彼と彼女の初日【02】




 セレンシア王城には趣向がそれぞれ異なった庭が幾つかあり、小さな泉を内包し原生林を模した守護竜の住まう小さな森を思わせる広大な庭は城の東にあった。

 ただでさえ国を護ってくれる竜が身を横たえる庭への出入りには王家直系の者の許可がいるし、庭最奥への侵入は直系の血筋以外許されず、故に東の森は王族格好の個人領域へと変わる。

 歩けば出会う従者達の視線に耐えられず彼等の目から逃げるように東の庭の森をぶらつくラシェンは休憩用と建てられた東屋に人影を認めて、歩く速度を速めた。

 人の手を極力控えている東の庭の例外なく蔦と雑草に占拠された建物の中で、何をするでもなく長椅子に腰掛けている青年にラシェンは片手を挙げる。

「リーガルーダ」

 名を呼ばれて、ぼけっと森を見ていた青年は鳶色の目を二度ほど瞬かせた。

 鳶色の瞳と金色の髪は人に変化した時に帯びる陸竜特有の色彩。そして、聖王都でリーガルーダの名を持つのは人外問わずセレンシアの守護竜と名高い陸竜たった一頭だけである。

 ゆっくりと向けられた表情にラシェンは嫌ぁな顔をする。

「寝起きか?」

 問われたリーガルーダが弱い笑みを返してきた。

「いえ」

 返答の声も表情と同じく弱々しい。左右に頭を振ってから数秒の間が出来た。

 ラシェンはムっとする。リーガルーダは陸竜という気質の為か終始温和で穏やかであるが、だからと言って鈍いわけではない。

 リーガルーダの反応の遅さにラシェンは目を細めた。

「体調でも悪いのか?」

 前にも似たようなことがあった。

 あの時は魔道師の手合いの途中、人の気に当たり倒れ、翌日には全快したものの、その間はずっと腑抜けになっていた。

 人間社会の中で育ったと語るだけに人に慣れたリーガルーダが、どうして人の気にあたったのかは曖昧に微笑まれ誤魔化されたが、竜とて調子が悪くなるということに驚いた大臣達の焦り様は、とてもおかしかったものである。

「こんな所に居ないで離れで休めばいいだろう?」

 離れとは東の庭の最奥のことを指している。

 伸び放題の草を足で避けて自分も東屋にあがるラシェンにリーガルーダは、たは、と息だけの笑みを吐き出した。

「そんな大げさな。 ……ただ、ちょっとだけ、こうしていたかったんです」

「ん」

 顎を上げ、一点を見詰めるリーガルーダに促されるようにラシェンもまたそちらに目を向ける。

 城の三本の尖塔。その中でにょっきりと頭一つ抜きん出て背の高い中央の塔が空を遮る木々の枝と葉の間から辛うじて見えた。

 ラシェンは、ああ、と納得に声を漏らす。

「花嫁、か」

 普段あまり使われないセレンシアの空に一番近い空き部屋の事を思い出して、ラシェンは肩を竦めた。

「ありゃ保護というより監禁だな」

「挨拶しましたか?」

 聞かれてラシェンは首を横に振った。

「会ってない」

 きっぱりと言い放ち、ラシェンもリーガルーダと同じく椅子に腰掛けた。汚れますよと言われたが平気だと緩く首を振る。

「どうして?」

 自分の妻となるべき相手に興味を見せないラシェンにリーガルーダは首を傾げた。

 伴侶の決め方が未来の在り方という他国とは違う特殊な事情の為に国の後継ぎとなる者には異性との接触のさい、いくつかの制限がある。少年と言っても異性が気になって気になって仕方がない年頃だろうに、社交会でも嫌な顔ひとつせず参加し多くの姫とも踊ったことのある王子が、肝心な相手を欠片も気にしないとは、とリーガルーダは不可解に首を傾げた。

 歴代の王や女王達でさえ、初対面の時は多少なりとも気にしていたというのに。

 王子の無関心ぶりにこの年で結婚はまだ早かったか、いや、もっと早く婚礼を挙げた例がと一人考えを巡らす陸竜にラシェンは目を眇めた。

「本当に体調は悪くないのか?」

 苛立ち混じりの嘆息に間の抜けた声と共に陸竜は顔を上げ、「リーガルーダ」とラシェンは感情の抑えた声での竜の名を呼ぶ。

「おまえ、父にもまだ報告してないだろう? おまえらしくもなく」

 厳しい眼差しとは裏腹に指摘の声音は囁きのような溜息だった。

 言われた本人は鳶色の瞳に驚きの色を宿し、息を詰めている。当人はバレてないだろうと思っていたのがそれこそバレバレであった。

 それにしても、とラシェンは思う。

「抜けているのは別に構わないが、もし違うなら言えよ」

 ラシェンの父、つまりセレンシア国王への報告はリーガルーダが果たす義務ではない。が、この変な所でマメに律儀な竜が次期セレンシア王妃の紹介をどうして怠ることができよう。

 国の繁栄を誰より望んでいるのは他でもないリーガルーダ自身。自分の手で次代の命を育む者を皆に紹介したいだろうに。

 それなのに、異国の少年という変装を解かないままに彼が花嫁を連れてきたのは昨日の昼。勝手に尖塔への鍵を開け、ラシェン付きの女官を数名引き抜いて宛がわせ自分は慌しさに紛れ姿を眩ました。

 少女の身柄の引渡しのさい、女官が耳にした言葉が無ければ陸竜が血迷ってどこぞの娘を攫ってきたのではないかと思わせんばかりの乱暴な扱いである。

 その間、王を筆頭に王家の人間達は誰一人として陸竜の姿を見ていなかった。

 異国の少年の姿のままで自分の寝床へと駆けていくリーガルーダの背を遠目で見送っていたラシェン以外は。

 無責任なことをしない陸竜の行動に対して覚えた疑問は消えることなくラシェンの中で燻っている。細々とした小言は忘れないくせに、多くを語らない国の守護竜に沸き抱く苛立ちを手放せない。

 仕方が無いとは言え、腹が立って立ってどうしようもなかった。

 所詮人の身では、竜の考えなど生涯をかけてもわからないのだろう。

「そう、ですね。まだ、ちゃんと話してませんね」

 国王にも、あなたにも。と囁く声を隣りで聞きながら、ラシェンは小さく頷く。

 リーガルーダはそんな彼に鳶色の目を幸せそうに細めて淡く微笑み、

「とても元気で快活な方なんですよ。貴族の姫しか知らないラシェンならきっと驚きますね」

苦笑した。

 言外にじゃじゃ馬と評価するリーガルーダにラシェンは小さく鼻を鳴らし、その娘が居る尖塔に視線を向け、きょとんとした。

 最初は見間違いかと思い、数度目を瞬き再び尖塔を見遣り、ラシェンは眉間に皺を寄せる。

 息を呑んだ。

「リーガルーダ」

「なんです?」

 妙に固まった声音のラシェンに陸竜は首を傾げる。

「俺はもう既に驚きを通り越して、怖くなった」

「はい?」

「まさかとは思うんだが」

 すっと挙げた腕が、尖塔の横から風に靡くそれを指差した。

「あれは脱走じゃないだろうか」

 ここからでは見えない南向きの窓から垂れ下がっているのだろう白い紐状のそれが遠目にもはっきりと見えた。

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