった。この娘とりどりの光を見ても、最も。

 手を止めず、組み敷いた駒を見下ろす。燈吾に抱かれる己を俯瞰しているような奇妙な心地がする。顔はもちろん、駒とかすみの体つきは似ていない。けれど、どこをどうすればどんな反応をするか熟知しているため、その通りの反応を表す駒の姿は自身にだぶる。湯上がりの甘い香りは、駒のものか、己のものか、それとも二人が密着してこもった熱によって醸成されたものか。

 指先をさらに下へと進め、淡い茂みに到達する。駒は腰を引こうとした。おそらく生真面目な娘頭にとって、初めて他人に触れさせる場所。逃がす気はなかったし、容赦もしない。忍び寄ったそこはじわりと湿り気を帯びていた。

 恐怖と羞恥に黄光が波立つ。眉根が寄った今にも泣き出しそうな表情は嗜虐心を煽った。いつも強気でややもすれば傲慢な娘頭の乱れた姿は悪くない。燈吾も自分を組み敷いた時、こんな心持ちだったのだろうか。

 大丈夫、怖がらなくて良い。だって、あんなにも気持ち良かったでしょう? 駒にではなく、一年前の己に呼び掛ける。

 駒の身体はまだ硬い。

 ……真仁の指だと思って。そう、駒の耳奥に吹き込む。ほとんど声ではなく、吐息のようなもので、誰の声音かまではわからなかっただろう。だが、意味は伝わったのか、暗闇に春を迎えた万作が一斉に花開いた。

 薬指を熱い泉に沈める。くぷり、と指は飲み込まれ、とろみを帯びた蜜が溢れる。同時に、下腹部に昨夜さんざん燈吾から与えられた快感が甦った。駒の喘ぎは、昨日のかすみのそれ。あ、あ、あ、あ、と駒の声が響くごとに、暗紫紅の焔も燃え上がる。燈吾、燈吾、燈吾――連れって。一番高いところまで。どうか一緒に――

 ふと見渡せば、自分たちを取り囲む娘たちめいめいの光が燃え盛り、一つの大きな炎の中にいるようだった。 


 ……せのきみ、せのきみ、あのこがほしい,

 せのきみ、せのきみ、あのこはわからん……


 唱和が響く中、焚火の中心で一際大きく女が啼く。

 夕べ、私もこんなふうに啼いたの? こんなにもはしたなく光り濡れたの、燈吾?

 夫の息遣いがすぐ耳元で震えた気がした。堪らなくなって、身頃のはだけた駒を――いや、昨夜の自分自身をきつく抱きしめる。果ての前、燈吾はいつも抱いてくれる。かすみは首っ玉に縋りつく。それがすごくすごく、好きなの――

 暗紫紅の光が誰より大きく膨れ上がった。八歳の真夜中に見た、阿古の赤光と同じく、激しく、熱く、壮麗に。

 光が立ち昇った刹那、下になった駒と目が合った気がした。陶然として半ば閉じかけられたまなこが丸くなる――こちらが〝かすのみ〟と気付いたか。

 自分が光ると知られた場合の危険性を勘案する。燈吾との関係を揺るがす可能性は。この狂瀾に乗じて、いっそ駒を。

 すっとした直線を描く駒の首筋に手をかける。愛撫の続きじみたその仕草に、組み敷いた女はうっとりと目を閉じた。

 駒が殺されたとしたら、疑われるのは誰だろう。おそらくは、つい先ほど、駒に真仁を寝取ったと勘違いさせた暗紫紅の光の娘。娘たち全員が暗紫紅の光を目にしているが、駒以外の誰も光の主がかすのみだとは気付いていまい。あるいは、元々の恋敵である叶に猜疑の目が向けられるか。具合の良いことに、叶の光は藤色で、自分の色と似ていなくもない。

 やるなら今。かすみは両の手に力を込める。快楽から驚き、驚きから苦痛へと、駒の顔がゆがみゆく――と。

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