1-4寝物語

「……最初は燐寸マッチほどの可愛らしいものだったのに。今じゃ大火事、都の大火も敵わんな」


 どこの誰が油を注ぎ、風で煽ったのか。燈吾の軽口に言い返そうとしたが、火元はそっちだと言い負かされるに決まっている。代わりに隣に横たわる夫の肩に軽く歯を立てた。

 かすみと燈吾は、粗末な草庵そうあんでまどろんでいた。何十年も前に雲水が建て、その死後打ち棄てられたものだという。黒沼のほとりにあるが、入り口を巧妙に隠してあり、二人の常宿となっていた。


 ――寒田さむだの里の男は外道。


 それが安是あぜの里での巷説こうせつだった。確かに外道には違いない。さんざ焦らし、なぶり、高めて、気を喪わせるほどの快楽を与えて、挙げ句こんな下卑た冗談を言うのだから。

 一年前の祭りの晩、安是のどの男にも光らなかった身が、燈吾にはあっさり光り濡れた。寒田の男に。それ以後、黒ヒョウビ採りを隠れ蓑に逢瀬を続けていた。かすみの黒ヒョウビ採りは娘宿内だけの秘密ごと。かすみが頻繁に里を抜け出そうと、娘頭が率先して口裏を合わせてくれるので、具合が良かった。今日のように灯明油を減らしておいたのに新任の娘頭が気付かず、自ら言い出さねばならぬ時もあるが。

 寒田は安是の西に位置する隣里だ。といっても黒山を越えねばならぬのだから親交はない。そも、黒沼周域の領有を巡り、二つの里は対立していた。

 寒田では、女ではなく男が光る。それは安是の里では奇異であり、忌諱であった。寒田の男は成人すると身の内から鬼火を発し、その光を操り、女を誘い出す。ゆえに男女のことは自然と男主導となる。安是の里とはあべこべだ。

 昔、黒沼を巡っての対立が激化した際、寒田の男は鬼火を操り、安是女の光と見間違えた安是男を誘い出してその多くを殺した。寒田の男が外道と呼ばれる所以だ。しかし結局、山姫が嵐を起こしたとかで寒田は被害を受け、安是の辛勝に終わった。以後、寒田は黒沼から離れた場所に自生する質の悪い黒ヒョウビを細々と採取して日々の暮らしに用立てている。

 だが、燈吾によると寒田者は定期的に黒沼へやってきているという。


「……安是と寒田はまた争うの?」


 情事後の気怠い甘さの中、愛しい男の腕に抱かれながら出すべき話題ではなかったかもしれない。わかっていたが、幸せな時だからこそ確認せずにはいられなかった。安是は寒田を良く思っていない。寒田の若者が黒沼を訪れていると知れたら、ただでは済まないだろう。だが燈吾はあっさりと首を横に振り、


「俺たちは盗人じゃない。黒沼や黒ヒョウビを調べているだけだ」


 黒ヒ油は油屋に一括して卸しているが、もっと販路があるはず。灯明油、食用油、髪油、香油、色々な可能性がある。精製にしたって、もっと効率の良い、質の良い油を得る方法があろう。燈吾はそう語る。


「寒田は用途や手段を提案して利権を得る。安是は寒田の協力を得て販路を増やす。二つの里で協力して開拓すべきだ」


 燈吾の話は難しい。だが、かすみは精一杯に頷いた。


「里が豊かになれば争いは起きない。俺たちは共に暮らし、子をもうけ、同じ墓に入る。正式な夫婦になる」


 どうだ? と、いわんばかりに、燈吾はにやりと笑いかけてくる。その笑みに、胸の光が波立った。


「……そのためにはまず寒田の古老を納得させ、安是長と話をしてもらわんとな。新しい品をつくるなら元手もいる。販路を拡大するにしても、後ろ盾が必要だ、新都での交渉役も必要となろう。卸先も競合させればより有利な条件を呑ませられるかもしれん。つてができれば、黒ヒ油だけでなく、黒山の木を伐り出して商いできるやもな」


 思考に没入し始めた燈吾の横顔をかすみはじっと見つめる。燈吾の話は難しい。難しいが、燈吾の語る話が、語る顔が好きだった。安是の倦んだ毎日とは違う、まだ見ぬ景色を連れてくるから。


「……木を伐り出して、薪にするの?」

「黒山の木は銘木ぞ。新都でも材木として高値で取引されよう」

「新都? そんな遠くへ?」

「谷川に落として運べばいい。山出しには山師を請い招く必要があるが。安是にも寒田にも采配できる者はおらんだろうから」

「谷川までは人が引っ張って落とすの?」


 燈吾がおやという顔をするが、無理もないかと次に頷いてみせる。日々の糧以上に山を冒すことは禁忌とされ、まして安是は隠れ里。大規模な商いは許されず、古老らが聞けば目を剥くことだろう。


「山の斜面に木で滑走路を組み、伐り出した木を滑らせて落とす。これを〝修羅すら〟と呼ぶ。馬に曳かせることもあるがな」


 燈吾は木の山出しについて詳しく話してくれた。半分も理解できなかったが、燈吾の話を聞くのは好きだった。

 物の怪だと思った夫には学があり、先見の明があった。少しでも理解したくて、かすみは仕事の合間に、せめて読み書きだけでも不自由ないようにと勉強していた。情事の後、かすみは成果を披露し、わからなかったところは質問し、燈吾は不出来ではあるが熱心な生徒に宿題を出す。娘宿の仕事をこなしながら、逢瀬の時間を確保し、その上でさらにわずかな時間をやりくりして学ぶ。

 この一年、忙しいが、充実していて、毎日が鮮やかに過ぎた。燈吾に出会って、初めて生きていると実感できた。燈吾に命の火種を吹き込まれたのだろうと思う。


「なんだ? 顔に何かついているか?」


 かすみの眼差しに気付いた燈吾がきょとんとして問うてくる。筋張った腕が、それとは不釣合いに子どもじみた仕草で、顔をごしごし擦った。燈吾は自分より歳上で、何でも知っているのに、時に無防備な、迂闊な、いとけない仕草をする。愛しい背の君をこのまま寒田に帰すのが怖いほど。寒田女に盗られまいか、かどわかされるのではないかと。

 その不安を表す術がわからず、答えぬままかすみは燈吾に淡く口付けた。唇の端に、頬に、首筋に。羽織っただけの上衣をはだけさせ、胸に、腹に、浮き出た腰骨へと、なぞるように下ってゆく。男の肌は女のそれと違い分厚いが、存外滑らかなのだと、燈吾で知った。なめした皮のしなやかな美しさ。普段、着物に隠された箇所はなお。

 そして、自身もまた、燈吾に拓かれ、己が女であるということを知らしめされた。こんなにも熱く、柔らかく、ぬめった生き物なのだと。下り下りて、男そのものである、中心に辿り付く。そっと唇を寄せるが、内心、喰らい付く心地で。しばらくされるがままになっていた燈吾は小さく呻くと、逆襲とばかりに圧し掛かってくる。片方の乳房を鷲掴み、もう片方の先端を口に含む。熟れた果実を潰すように掌に力を込めると同時に、先端を啄ばむ。

 これをされると、ふ、あ、と音にもならない声を漏らすしかない。くらくらと酩酊にも似て、上も下もわからなくなる。浮き上がりそうになる身体を、燈吾の頭髪を掴み、つなぎ止めた。

 ふいに男の身が離れた。こもった熱が放出され、安堵したような、名残惜しいような吐息が漏れる。

 そのゆるんだ一瞬。燈吾は腰を引き、一気に奥を貫いた。

 そして、その夜。かすみは三度、暗紫紅の炎を燃え上がらせた。

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