彼と彼女の初日【03】




 スカートの中が見えることなど厭わずにびりびりと短く裂かれたドレス。足元にはシーツで作った即席のロープ。無造作に束ねられた長い髪。

 少女の姿は言われなくても彼女が何を実行しようとしていたのかは、それを見れば明白で、不機嫌にむくつれ顔の少女を眺めラシェンは顔を顰めた。

 周りに居る騒ぎを聞きつけて駆けつけた大臣達も女官達も皆あまり良い顔をしていない。

 これが、と思ってしまう。

 こんなのが、と思ってしまう。

 ひそひそと周りが交わしている小声が否が応でも耳に入ってきて、ラシェンは彼等の陰口とも等しい少女に対する偏見すら混じった会話の中身に頭を抱えそうになった。

 これが、と思ってしまう。

 こんなのが、と思ってしまう。

 第一印象も悪ければ、第二印象も最悪である。

 目を惹く整った顔立ちは今は年相応に拗ねていて、鋭い眼光はきつく王子の後ろの人物を睨んでいるのだが、ラシェンは自分が睨まれているようで居心地が悪い。

 最良の伴侶として選ばれた娘に興味がないわけではないが、これはあんまりである。

 無理を言って陸竜自身に占いを頼んだ身として、リーガルーダが選んだ娘に難癖をつけるつもりもないが、少女を非難の目で見ているのだろうと想像でき、ラシェンは少女同様リーガルーダを睨みたい心境である。

 ただでさえ農民の出だというのに。

 明らかに城の者達が少女を受け入れることに抵抗を感じている。

 これはよくない兆候だ。

 少女にとっても。

 少女を選んだ陸竜にとっても。

 そして、少女を伴侶とする自分にとっても。

 沈黙の方がマシだとラシェンは横目で控えている従者達を盗み見、小声を交し合っている立場を忘れた彼らをどう黙らせようかと考えながら舌先を軽く噛んだ。

 陸竜の段取りの悪さでこうなったのは明白だ。例え少女が予想していなかった行動にでてしまったとしても、だ。

 致命的なのは、彼らに全ての事情が行き渡らなかった事。この人騒がせの脱走少女を何人が次期国王王妃と知っていただろうか、そして何人がそうと認められるだろう。

 誰もが不信がり、フォローすらままならない。しかも、事情を一番知っていてそれを説明しなければいけない人物は、石のように動かない。

 少女と対峙して無理をしているのだろうか。ずっと言いあぐねいていているのが背中越しに感じ、ラシェンは首だけ振りかえろうかと背を伸ばし、

「どぉいう、つもり?」

低い声の問いかけに、再び視線を少女に戻した。

 そのあまりに黒を孕む声音に場から音が消える。

 怒りを背負う少女の半眼の睨みに女官達が息を飲んだのが気配でわかった。

 臆すなと育てられたラシェンでさえ言葉を失う。

 静まり返った室内。

 その凍った空気に触れるか触れないかの距離で、苦笑の吐息が漏れた。

 王子すら圧倒させる少女に誰よりも早く自分を取り戻したリーガルーダが立ち位置を変えたのをラシェンは靴音と衣擦れの音で知る。

「どういう、つもり、と言われましても」

 ラシェンの横に並んだ陸竜に少女は片眉を吊り上げた。見る間に眉間と目の下に不快を示す皺が刻み込まれて、彼女の怒りの限度が超えかけていることを報せている。

「ルーダ」

 名を呼ぶ声に、ラシェンの胸底で何かが鈍く軋んだ。

 王家の者でもないのに守護竜を呼び捨てた、と従者達が動揺で騒ぐ中、そんなことなどお構いなしと言わんばかりの半眼で少女は一歩前に踏み出した。

「どぉいう、つもり?」

 先程と同じ声の調子で、今度はにっこりと満面の笑み付きで繰り返される質問に対して、降参ですとリーガルーダが力無く笑ったことに、ラシェンは大きく目を見開いた。

「どうもこうも。こういうことですよ。チェリア。貴女は俺の占いによって選び出された、セレンシア国第一王位継承者ラシェン殿下の伴侶となられる方」

 金の髪の青年の語る声音は心なしか揺れているように聞こえた。

 短い内容にようやく事情を把握した従者達の間で再び今度は違う意味での動揺が走る。

「ゆくゆくはラシェン殿下と手を取り合って国を支える人を城にお呼びし、然る日まで保護するのが俺の目的でしたから――でも、貴女ではあれは保護というより監禁に近いかもしいれませんよね」

 尖塔の小部屋は唯一陸竜の寝床から何もしなくても目を向けるだけで見える場所。

 だからこそ、リーガルーダは不自由を強いることとわかっていて、敢えてその普段は使われない不便な部屋を選んだ。

 少女の怒りを煽っているのも紛れもなく陸竜自身。

 硬い表情のまま、それでも微笑むリーガルーダにラシェンは言い知れぬ苛立ちを感じ、彼から視線を逸らした。

 そして、その逸らした先にあったチェリアと呼ばれた少女の瞳に、知らず息を呑んだ。

 竜をも圧倒せずにはいられない、殺気を感じられないのが不思議な、壮絶たる眼差しは彼女の純粋な怒りを示し、何より少女の気質を現していて、研ぎ澄まされた刃の切っ先を背中に押し付けられた錯覚に、ぞわりとラシェンの肌が粟立つ。

「チェリア?」

 いよいよもって少女の機嫌を損ねているリーガルーダの焦りに彼女は、ギッと彼を一睨みした後、にっこりと笑って見せた。

「答えになっていないわ、ルーダ」

 ラシェンはこの時、生まれてはじめて陸竜の怯えというものを目撃する。

「わたしは、どういうつもり、と聞いたのよ。誰が言い訳しろって言ったの? 言っとくけど、私の目は誤魔化されないわ」

 靴音も荒々しく歩み寄ってくるチェリアにリーガルーダは反射的に足を引いた。それに気づかない少女ではない。

「何で逃げるの」

 更に彼を追い詰める。

「何故って……チェリアの機嫌が悪いからですよ」

「人のせいにしないでちょうだい。そうやって私から逃げられるとでも思ってるの?」

「それは……」

英雄のくせに言い訳が多いわ」

 腕を振り上げた少女に、陸竜はぎょっと目を剥いた。

「チェリア、やめてくだ……あなたには反発の――ッ」

 瞬間、大きな破裂音が部屋中に響き渡り、暴発の強風が室内を駆け巡る。

 襲いかかる風圧に皆が自分の顔を庇う中で、驚愕に目を見開いてラシェンは、リーガルーダの頬を引っ叩こうとした少女は空を薙いだ自分の手を、腕を振り下ろした格好のまま目を眇めたのを見た。

 青年が立っていた空間には影も形も残っていない。

 忽然と姿を消したリーガルーダ。

 チェリアはここではじめて驚きに声を失うラシェンに、その青い双眸を向けた。

「連れて行って」

 有無を言わせぬ青い目の圧力は、他国の王達を牽制する父の眼差しに良く似ていて、農民の出とは言わなければわからないだろう。

「へ?」

 少女の瞳の力に半分程飲み込まれたラシェンは胸の奥でじくじくと滲む感情を持て余しながら、一瞬何を言われたのかわからずに聞き返した。刹那、少女の怒りは純粋な殺意へと変貌を遂げる。

「リーガルーダの庭に連れて行ってと言ったのよ」

 彼女は噴き出しそうになる怒りを溜め込んだ声音で未来の夫に強請ねだり、

「あの顔に一発ぶち込まないと気が済まないわ」

大きく両手を打ち鳴らしたのだった。

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