彼と彼女の初日【07】
これは、なんの予兆なのだろうか。
気の強い娘。
セレンシアの大地が選んだ娘。
彼女はセレンシアの何を動かす力を秘めているのだろう。
虚ろな鳶色の瞳で自分の存在など頭から消え去っているらしい少女の姿を見詰め、娘越しに見える陸竜を眺め、ラシェンは母や祖母、占術によって選ばれた歴代の伴侶達が起してきた数々の奇跡を思い出していた。
「私に隠し事ができると思ってるなら、グーで殴るから」
急激な動きに、少女の金色に艶めく薄茶色の髪先が大気に揺らめいた。肩口の高さで拳を握り締める姿にリーガルーダが頬をひきつらせている。
「ただえさえ殴り損ねているのよ? これ以上私を怒らせる気?」
見えない表情。
怒っているのか、笑っているのか。ただひとつわかるのは少女が陸竜を脅しているということだけ。
陸竜が怯えるような表情をしているということだけ。
森はだんまりを決め込んだまま風すら場に割り込むことを躊躇っている。ただ、それは陸竜の出現に畏れたのか、それとも少女の気迫に恐れたのか、判断しかねた。
だんだんと蒼褪めていくリーガルーダが長い沈黙の末、肩を竦め、仕方が無いですねと言わんばかりに苦笑した。
「チェ――」
「リーガルーダッ」
風が躊躇う場に自ら大声で割り込んだラシェンは、ぐるんと振り返ったチェリアにきつくきつく睨まれてしまい思わず喉の奥をひくつかせた。
少女への呼び声を、少女自身と、そしてラシェンとそれぞれに遮られたリーガルーダが、つい微笑ましいと頬を緩ませたのに気づき、少年は少女との睨み合いを中断した。
対等でありたい自分が、何故か対等で居られる少女に嫉妬して、感情が先に立ってしまったラシェンは口をへの字に曲げる。
優しい目元を素敵なカップルだと和ませる虚像の陸竜に対し、自分があまりに子供じみていて続きが言えなくなってしまった。
陸竜がラシェンを追い返そうとしているのをチェリアが止めている。という事実はどう曲解に理解しようとしても変えようがないらしい。
何に気づき何に注意しなければいけないのか試されている気がするが、はっきりしているのは嫉妬に惑わされれば失うということ。
ただ、何を失うのかまではわからないからこそ、ラシェンは少女の腕を城に連れ戻そうという考えを捨て切れない。
「ラシェン」
森の中に溶け込む虚像は、実物の質感そのままに佇んでいて、目を凝らしてもそれが偽者だとはとても考えられない。ただ、左腕に妙な違和感を覚える。不自然に垂れ下がっているわけでもないのに、指が軽く握られてもいるのに、なんとなく、おかしい。
どうして、気づかなかったんだろう。
少女が示さなければ、青年が申告しなければ、わからなかった。
わからないまま青年の望み通り騙され続けたのに。
青年の間接的な願いを聞き届けるか、それとも、青年の体を労わるか。二択を迫られている。
「あまり、驚かないでくださいね」
それなのに、そうだったと思ったのに、結果は既に出されていたようで。
これこそ本当のお願いですと、言われた手前、反射的にラシェンは頷いてしまっていた。
それはよかったと少年に頷き返したリーガルーダが、チェリアに視線を移し変え、負けました、と少女に白旗を振り、一歩退いた。
「これが貴女が退かなかった結果ですよ」
相も変わらず緊迫感の無い穏やかな表情と声音で告げる。
「あとはよろしくお願いしますね?」
言葉と同時に、虚像が消えた。
瞬間、どっと臭気が押し寄せてくる。
吐き気を催すほどに強い、濃密な甘い腐敗臭。
何に気づき、何に注意しなければいけないのか。
そして、少女が何を動かしたのか。
胃液が逆流してくる一瞬前、自分の考えがラシェンの脳裏に過ぎった。
異国の少年と激情の娘 ―― 支配樹の眠り 保坂紫子 @n_nagisa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます