彼と彼女の初日【05】




「駄目だ。許可も出せない」

 庭の最奥は王家直系の血筋以外の侵入は許されていない。だが、チェリアはそんな規則なんて知らない。激しくきっぱりと首を横に振る。

「誰が許可なんて欲しいといったのよ。一刻を争うっていってるの。あれからどれくらい時間が経っていると思っているの。私の村からここまで最低二ヶ月かかるのに、二十日で辿り着いたというじゃない。その間彼に治療の時間があったとは思えない」

 なんで、話が通じないの。そう、少女の目が少年に訴えている。太陽の照り返しの如く射るほどにも強い光を薄水の瞳に宿して。

「あなたはあなたの守護竜が心配じゃないのッ!」

「そんなわけがないだろう」

「じゃぁ、どうして」

 チェリアはそれでもリーガルーダの意思を尊重している。下手に騒ぎ立てず、まずは自分の目で確かめてから行動に移そうと考えている。

 彼女の考えを汲み取れるくらいラシェンは冷静だ。

 だが、譲れなかった。

 状況の把握をしなければいけないことくらい頭ではわかっているが、感情がついてこない。心は常に同じ所をぐるぐるぐるぐると回っている。

 仕方ないですね、と苦笑気味に微笑んだ青年が頭から離れない。少女に向ける声の響きが耳の奥で木霊する。少女を大切にしようとする青年を、例えその理由が自分の為と知りつつも、ラシェンは否定したがった。

 これは子供じみた独占欲なのか?

 胸を焦がす感情に振りまわされたまま自覚して、ラシェンは口を真横一文字に結ぶ。

 ――あれのなにがわかるッ。

 では、自分は陸竜の何をわかるというのだろう。

 真実を告げられず、あののほほん顔に隠した痛みに気づけない自分は陸竜のなんだというのだ?

「…………」

 自問したラシェンは、はた、と我に返った。

「……………………」

 いきなり沈黙したラシェンに首を傾げたチェリアが近づこうと一歩を踏み出したのと同時に、彼は無意識に俯けていた顔を持ち上げる。

 自然と目が合わさった少女の、その勝気に吊上がった彼女の薄水の瞳に、自分の顔が写り見えたような気がして、生唾を飲み込んだ。

 わかって、いた。

 そう。分かって、いたのだ。

 ただ、気づこうとしなかっただけで。

 ……本当は全部、わかっている。

 喉の奥が急速に干上がっていくのをラシェンは感じた。

「行っては、駄目だ」

 押し出した声は自分のものとは思えないほど掠れていて、少女の変わっていく表情よりも、吐いた己の科白にラシェンはきつく目を閉じる。

「どんな理由があろうとも、これ以上は許可できない」

「なんで!」

「なんでもだ!」

 叫んだ少女の声よりも大きく怒声を張り上げたラシェンはカッと目を見開き、チェリアを上目遣いに睨み据える。

 そして、負けじと睨み返してきた少女に自然と背を伸ばし、正す。

「いくら次期国王王妃になるとはいえ、これ以上の我侭は笑って許してもらえなくなるぞ」

「わが、まま……ですって?」

 ほんの少し、語調を馬鹿にしたように響かせるだけで少女は柳眉を逆立てて食いついてきた。貴族の姫とは違った感情の起伏の激しさに自分が抱いている危惧が確かなものとなっていく実感にラシェンは、身の震いを奥歯を噛み締めて耐える。

「これのどこが我侭だというの?」

 少女との距離が、少女の歩幅一歩分縮まった。

「私の何が、我侭だというの?」

 にじり寄る速度で、また一歩、チェリアがラシェンに近づく。

 睨めば睨む程。

 拒めば拒む程。

 少女の言動は頑なに、激化していく。

 まるで、鏡を相手にしている様だ。

 ――あなたは、反発の。

 消える寸前に言いかけたリーガルーダの言葉を思い出す。

 反発の何か、はわからないがその言葉の意味は拒絶し受け入れないこと。

 跳ね除けるほどにも強い拒絶。

 それは、この現状や少女の気質やラシェンの今の気分そのものを表現するのにとてもぴったりだった。

「そうだ。それが我侭でなくてなんだっていうんだ?」

 正論で詰めても、退きはしないのだろう。そういう気配は微塵にも感じない。

「声を荒げて嫌々と首を振って、まるで子供。少しも冷静になろうとしない。押せば通るんだと考えている馬鹿にしか見えない」

「な――」

「なんですって。とでも叫ぶか? それとも手を上げるか? 血が頭に上って、自分が相手をしているのがどんな人物だったのかもわからなくなっているようだな?」

 朱にそまる顔で繊手を振り上げた少女に、ラシェンは、にやりと笑う。

 森同然の庭がいつの間にか静まり返っていた。

 風は止み、終始囀っている鳥達は無言になって二人を囲むように各枝に留まり、棲み付いている小動物も形を顰めて言い争う人間の傍観を決め込む。

 耳が痛くなるような静寂に包まれて、少女は唇を真横一文字に引き締め、少年の笑みに苦さが滲んだ。

 恥辱に打ち震える少女の怒りに触発されて森が怯えているわけではない。

 必然の静けさに慣れている王の息子は、ひたとチェリアに視線を止めたまま。

 両手を戦慄かせている少女の、自分と寄り添う未来の姿が想像できなくて、ラシェンの中で疑問ばかり増えていく。

「よく、わからない」

 溜息に似た吐息で呟き、ラシェンは両手を腰に当てた。

「……」

 きつくこちらを睨む少女に、そう怒るなと肩を竦めてみせれば、少女の瞳から鋭さが抜けた。

「立場もわきまえず、分別も出来ていないような人間がどうして政の主軸に関わるのを許されるのか、よく、わからない」

「……」

「意思が強いのは良いことだ。だが、強いだけでは統治はできない。独裁制なら話は別になるだろうが、セレンシアは民あっての国だ。時には受け入れ譲らなければ務まらない」

 無言のままの少女を相手にして、ラシェンは鏡に映った自分と対峙しているような気分になってくる。

 睨むのとは別の意味で寄る眉間の皺。徐々に真剣になってきた少女の表情の変化はラシェンの心境の変化と同じ動きを辿っている。

 まるで自分と相対しているようで気味が悪く、そのおかげか頭が変に冷静だ。

「そもそも、あんたの気質は王家の崩壊を招き兼ねない」

「私もそう思うわ」

 そう、まるでラシェンの心の中を読んで、尚且つ理解していると、真顔で頷きすらする少女にラシェンはますます不可解と首を捻った。

「なのに、リーガルーダの占いはおまえを選んだ」

 現国王である父のように、相応の貴族の姫ではなく、右も左もわからないような殻を付けたままのひよことも等しい娘が選ばれた。

 我の強さだけが突飛抜けた破天荒な娘が、だ。

 この歴史の先で、王家の破綻を生みかねない娘を投じなければ凌げない事態が起こるとでも言うのだろうか。

 少女の目を見詰め、ラシェンは溜息を漏らす。

「昔、リーガルーダが答えてくれたことがあった」

「なに?」

「次代の王の伴侶を選んでいるのは、竜の不思議の力ではなくセレンシアの大地そのものだと、教えてくれたことがあった」

 占術に格好つけて、儀式も右も左もわからないまま行って、ただただセレンシアと名づけられた大地の我侭を聞いているだけ。

「竜族ってのは世界の声を聞ける不思議な耳を持っているという」

 少しだけ首を傾げて、ラシェンは少女を、少女のもっとずっと後ろの方に視線を流し向けた。

「本当にそうなら、これは他の誰でもない世界自身にこの女は俺の花嫁にと選ばれたってことなんだよな?」

 投げかけられた質問の声に反応した少女が後方を振り返る。

 草音ひとつ立てず森の木陰から一歩を踏み出し明るみに出たリーガルーダが少女の睨みに曖昧な微笑を浮かべた。

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