最果ての迷宮と3人の冒険者①

 みてくれおれのうでを

 こんなごつごつしつちまつて


 みてくれおれのかみを

 まつしろだ


 みてくれおれの、おれの、おれの

 はは、あは

 ははは



 迷宮の暗がりを京介はひたひたと歩く。

 虚ろな瞳に映る迷宮の闇は、彼の心を覆い隠す闇でもあるのかもしれない。

 此処へ落ちて1年、彼はいまだ正気の光を見出せず、幽鬼の如く闇を彷徨い続ける。


 時折現れる魔物を捻り殺し、魔物と見間違えたか襲い掛かって来る冒険者を返り討ちにし、京介はそのからっぽの全身と全霊に魔力を蓄え続けた。


 魔力で体を満たすことで彼は刹那の時間、人へと立ち戻る。

 それは正気の彼に自身が獣であることを自覚させ、親しき人々との別離を思い出させる悲しみの時間であるが、それでも京介は迷宮を彷徨うのだ。


 狂気という霧に完全に包み込まれてしまわないように、彼の心の奥底に埋もれる僅かな正気の欠片が彼をそうさせているのかもしれない。

 だがそれは彼の苦しみを長引かせるだけの余りに残酷な仕儀であった。


 そんなある日、いつもと同じ様にあてどなく回廊を進む京介の耳に何処からか喧騒が聞こえてきた。


 ◆◆◆


 ―最果ての迷宮・B5F―



 山羊頭の魔物が数体、冒険者とおぼしき者達と相対していた。

 冒険者は3人。

 だがいずれもが怪我を負っている。

 1人はわき腹を何かで貫かれたような痕があり、放っておけば命にも関わることになることは想像に難くない。


「く、くそったれ…。なんでこんな階層にシュドムなんて居やがるんだ!」


 盾とロングソードを構えた中年の男性が悪態をつく。


≪シュドム≫


 山羊頭とこうもりの翼を持ち、赤黒く細い肉体を持つそれはデーモン種に分類される魔物だ。国によってはレッサーデーモンとも呼ばれている。

 デーモンといえば悪魔だが、それはまさにその通り、シュドムは正真正銘の悪魔である。

 悪魔というのは厳密に言えば迷宮の魔物とはいえない。


 彼らは負の感情を好む。

 例えばそれは殺気であったり、恨みであったり、生きたいと願いながらも死にむかう悔恨であったり。


 そういう感情が澱む場所に彼らは好んで出没し、哀れな子羊を探し求める。

 そんな彼らにとって迷宮という場所は極めて居心地が良い場所なのだ。


 ――メェェえエェぇえェッ!!


 シュドムの一体が翼を広げいななきの声をあげると、人間の頭部ほどの炎弾が数個形成される。デーモンという種を相対するにあたって、もっとも注意しなくてはならないのが魔法行使である。


 彼らは皆、呼吸をするように魔力を扱うために、人ではありえないようなタイミングで魔法が飛んでくるのだ。無詠唱というのは彼らにとって別に高等技術でもなんでもない。


「お、らぁッ!…レイアぁ!ぶち込めぇ!」

 空気を焼き焦がしながら炎弾は男に迫るものの、男は盾で横殴りにして弾き飛ばした。


 そして男の掛け声と共に、するどい氷のつららが炎を放ったシュドムの全身に突き刺さる。


 氷の術式、氷棘槍牙だ。


 空気中の水分を凝固させ、魔力を推進剤として氷柱を撃ちだす魔法。

 さほど高位の術ではないが、相応の実力を持つものなら無詠唱で唱えられ、しかも発動が早く消耗も少ないために長期戦に向く。


 撃ちだしたのはフードをかぶり、背丈ほどの木製のスタッフを構えたレイアと呼ばれた女性であった。


 彼女は術師と呼ばれる職業であり、このように魔法攻撃により一党の火力を稼ぎ出す役目のアタッカーである。


 全身を氷柱に貫かれたシュドムは白目を剥き倒れ伏した。


「よぉし!あと二匹だな…ボリス!左の抑えろ!残りを俺とレイアで殺る!」


「うむ、任せたぞ」


 ボリスと呼ばれた男がダッと地を駆け、左のシュドムに向かう。

 全身を筋肉の鎧で覆った坊主頭のボリスは武僧である。

 魔力による肉体強化で近接戦を得意とする。

 それにくわえ、初歩の支援魔法や治癒の魔法も扱える。

 ただ、決定力には欠けるためにアタッカーとしてはやや物足りない面も持つ。


 ボリスは魔力を体へ通し、両腕を硬化させ、そのままシュドムのわき腹を殴りつけた。

 鈍い打撃音のあと、シュドムがその山羊面を苦しそうに歪める。


≪このまま…押し込…!?≫


 追撃を加えようとしたボリスに叩きつけられたのは不可視の魔弾であった。

 スタッフなどの媒介を必要とせず、視線のみでそれを発動させるのは流石にデーモンの面目躍如といえるだろう。


 魔弾で態勢を崩したボリスをシュドムの山羊角が襲う。

 態勢が崩れたボリスにそれをかわす余裕はなく、彼は右腕に角の一撃を受けてしまった。


 突き刺さる角から滴る血。

 激痛。


 だがボリスは歯を食いしばって筋肉を固め、角が抜けるのを防ぎ、渾身の手刀でシュドムの角を片方叩き折った。


 ――メェエエエエ……


 片角がへし折られ、憎悪に溢れる視線でボリスを睨みつけるシュドム。

 痛みに身を苛まされながらも構えを崩さないボリス。


 1人と1体の間には緊迫が満ちていた。


 ◆◆◆


「ギャリー、怪我は…?」


 レイアが盾を構えた中年男へ問いかけた。

 ギャリーはこの一党のリーダーだ。

 得物は剣に盾、戦士と呼ばれる典型的な前衛職。


 格別腕前がいいわけではないが、彼には経験という大きな武器がある。

 37年という年月は、彼から反射神経や瞬発力などを奪ったが、長年の冒険者稼業によって培った経験を武器に安定した探索を行うのがギャリーという男だ。


 攻めるべきは攻め、退くべきは退く


 いま逃げようとすればあっというまに均衡は崩れ、逃げ延びるにしても誰かが犠牲になる可能性が高い。

 生きたいなら攻めるべきだ。

 ギャリーは今の状況をそう判断していた。


「おうよ、かすり傷だぜ…」


 そう言うギャリーの顔には脂汗がういている。

 シュドムの苛烈な攻撃に手傷を負ったのだ。鎧の隙間からは血が滴っていた。


≪早くこいつを片付けないとボリスが殺られる…ちくしょう…≫


「さっきの要領でやるぞ。カウンターを決めるんだ。俺が防いでやるからでかいのぶっ放せ」


「ええ。でも無理しないでね…」


 この時ギャリーは自らが勝負を急いている事に気づいていなかった。

 無理もないだろう、わき腹に受けた突傷はともしたら内臓まで至るほどの大怪我だ。


 魔力を循環させ、体を動かせる程度には出血を抑えているものの、常人ならばすでに動けなくなっているほどの深手だ。

 レイアかボリスならば傷を癒せるのだが、どうも相手はその時間を与えてくれないらしい。

 仲間を殺されたシュドムの怒りが大気に充満していた。


 先手を取ったのはシュドムだ。

 当たればただでは済まない火力を有する炎弾が複数形成される。


 炎弾は術師の魔法では中位階梯の術式であり、ひとつの巨大な火球を作り出したり、あるいはシュドムのように複数の炎弾を作りだしたりと応用が利く。


 さきほどと同じ攻撃がくると判断したギャリーはすかさず盾に魔力をこめる。


「面」を活かして攻撃を捌くことを目的とするが、魔力をこめた盾で直接相手へ打撃を与えることもできる。

 ギャリーはこのように剣と盾を使い分け、自らの戦闘経験に基づいて様々な状況へ体を張って対応するの守護神的役割を果たしている。


 炎弾の形成後、すかさずギャリーへと魔法が飛んでくる。

 速度は今の言い方でいうなら時速160キロ程度だろう。プロ野球選手の投球に匹敵する速度で炎の塊が襲い掛かってくるのだ。


 だがギャリーとて歴戦の冒険者、迫る炎弾を盾で弾き飛ばし、シュドムとの距離を一気につめる。

 レイアは既に詠唱を終えようとし、スタッフには強力無比な稲妻の魔法が形成されようとしていた。


 シュドムは明らかにレイアを警戒している。

 ギャリーへの注意が疎かになっている。

 ならば、とギャリーはシュドムの脚を突き、機動力を奪う作戦を変更し、自身がその命を刈り取る事に決めた。


 ギャリーの突きがシュドムの首元を狙う。


≪死ね!≫


 だがその時、シュドムの表情が醜く歪んだ。

 それは明らかに笑み。


 ギャリーとシュドムの視線が交錯する。


 ぐりゅり


 シュドムの瞳孔が縦に割れ、その視線がギャリーを捉えた。


 その様子を見ていたレイアは顔色を蒼白にする。

 それもそのはず、シュドムが行使したのは邪眼だ。簡単に言えば呪いである。


 敵対する相手に様々な効果を与える邪眼は、おもにデーモン種が得意とする。

 その効果は様々あるが、この時この場で行使される呪いが生半可なものではないというのは、優れた術師たるレイアにはよく分かる。

 攻撃を受ける前のこのタイミングで行使される邪眼といえば相場は決まっていた。


 ――応報の邪眼


 ギャリーの突きがシュドムの首を貫けば、それは呪いとして返りギャリーの命を奪うだろう。


 迷いは刹那


 レイアはスタッフをギャリーへと向け、威力を弱めた雷撃の術を放つ。


 稲妻は狙いを過たずギャリーへと当たり、ギャリーは大いに体勢を崩した。

 そしてギャリーの斬撃がわずかにシュドムを掠り、呪いが発動する。


「…ぐ、ぐぅうう…す、すまねぇ、レイア…。ち、ちくしょう…」


 ギャリーが腕を押さえ、ゆっくりと立ち上がる。

 その腕には斬り傷。

 シュドムが受けた傷と同じ場所に、同じ深さの傷ができていた。


 シュドムが行使したそれは邪眼の中でも非常にたちが悪いものだ。

 相手に自分と同じだけの傷を与える。

 ただ、それは近接攻撃にたいしてのみ発動し、魔法に対しては効果を成さない。


 最初からシュドムにこの様な手札があると警戒しておくべきなのだが、悪魔と言うものは画一的に技能を保持する事はない。

 つまり、戦ってみないと相手の手札がわからないという事だ。

 逆に慎重になり過ぎて時間を掛ければかけるほど程に、相対する側にとって不利となる呪いもある。よって、ギャリーが仕掛けたのは決して間違いではなかった。


 ともかくも、ギャリーは迂闊に動けなくなってしまったが、まだレイアがいる。

 再度攻勢をかけ、余計な手管を使わせない様にプレッシャーをかけるべき場面であった。


 しかしギャリーの表情は蒼白で、激しい動きは命に関わる様にすら見える。

 深手に加え、軽減されたとはいえ魔法の稲妻をその身に受けたのだ。

 無事でいられるはずがない。

 さらに言えば、ギャリーの体からはその命の源たる血がどんどん流れていっているのだ。


 ボリスも動けない。

 彼も実力のある冒険者ではあるが、抑えてもらっているもう一体のシュドムとは互角どころかやや押されているという状況。

 こちらに注意を払えばその瞬間ボリスは殺されるだろう。


≪わ、わたしがやるしかない…!≫


 もはや動けるのはレイアのみ。

 だがそのレイアとて、デーモン種を相手に即座に勝負を決められるほどの実力があるわけでもない。しかも立て続けの術行使で、レイアは自身の魔力の量に翳りが見え始めている事を自覚していた。


 そして、シュドムは魔法に長けているだけではないというのも問題だ。

 その肉体能力はレイアをはるかに凌ぐのだ。


 シュドムは薄気味の悪い視線でこちらを舐るように凝視し、嗤う。

 レイアは諦念という暗い炎が自身の勇気の端を焼き焦がすのを感じたが、それでもまだあきらめるつもりはなかった。


 だが現実はそう甘くはない。


 ◆◆◆


 そう、現実はそんなに甘くはない。

 ただし、今回の場合はシュドム達にとってだ。


 レイアは空気が変わったのを感じた。

 実際に下がったわけではないのだろうが、寒気を覚えた。


 シュドム達はそれぞれレイアとボリスに背を向け、その体毛を逆立たせ警戒感を露にしている。警戒しているというより、何かに怯えているような気配さえする。


 明らかな隙だ。


 無防備なシュドムの背へ向け、攻撃を仕掛けようとするボリスだが、気持ちとは裏腹に足が竦んでしまってピクリとも動いてくれそうにない。

 まことに奇妙な話ではあるが、この瞬間、殺しあうべき二組の一党の気持ちが一致したといえよう。

 互いに殺しあうよりも、迷宮の暗がりから近づいてくる何かから自らを守ろうとする防衛本能が働いたのだ。


 ボリスとレイアは闇を注視する。

 シュドム達はいまやその全身の毛という毛に殺気を漲らせているようであった。

 もはやボリス達など眼中にない様子だ。


 ―――カカカ、カンカンカンカンカン…


 何かを引きずるような音が聞こえる。

 金属の音だ。

 石畳の上を誰かが何かを引きずっているらしい。


 やがて現れたのは、白髪の


≪幽鬼……≫


 レイアは自分の背骨がまるで氷の柱になってしまったかのような感覚を覚えた。

 ボリスは逃げようにも逃げられない己を呪った。


 その眼はぎょろぎょろと動き続け、あちらこちらを見回し、口元からは唾液が垂れている。手には錆びた剣を持ち、それを引きずってふらふらとこちらへ近づいてくる、幽鬼。


「ア――…」


 ぎょろぎょろとした瞳の動きは、やがてシュドム達とボリス達を捉える。

 その眼は暗く暗く、深く深く。


 ボリス達は動けない。

 彼らは歴戦の冒険者であるがゆえに、今この場が自分達が生きるか死ぬかの分水嶺だと感じていた。


 そんな中、シュドム達は敵意を剥き出しにし、憤怒の嘶きを轟かせた。

 無詠唱により瞬時に形成された火球が十重二十重に幽鬼―京介―を襲い、焼き焦がし、爆裂する。まるで怒りに我を忘れたかのような行動だが、其の通り、シュドム達は怒り狂っていた。


 高位のデーモンの様な濃密な魔力の気配に怯えさせられたかと思えば、彼らの前に立つのは唯の人間ではないか、と。


 デーモンとは誇り高い種族である。選民的な気質を強く持ち、人間など餌だとしか思っていない。


 それはシュドム達も同様だ。彼らの知能は人間達が考えているより遥かに高い。

 先ほど、ギャリーの戦法で仲間が殺された時は、同じ戦法にはまらないように罠を仕掛けた。


 ギャリー達に仲間が殺された時は怒りを覚えた彼らではあるが、憎悪までは覚えない。

 なぜなら狩りの際、獲物から逆襲を受ける事は良くあることだからだ。

 だが「怯え」は違う。


 たかが人間ごときに心身寒からしめられた彼らのプライドは傷つけられた。

 彼らはその張本人に燃え盛る様な憎悪の炎を燃やす。


 燃え盛る爆炎を前にシュドム達は邪悪な笑みを浮かべる。

 たかが人間があれだけの魔法をその身に受け、生きていられるはずはないと確信しての笑みだ。

 だが次の瞬間、その笑みは凍りつく。


 ――アぎィ…アー…アハ、あはは

 ―――きぃぁアあアぁ…


 不気味な笑い声をあげながら、炎の渦を京介は難なく歩き抜けてきたのだ。


 京介はたかが人間だ。

 だが、その身には魔力が満ちみちている。

 そして魔法とは詰まる所、魔力を変異させた事象である。

 彼にとって生半可な魔法など、その身を傷つけるには至らなかった。

 京介を魔力の護りごと消し飛ばす為には相応の火力が必要であった。


 京介は少し焦げてしまった髪の毛をぶちぶちを引き抜き、それを口に含み、もごもごと口元を動かし、哄笑をあげる。


 炎弾の残り火を背景に耳障りな笑い声をあげる姿は、シュドム達を差し置いてまるで悪魔のような姿であった。

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