彼と彼女の初日【06】




 世界が選んだわけで、そこにリーガルーダの意思は無い。

 選んでいるのはいつも世界そのもの。

 世界再構築に携わった民の子孫の一人であるリーガルーダは、ただ複雑そうに笑った。

 笑ってから、ラシェンに頷く。

「そうですよ」

 と。

 無傷な、綺麗なままのリーガルーダに対し、チェリアの表情は厳しい。ラシェンは少女のその様子から目の前のこの陸竜は先刻と同じく虚像だと知る。少女が触れようとすれば風となって消える幻。

 でもだからといって会話をすることになんら問題はなく、チェリアのように眉間に皺を寄せるほどのことでもない。

「なら、この女は俗に言う運命の相手ってことか?」

 重ねる質問に、虚像の陸竜は首を横に振った。

「それは、ラシェンの心が決める事。大地は人間の人と成りを見続けてきているだけであって、心までは計れません。俺のセレンシア王家に求める結婚は大地が決めた、言わば政略結婚。決して、想い想われる誰もが幸せと思えるような結婚ではありません」

 あくまでも、王家を繁栄させる為の結婚。

 そこにリーガルーダの意思は愚か、ラシェンの意思もチェリアの意思も存在してはいない。

 ラシェンがチェリアを好きになるかどうかは、わからず。

 チェリアがラシェンを好きになるかどうかも、わからない。

 占いのからくりを白状したリーガルーダを見詰めるチェリアの瞳から厳しさは消えず、チェリアに対してのラシェンの不信感も払拭されない。

 素直に感情が顔に出てしまう二人の心情が手に取るようにわかってしまったリーガルーダは、ラシェンに見えるはずもない面影を重ねて、微笑むことも出来ずに、鳶色の瞳を閉じ、開けた。

 けれど、いつかは結ばれる結末。複数ある未来の一つの結果。彼と彼女は出会いさえすれば互いの性格がゆえに惹かれ合う。

「チェリア」

 呼ぶと、何よと、声が返ってくる。

 薄青の鋭い眼差し。多くの好奇心と我の強さを孕む輝き。

「俺は、丈夫なので、心配は要りません」

 陸竜の登場に隠れてしまった森の賑わい。不自然な静けさに溶け込む声はいつもと変わらない消え入るような穏やかさで。

 大地の名を継ぐ種族の末裔に、ラシェンもチェリアも無言になった。

「嘘ね」

 否、少女を黙らせることなど、竜であれできないのか。

 何かを数えるように拍を置かれたあとに囁かれた呟きと共に少女は首を傾げた。

 挑むような、確信を秘めた眼差しを向けられ、リーガルーダは困ったと眉根を寄せる。

「嘘では――」

「嘘、ね」

 リーガルーダが両腕を組み、ラシェンの眉間に皺が刻まれた。

「どうしてそう言い切れるんです?」

 大丈夫だと言っているのに。呟きには呆れの色が濃く、それにムッとした少女もまた両腕を組むと、顎をツンと持ち上げた。「嘘よ」と繰り返す。

「嘘でなくて、なんだっていうのよ?」

「チェ――」

「慌てて出てきたくせに」

「……」

 断言に、リーガルーダの顔色が変わった。

 リーガルーダの神出鬼没さは自然なものと認識していたラシェンも少女に関心を向ける。

「本当に大丈夫なら、こんなところにいきなり出てこないでしょう? 来て欲しくないから出てきたくせに」

 彼女は竜が全て隠したいとラシェンに訴えた。最初から訴え続けている。それがどれだけ大事なことかと捲くし立てながら。

「今、考えているでしょ?」

 小さく、森が身動ぎする。

 暗く落ちた少女の声質に、息を潜めていた生物達が一様に息を呑んだ。

 薄水アイスブルーの瞳がまっすぐとリーガルーダを射抜いている。

少しだけ体をずらした少女の後頭部を眺め、ラシェンは陸竜がどう出るか、身を強張らせる動物達と同じく息を詰めた。

「私を……違うわね。私じゃないわ。そう、この王子様をどうしたら何も考えさせず庭から追い出せるか。考えているでしょう?」

 全て何もかも見透かしたと語る声音。

 リーガルーダが図星をさされて、表情を硬くした。

 ラシェンはこんなにも表情豊かなリーガルーダを知らない。

 常に笑っているか、困ったように苦笑いしているか、そのどちらかしか知らない。

 短時間にいくつもの青年の新しい一面を見せられてどうしてこんなにも胸の奥が燻っているのかわかった気がした。

 面白くないのだ。

 そして、羨ましいのだ。

 本当は、本当は、小さい頃から望んでいた気持ち。

 ――対等になりたい。

 それを易々とやってのけている少女に嫉妬するなというほうが無理な話なのだ。

「なら、私は関係ない。そうでしょう?」

 要らぬは王子様だけ。

「私まで止めようってなら、怒るわよ?」

 言っておくけど、と続ける。

「腕一本ならいいか。なんて考えているのなら、グーで殴るから。まだあるでしょう? まだ繋がっているでしょう? 手当てすれば治るでしょう?」

 彼女だけが知っている。

 彼の左腕が潰れている事を。

 そして、腐り落ちかけていることも。

「拘りますね」

 眉を八の字に、無傷なままの、しかし動かしている様子も無い左腕に視線を落とす青年。

 少女の言葉に釣られて彼の左腕を眺めていたラシェンは、彼らの交わしている会話の真意を諮りかねていた。

 陸竜が、倒れたことはあれど、怪我を負った所を見たことはない。怪我や病気をしたと聞いたこともない。それは大陸最強と謳われた種族故だからと考えていたが、彼女の必死さを見る限り、その考えが多大なる致命的な偏見のように思えてきた。

「もちろんだわ。私のせいで陸竜の左腕を失くしました。なんて国中の皆から恨まれたくないし、何より私、あなたのファンだもの。無傷なまま綺麗でいて欲しいのよ」

 無知なる思い込みは、思いがけない悲劇を引き起こすのは何も物語の中のことだけではない。現実でも充分起こり得る。

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